大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成7年(あ)738号 決定 1996年12月17日

本籍

神戸市兵庫区駅前通一丁目二九番地

住居

東京都港区赤坂四丁目一四番一九号

医師

井上禮二

昭和一四年一二月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成七年六月二一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人大久保宏明の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、再審事由の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない(なお、原判決の認定のうち被告人個人の預金口座との資金の振替に関する所論には一部首肯できる部分もあるが、本件商品先物取引に基づく所得が被告人個人に帰属することは関係証拠に照らし明らかであるから、右の点は、いまだ判決に影響を及ぼさないものというべきである)。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項ただし書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

平成七年(あ)第七三八号

上告趣意書

被告人井上禮二に対する所得税法違反被告事件についての上告趣意は左記のとおりである。

平成七年九月二八日

弁護人 弁護士 大久保宏明

最高裁判所第三小法廷 御中

目次

第一章 所得の帰属について・・・・・・二八一八

第一 憲法違反(取引資金について)・・・・・・二八一八

一 要旨・・・・・・二八一八

二 原判決の説示・・・・・・二八一八

三 証拠の不在・・・・・・二八一九

四 検察官主張事実・・・・・・二八一九

五 原判決が認定した取引資金の流れ・・・・・・二八一九

六 結論・・・・・・二八二〇

第二 憲法違反、判例違反(被告人に有利な証拠の無視)・・・・・・二八二二

一 第一審弁第一号証ないし第三号証・・・・・・二八二二

1 第一審弁第一号証(豊商事代表者の上申書)・・・・・・二八二三

2 第一審弁第二号証(松本の上申書)・・・・・・二八二四

3 第一審弁第三号証(協定書)・・・・・・二八二七

4 結論・・・・・・二八二九

二 商品手帳(控訴審甲第一二ないし一四号証)・・・・・・二八三〇

1 商品手帳の証拠としての意味・・・・・・二八三〇

2 第一審判決・・・・・・二八三〇

3 商品手帳の開示・・・・・・二八三〇

4 控訴審における被告人供述・・・・・・二八三一

5 開示されない商品手帳・・・・・・二八三一

6 提出命令申立・・・・・・二八三二

7 原判決における商品手帳の無視・・・・・・二八三二

8 憲法違反・・・・・・二八三三

三 仁井延吉の証人尋問調書(控訴審弁第一四号証)・・・・・・二八三三

第三 判例違反、審理不尽(実質的経営者の為した取引について)・・・・・・二八三五

一 最高裁判所の判例・・・・・・二八三五

二 被告人が礼幸の実質的経営者であったこと・・・・・・二八三五

三 実質的経営者の意味・・・・・・二八三六

四 原判決の誤認・・・・・・二八三六

五 実質所得課税の原則に関する原判決の説示・・・・・・二八三八

六 原判決に対する反論・・・・・・二八四〇

七 収益を礼幸が享受したこと・・・・・・二八四三

八 結論・・・・・・二八五一

第四 法令違反・・・・・・二八五二

一 要旨・・・・・・二八五二

二 原判決の誤り・・・・・・二八五二

三 実質所得者課税の原則と虚偽仮装取引・・・・・・二八五三

四 本件における実質所得者課税の原則の適用・・・・・・二八五四

五 結論・・・・・・二八五四

第五 事実誤認(自白調書)・・・・・・二八五五

一 要旨・・・・・・二八五五

二 原判決の説示・・・・・・二八五六

三 査察開始当初の被告人の供述内容・・・・・・二八五六

四 原審乙第一号証・・・・・・二八六四

五 原審乙第二号証・・・・・・二八六六

六 原審乙第三号証・・・・・・二八六八

七 原審乙第四号証・・・・・・二八八六

八 被告人の検面調書の信用性(結論)・・・・・・二八九八

第六 事実誤認(収益の認定)・・・・・・二八九九

一 松本洋口座を開設した資金が昭和六三年の収益金であること・・・・・・二八九九

二 平成元年一月一一日の入金も昭和六三年の収益金であること・・・・・・二八九九

三 平成元年二月三日の入金も昭和六三年の収益金であること・・・・・・二九〇〇

四 定期預金の源資が昭和六三年の収益金であること・・・・・・二九〇五

五 定期預金が昭和六三年の収益金たる実質を維持したこと・・・・・・二九〇五

六 昭和六三年の収益金たる実質を維持しながら定期預金が組み替えられたこと・・・・・・二九〇六

七 定期預金が平成二年二月一六日まで継続していたこと・・・・・・二九〇六

八 解約された定期預金は昭和六三年の収益金たる実質を維持していたこと・・・・・・二九〇六

九 昭和六三年の利益金が礼幸に振込入金されたこと・・・・・・二九〇七

一〇 結論・・・・・・二九〇九

第七 事実誤認(その他)・・・・・・二九〇九

一 松本証言の信用性について・・・・・・二九〇九

二 豊商事における取引資金・・・・・・二九二〇

三 被告人による商品取引資金の管理等・・・・・・二九二一

四 岡地等における取引について・・・・・・二九二二

五 礼幸での社内処理等について・・・・・・二九二六

六 被告人の供述について・・・・・・二九二七

七 実質所得者課税の原則について・・・・・・二九二七

八 結論・・・・・・二九二七

第二章 所得の存否について・・・・・・二九二七

第一 憲法違反、法令違反・・・・・・二九二七

一 要旨・・・・・・二九二七

二 取引資金の乗っ取りについて・・・・・・二九二八

三 無断売買について・・・・・・二九三一

四 結論・・・・・・二九三二

第二 事実誤認・・・・・・二九三二

一 要旨・・・・・・二九三三

二 豊商事による乗っ取りについて・・・・・・二九三三

三 イタ勘と本店コンピューター入力内容について・・・・・・二九四三

四 大量両建取引及び日計り商い等について・・・・・・二九四三

1 大量両建取引・・・・・・二九四三

2 日計り商い等・・・・・・二九四五

3 五月七日の取引・・・・・・二九四五

第三 再審請求事由の存在・・・・・・二九四六

一 再審請求事由・・・・・・二九四六

二 資料三の証拠としての新規性・・・・・・二九四六

三 資料三の要旨・・・・・・二九四六

四 本件と石原氏が被害を受けた無断売買との共通点・・・・・・二九五一

五 原判決破棄差戻の必要性・・・・・・二九五一

第一章 所得の帰属について

第一 憲法違反(取引資金について)

一 要旨

原判決は、証拠裁判主義(刑事訴訟法第三一七条)に違反し、「法律の定める手続」によらずに被告人に刑罰を科したものであり、法定手続を保障する憲法第三一条に違反するものである。従って、刑事訴訟法第四〇五条第一号に該当する上告理由が存する。

二 原判決の説示

原判決は、本件商品先物取引(以下「商品取引」ともいう)の主体が有限会社礼幸(以下「礼幸」という)ではなく、被告人個人であり、右取引による損益のすべてが被告人に帰属することの決定的理由づけとして、次のとおり判示する。

1 「両口座(礼幸口座及び山田口座)や松本預金口座、さらには『被告人個人の預金口座』間で資金の振替を行っていた(九丁表)。

2 「同年(昭和六三年)六月二八日には、被告人の個人的な用途に充てるため、松本預金口座から『被告人個人の預金口座』に一〇〇〇万円が振り込まれている(九丁表)。

3 「利益金や委託証拠金が、各取引口座、松本預金口座及び『被告人個人の預金口座』を通して相互に混同された形態で管理、運用され、利益金の帰属が専ら被告人の意思によって決定されていた」(一三丁裏)。

三 証拠の不存在

本件商品先物取引による利益金や委託証拠金が『被告人個人の預金口座』に資金振替された事実はなく、従って、かような証拠はどこにも存せず、検察官も、第一審及び控訴審を通じて、一度も『被告人個人の預金口座』に取引資金が振り替えられたなどとは主張していない。原判決は、何らの証拠も存せず、従って証拠が存しないが故に当然被告人に有利に判断すべき事実につき、独自の見解によって真実あり得ない事実を認定したもので、証拠裁判主義を無視し、法定手続を保障する憲法第三一条に違反する判決を下したものであって、その瑕疵は、その余の判決内容を論ずる必要がないほど重大なものであり、破棄を免れることはできない。

四 検察官主張事実

検察官の主張する取引資金の流れは、図表化すれば、次のとおりである。

<省略>

五 原判決が認定した取引資金の流れ

右検察官主張に対し、原判決が、証拠なく認定した取引資金の流れは、図表化すれば、次のとおりである。

<省略>

原審裁判所に問う。『被告人個人の預金口座』とは、いかなる金融機関(銀行?)のどこの支店で扱っていたものか。預金種別は何か。預金口座番号は何番か。正式な届出口座名は何か。被告人個人の預金通帳は(全部ではないかもしれないが)、弁護人が検察庁から還付を受けて、弁護人が保管しているので、必要であれば何時にても提出する。

六 結論

松本預金口座が開設された昭和六三年四月二〇日以降はもとより、礼幸取引口座を開設した同六〇年一〇月二四日以降、被告人の個人資金を礼幸のための取引口座に投入して礼幸のための経営者貸付をなした事実は存する(山田取引口座から礼幸への資金振替、被告人の個人預金から礼幸の証拠金への入金、被告人の個人借入資金から礼幸の証拠金への入金)が、逆に礼幸(山田名義を含む)取引口座から生じた利益金や余剰証拠金が被告人の個人資金として還元された事実は一度もない。ましてや、利益金や余剰証拠金を『被告人個人の預金口座』に資金振替した事実は絶対にない。故に、そのような証拠は存在しないのである。このことは、本件商品先物取引の主体が礼幸であったことを認定するための被告人に有利な事情である。右二-1についての反論は、以上であり、これ以上の記述は無用である。右二-2については、第一審論告(八丁表)において、検察官が、「松本洋勝名義の預金口座から昭和六三年六月二八日に払い戻した一、〇〇〇万円を被告人の個人的な用途に費消するなど…」と主張しているが、証拠がない。検察官は、商品売買益調査書(原審甲第一号証)四一丁を論拠とするようであるが、「被告人の個人的用途」とは何か、いつ、何に「費消」したのか、全く証拠がない。被告人とすれば、取引口座及び取引資金のすべてを豊商事に乗っ取られたのちのことであり、個人的な用途に費消する余地はない。甲第一号証四一丁の「井上禮二a/c名義」は、いわば使途不明金の「ふきだまり勘定」であり、法人税法違反けん疑事件では、「社長勘定」、「経営者勘定」などの暫定項目として表示されるにすぎないものであって、元来それ以上の意味はないのである。そのことをひとり裁判所のみが理解しておらず、その裁判所が被告人を裁こうとするのであるから人民裁判以下の結論しか出てこないのは当然と言うべきか。司法国家制度ことに司法権の独立は、個々の裁判官が誰にもまして勤勉であることを当然の前提としている。そうでなければ、国民の司法に対する信頼が維持できる筈がない。本件がその悪例のひとつであることは言うまでもない。原判決は、甲第一号証四一丁の「井上禮二a/c名義」を『被告人個人の預金口座』と読み違えてしまったのである。そのうえ、検察官の証拠なき主張に先導され、「昭和六三年六月二八日には、『被告人の個人的な用途に充てるため『松本預金口座から』『被告人個人の預金口座に』一〇〇〇万円が『振り込まれ』ている」とまで言い切るのである。松本洋勝預金口座通帳(控訴審甲第一七号証)によれば、右同日、松本が金一、〇〇〇万円を引き出したことが記帳されているだけで、『松本預金口座から』『被告人個人の預金口座に』『振り込まれ』た形跡など全くない。検察官も、平成六年八月一五日付け意見書別紙にて「礼幸へ支払」、同年一二月二七日付け証拠説明書(三)別紙にて「本人渡し(甲一号証在中の資金操作検討表)」としか主張していない。ちなみに、「礼幸へ支払」が、松本による礼幸資金の豊商事からの「引出」を意味するにすぎないことは、弁護人の平成六年一一月三〇日付け証拠説明書(三)において明らかにしたとおりである。屋上屋を重ねることは避けたいが、これまで述べたとおりであり、右二-3の原判決判示のように「利益金や委託証拠金が、各取引口座、松本預金口座及び『被告人個人の預金口座』を通して相互に混同された形態で管理、運用され、利益金の帰属が専ら被告人の意思によって決定されていた」などという事実はなく、むろん、そのような証拠はどこにもない。

第二 憲法違反、判例違反(被告人に有利な証拠の無視)

一 第一審弁第一号証ないし第三号証

これらは、検察官においてもその成立に争いがなく、同意書証として取り調べられたものである。被告人にとっては、極めて重要な証拠である。しかし、原判決は、これらの証拠をそのまま採用すれば被告人の個人所得であるとすることに合理的な疑いを差しはさむことになることを熟知しながら、敢えて、無視した。被告人を無罪にしてはいけないという間違った正義感でも持っていたのであろうか。第一審においても、同様にこれら重要証拠が無視されたので、控訴審においてまで無視されることがないよう、弁護人は、これらの書類が作成されるまでの話し合い状況やこれら書類の作成経緯を明らかにするため、石戸谷豊弁護士の証人尋問を申請したが、却下され、弁護人の「審理不尽である」との異議は棄却された。検察官においても成立を争わない被告人に有利な証拠を現に取り調べておきながら、これを裁判上の証拠として扱わずに無視することは、証拠に基づいて裁判したことにならない。この点において、原判決は、証拠裁判主義を定める刑事訴訟法第三一七条に違反し、さらには、「法律の定める手続」によらずに被告人に刑罰を科したものであり、法定手続を保障する憲法第三一条に違反するものである。そして、被告人に有利な重要証拠を無視されたのは、裁判所において裁判を受ける権利を奪われたものであって、憲法第三二条にも違反する。また、石戸谷弁護士の証人尋問を却下、弁護人の異議を棄却した点については、「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられる」とした憲法第三七条第二項にも違反する。そして、同条につき、「裁判所は、当該事件の裁判をなすのに必要適切な証人を喚問すればそれでよい。しかし、裁判所は、証人申請の採否について自由裁量を許されていると言っても主観的な専制ないし独断に陥ることは固より許され難いところであり、実験則に反するに至ればここに不法を招来することとなる。」とする最高裁判所大法廷昭和二三年七月二九日判決(刑集二巻九号一〇四五頁)に違反する。結局、刑事訴訟法第四〇五条第一号及び第二号に該当する上告理由が存する。

1 第一審弁第一号(豊商事代表者の上申書)

(記載内容)

上申書

当社は、昭和六三年中に「有限会社礼幸」の口座で商品先物取引の受託を行っておりましたが、当社としては右取引は右口座名のとおり「有限会社礼幸」の取引と認識しておりました。

以上のとおり相違ありませんので上申致します。

平成三年一〇月二三日

東京都中央区日本橋蠣殻町壱丁目十六番十二号

豊商事株式会社

取締役社長 多々良實夫

東京地方検察庁

検察官 殿

(証拠価値)

豊商事代表取締役社長の記名及び代表者印が真正に押捺されたものであることにつき、争いがない。別件恐喝未遂事件後であることからも、取引当事者としての真実の認識を豊商事代表者が検察庁宛に上申した供述書と言うべきであり、その証拠価値及び記載内容の真実性は極めて高いものというべきである。本来、取引行為の主体の判断については、取引当事者の合理的意思こそが、これを認定する最も重要な要素である。

2 第一審弁第二号証(松本の上申書)

(記載内容)

上申書

一、私は、商品先物取引受託業を営む豊商事株式会社に勤務しており、昭和五七年三月から同社上野支店の支店長をしております。

二、昭和五八年二月頃、井上禮二さんが「山田市郎」名義で商品先物取引の委託を当社上野支店扱いで行うようになりました。

それとは別に、井上さんが出資して設立したという「有限会社礼幸」の口座が昭和六〇年一〇月に設けられ、以後右の二つの口座で取引が行われてきました。

三、私は、昭和六三年三月頃から右口座の取引について直接アドバイスをするようになりました。

それと同時に右の二つの口座の取引で相当の利益が上がるようになり、その六三年一二月末時点では通算約一一億六千万円ほどの利益となっておりました。

四、ところで、井上さんは「有限会社礼幸」の口座の取引は、その口座名義のとおりの法人口座の取引と考えておりましたので、同社の決算期の二月までに損となる取引を決済し、約五億円程度損が生じました。

これは、税金の処理のため昭和六三年度決算期のうちに損の分を確定させようということで行われたものです。「有限会社礼幸」の口座の取引が井上個人の取引という考え方だったならば、昭和六三年一二月中に損の生じる取引の分も決済していたのです。

五、以上のとおり、右法人名義の口座の取引は、取引の当時右法人の取引として行っていたことに相違ありません。

平成三年一〇月二三日

横浜市北区新吉田町一五一八-二三八

松本洋勝

東京地方検察庁

検察官 殿

(証拠価値)

右松本の住所氏名が松本の自書によるものであり、松本の意思に基づいて同人の名下に押印がなされたものであることにつき、争いがない。記載内容については、石戸谷弁護士があらかじめ松本の意思を推察して松本が署名しやすい形にしたのか、または豊商事側と相応のやりとりがあったかは別として、「山田口座」について、石戸谷弁護士が徹底的に突っ込んだ記載を差し控えた形跡がうかがわれ、それだけに松本の表面立って言い得る範囲内での真実が露呈されているものと考えられるのであって、信用性及び証拠価値は高い。このことは、控訴審第六回公判期日における次のやりとり(弁護人と松本)からも明らかである。

原審弁護人請求証拠番号書2「上申書」を示す

ここに書かれている中で、上申書の四項なんですが、「ところで、井上さんは『有限会社礼幸』の口座の取引は、その口座名義のとおりの法人口座の取引と考えておりましたので、同社の決算期の二月までに損となる取引を決済し、約五億円程度の損が生じました。」と。これは事実ですね。

はい。

「これは、税金の処理のため昭和六三年度決算期のうちに損の分を確定させようということで行われたものです。」と、これも事実ですね。

はい。

「『有限会社礼幸』の口座の取引が井上個人の取引という考え方だったならば、昭和六三年一二月中に損の生じる取引の分も決済していたのです。」となっていますね。

はい。

このような考え方の一環というふうにお伺いしてよろしいですか。

はい。

要するに、礼幸の取引なんだから、礼幸の決算期に合わせて、できるだけ利益を繰り越すと。

圧縮しようと。

そして、むだな税金がかからないようにしようという考え方でやったと理解してよろしいですか。

はい。

検察側の最重要証人(敵性証人)に対する反対尋問としては、証人から一片の真実が語られたことをもって、よしとすべきであろう。

3 第一審弁第三号証(協定書)

(記載内容)

協定書

(甲) 井上禮二

(乙) 有限会社礼幸

(丙) 松本洋勝

(丁) 豊商事株式会社

甲は、昭和五八年二月から「山田市郎」名義で丁(上野支店扱)に商品先物取引の委託をしていた者、

乙は、甲によって出資、設立され、昭和六〇年一〇月から丁(上野支店扱)に商品先物取引の委託をしていた法人、

丙は、丁の上野支店支店長として昭和六三年三月頃から甲乙に商品相場に関する情報提供を行っていた者、

丁は、丙の使用者である商品取引員

であるところ、今般

丙が乙より、昭和六三年四月から八月にかけて合計九〇〇〇万円を情報提供料等として渡していた件に関し、

甲乙丙丁は本日次のとおり協定した。

(記)

1、丙は乙に対し、前記九〇〇〇万円を全額返還することとし、既払分の五〇〇〇万円に加えて、残金四〇〇〇万円についも返還することに同意した。

2、丁は、丙の乙に対する前項の支払を、丙に代わり乙に立替払することに同意し、本日前記四〇〇〇万円を乙に支払い、乙はこれを受領した。

3.甲乙丙丁は、頭書の件に関し本協定をもって全面的に解決したこととし、後日何らの異議をとなえないことに合意した。

平成三年一〇月二三日

(旧) 東京都江東区東陽一丁目二番七号

(新) 東京都港区赤坂四丁目一四番一九号

(甲) 井上禮二

(旧) 東京都江東区木場二丁目二一番七号

(新) 東京都港区赤坂四丁目一四番一九号

(乙) 有限会社礼幸

代表取締役 井上多喜子

横浜市中区太田町二丁目二一番地二

新関内ビル二階・港共同法律事務所

電話 〇四五-二一二-三五一七番

(甲)(乙)代理人

弁護人 石戸谷豊

(丙)横浜市港北区新吉田町一五一八-二三八

松本洋勝

(丁)東京都中央区日本橋蠣殻町一丁目一六番一二号

豊商事株式会社

取締役社長 多々良實夫

(証拠価値)

石戸谷弁護士及び豊商事代表者の記名押印並びに松本の署名押印が真正であることについて争いはない。被告人が礼幸の実質経営者として、「礼幸だけは守る」という固い意思を有していたことがうかがえる。山田名義の取引については、被告人個人で責任を負ってもよいという妥協がみられる。また、無断売買を文言にしてしまえば、署名がとりつけられないことは明らかであるので、この点においても妥協した表現となっている。それだけに、豊商事及び松本の意に沿って作成された書面としての証拠価値が認められるものである。

4 結論

被告人が石戸谷弁護士に依頼した経緯及び石戸谷弁護士と豊商事側との交渉内容等は、証拠がないので、事案の全体としての流れから判断されたい。被告人は、国税当局の取調べを受ける中で、豊商事が自社の脱税責任を被告人個人に転嫁していたことを察知し、「脱税責任の転嫁は許さない」との信念を持つに至り、友人からの紹介で、商品先物取引による被害を多数救ってきた石戸谷弁護士に依頼して、脱税責任の転嫁を防止しようとした。その被告人の信念が右三点の書証として残されているものである。ちなみに右三点の書証原本は、弁護人が保管している。

二 商品手帳(控訴審甲第一二ないし一四号証)

1 商品手帳の証拠としての意味

被告人にとって、商品手帳は、自らが関与した全商品取引についての記録である。船長にとっての航海日誌と同じである。航海日誌に「太平洋上を航行中」と記載されており、他にこれに反する証拠がないのに、「その日はインド洋を航行していた」と認定することができるか。第一審判決は、これをやってのけたのである。

2 第一審判決

第一審判決は、「同年(昭和六三年)四月以降も(被告人は)豊商事の店頭に顔を出し、日々自己の『相場帳』に相場を記入し」ていたと明らかに証拠のない認定をしたのである。これに気づいた控訴審判決では、商品手帳は、重要な証拠として採用されながら、判決上は無視されたのである。第一審判決書を見て、被告人が弁護人に依頼した最重要のテーマは、「相場帳」=商品手帳の開示を求めることであった。

3 商品手帳の開示

弁護人は、被告人の意を受けて検察官と折衝し、ようやく「一部の」物証の開示を受けることができた。弁護人は、東京高等検察庁刑事部会議室において、右開示を受けた。検察官は、「国税に保管させている証拠物のうち、弁護人において閲覧したいであろうと思われるものを持って来させた。事務官を立ち会わせるから自由に見てよいが、あとで判らなくなると困るからゴッチャにしないように。」と弁護人に告げた。会議室内の長い机に証拠品袋が並べられていた。そもそも、押収品目録交付書に記載されているのは「何々等一袋」などという表示が多いため、限られた時間内に個々の証拠物を検討し尽くすことは物理的に不可能である。弁護人の目的は一点にしぼられた。「この中から商品手帳を何冊捜し出すことができるか」である。弁護人の事前の知識としては、第一審甲第一号証一五九丁から符二四八号の一の中に商品手帳が少なくとも一冊は存在するということだけであった。弁護人は、必死で商品手帳を捜した。全く関連性がないと思われる証拠品袋の中から商品手帳を三冊も発見したときには、押収手続のいい加減さにあきれた。結局、弁護人は商品手帳六冊を発見し、立会っていた事務官に対し、検察官の謄写許可を求めたい旨告げた。事務官に聞きながら所定の謄写申請書に必要事項を記載し、正確に謄写されることを祈って検察庁を出た。

4 控訴審における被告人供述

控訴審第二回公判期日における商品手帳を示した被告人質問において、第一審判決の「相場帳」に関する認定の誤りを明らかにすることができた。被告人が供述したのは、昭和六三年一一月二二日から平成元年三月八日までの取引内容であった。その商品手帳に記された内容から、右期間に被告人は豊商事における取引に関与しておらず、岡地に委託していた取引内容が記録されているだけであることが明白となった。そして、岡地における取引についても礼幸の決算期に合わせた損切り等がなされていたことを証明することができた。ここで、重要なのは、岡地においては「礼喜」名義で取引を為していたにも拘らず、礼幸の決算期に合わせた処理が為されていたこと、即ち、礼喜名義取引の損益も礼幸に帰属するということである。

5 開示されない商品手帳

被告人及び弁護人は、開示されていない昭和六三年五月一〇日から同年一一月二一日までの記帳のある商品手帳により豊商事の無断売買を立証しようと考えた。訴訟記録には残されていないが、弁護人は、公判廷において、検察官に対し、右期間中の商品取引についての記載がある商品手帳を開示するよう事実上求めた。検察官は、「その必要はない。開示するつもりはない。」と答えた。これに対し、裁判長(前任の半谷裁判長)が、「弁護人よろしいじゃないですか。検察官が出さないのであれば取り調べられた商品手帳によって被告人に有利に推認されることになるのだから。」と無罪の心証を明らかにしたと思われる言葉を発した(傍聴人が皆、この時、被告人に対して無罪判決が言い渡されると確信した)。

6 提出命令申立

それでも、弁護人としては、豊商事による無断売買の事実を積極的に立証(本来は無断売買がなかった、即ち、正常な取引が行われたことについて検察官が挙証責任を負っているのであるから厳密に言えば反証である)しようと考え、平成六年一〇月二七日、昭和六三年五月一〇日から同年一一月二一日までの取引状況を記載した商品手帳の提出命令を申し立てた。これに対する検察官の対応は、「該当証拠物不存在」であった。結局、検察官は、豊商事における正常取引(無断売買が存しなかったこと)についの立証責任を放棄したのである。

7 原判決における商品手帳の無視

控訴審裁判所は、商品手帳六冊をよく吟味すべきであった。これを無視したことは論外である。商品手帳の最後の記帳日は平成二年三月七日であるが、昭和六三年一一月二二日からの記帳のある商品手帳と合わせれば、五冊は連続したものである。右内容を吟味すれば、昭和六三年一一月から平成二年三月までの豊商事による無断売買が明らかになるとともに、礼幸において(むろん被告人においても)商品先物取引による損益を確定し、これを申告することが不可能であったことも明白になるのである。

ちなみに、商品手帳の記載中に昭和六三年五月七日の岡地における取引記帳が見当たらないのは、岡地との初めての取引の日に被告人が豊商事(作成)の商品手帳を持っていけば、豊商事で取引していたことがわかってしまうと考えたからである。岡地における当初からの取引記帳は、検察官において「不存在」と称する商品手帳中に存する。

8 憲法違反

刑事訴訟法第四〇五条第一号に該当する上告理由が存する。本件において極めて重要な証拠であり、しかも被告人にとって有利な証拠である商品手帳の存在を原判決が無視したことは、証拠に基づいて裁判したことにならず、憲法第三一条及び第三二条に違反するものである。

三 仁井延吉の証人尋問調書(控訴審弁第一四号証)

この証人尋問調書により、第一審甲第七号証の仁井の検面調書の信用性が喪失され、松本の検面調書の信用性も失われていることから、居村や小野の検面調書の信用性にも大きな疑いが生ずるのである。控訴審における弁論要旨第一章第四(二四頁ないし二八頁)との重複は避けるるが、仁井の証人尋問調書中、注目すべきは、原告(岡地)代理人と仁井との間の次の問答である。

さて、礼幸についてはお話しを伺いますけれども、礼幸というお名前のもう一つの別の会社があるということを初めて聞いたのは、いつごろかご記憶ありますか。

六三年の夏だったと思うんですけどね。

それは、どういう説明だったんですか。

結局、礼喜さんに不動産やっとるということで取ったときに、担保がないことからの流れですけど、もう一つの会社という名前を聞いたのが礼幸なんですよね。それは、井上禮二さんの礼をとって礼喜さんと礼幸ということでつけてる会社ですという説明で聞いたんですよね。

礼幸という会社が商品取引をやっておると、あるいはそういう名義で口座があるというふうなことを聞いたのは、いつごろかご記憶ありますか。

いつだったかな……うちに礼幸さんであと出していただくんですけどね、その半年くらい前だったと思うんですけどね。

右問答は、それだけで判りづらい点もあるが、その趣旨を整理すれば、次のとおりである。

<1> 岡地が礼喜名義の取引を受託したのは、昭和六三年五月七日であるが、礼喜がペーパーカンパニーであることなどが問題とされた経緯があり、同年夏ころには、被告人から実質的な取引主体が礼幸であること、即ち、被告人が委託しているのは、「礼喜こと礼幸」の取引であることを岡地の担当者は認識していた。

<2> 結局、商品取引の主体が、資産の十分に存する礼幸であれば問題がないということで、礼喜名義の取引が継続されていた。

従って、昭和六三年における岡地での商品先物取引の主体は礼幸なのである。法人取引として扱われていたのであるから、被告人個人の取引であったなどと認定しうる余地はない。

更に、前述のとおり、被告人は、礼幸における商品先物取引として、商品手帳に岡地における礼喜名義の取引を記帳していたうえ、礼幸の決算期に合わせた損切り等を為していた。その取引内容は、明らかに礼幸のものである。しかも、右損切り等は、被告人の指示により、岡地の担当外務員仁井がなした。第一審甲第一号証二丁からも明らかなとおり、昭和六三年五月七日から同年一二月までの間の礼喜こと礼幸による取引の手数料引後利益は約金三億円であった。岡地(担当者である仁井)とすれば、納税方法等も心配しなければならなかった筈であるが、礼幸の取引として、礼幸の決算期である平成元年二月末に損切りによる利益の圧縮をしていることを仁井らが十分に認識していたので、納税について、特に話題となった形跡がないのである。豊商事は、自社の脱税を被告人個人に転嫁する意図を持っていたが、それが、松本の口から「被告人の言葉」として、事実を歪曲して表現されているにすぎないのである。

右のとおり、仁井の証人尋問調書は、直接的に同人の検面調書の信用性を喪失せしめ、ひいては、松本、居村、小野らの検面調書の信用性を心証のうえで、疑わしめるものであって、被告人に有利な重要証拠である。原判決が、これに目をつぶり、結局無視したことは、証拠に基づかない裁判を敢行したものに他ならないのであって、結局、憲法第三一条及び第三二条に違反する。よって、刑事訴訟法第四〇五条第一号に該当する上告理由がある。

第三 判例違反、審理不尽(実質的経営者の為した取引)

一 最高裁判所の判例

法人税法第一五九条第一項及び第一六四条第一項の「その他の従業者」には、当該法人の代表者ではない『実質的な経営者』も含まれる(最高裁判所第三小法廷昭和五八年三月一一日決定、判例時報一〇七三号一五一頁)。即ち、法人の実質的経営者が当該法人のために為した取引行為に基づく所得をほ脱した場合、所得税法ではなく法人税法が適用されるとするのが最高裁判所の判例である。原判決は、種々詭弁を用いて、最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであり、刑事訴訟法第四〇五条第二号に該当する上告理由が存する。

二 被告人が礼幸の実質的経営者であったこと

本件においては、被告人が礼幸の実質的経営者であったことについては、何ら争いがない。原判決も、被告人は、「昭和五九年三月一九日、不動産賃貸、医薬品販売を目的とする礼幸(資本金九〇〇万円)を設立して代表取締役を実妹の井上多喜子とし、自らは代表権も役員の地位も持たずに同社の実質的経営に当たり」(三丁表)と認定している。問題は、被告人がどのような意味で礼幸の「実質的経営者」であったかということである。

三 実質的経営者の意味

被告人の検察官に対する平成四年二月一〇日付け供述調書(原審乙第一号証)には、次のとおり記載されている。

…ところで、私は、医師が、医療行為以外に手広く不動産業「等」の営利事業を営んでいることが表沙汰になると、世間から厳しい非難を受けるかもしれないので、会社を設立して、その会社を通じて不動産業「等」を営もうと考え、昭和五九年三月一九日、資本金九〇〇万円を出資し、私の妹多喜子を代表取締役とし、不動産賃貸、医療品販売「等」を目的とする

有限会社礼幸

を設立しました。

礼幸の本店所在地は、妹多喜子の住居地と同じであり、設立当時は江東区木場でしたが、平成三年一月に妹が転居したので、礼幸の本店も妹の転居先である

東京都港区赤坂四丁目一四番一九号

に移転させました。

礼幸の役員は、代表取締役である妹多喜子と取締役である母サメの二人だけであり、他に従業員はいません。

私は、医師である私が営利企業を経営していることが表に出ると具合が悪いと思い、礼幸の役員として登記していません。

しかし、名目上の役員である私の妹や母に信用がないので、礼幸に関する借入金や不動産の購入「等」に関する決定や交渉「等」は、全て私が自分の判断で行っています。

礼幸の代表者印は、私が管理しています。

右供述調書記載内容は、やや言葉不足な点も存するが、被告人がどのうような意味で礼幸の「実質的経営者」であったかを認定するための最重要証拠と言えるであろう。そこで、右供述調書記載内容を整理し直すと次のとおりとなる。

1 被告人は、医師としての医療行為と営利事業とを截然と区別することとした。

2 被告人が行う営利事業については、これを個人事業とすることをやめて、会社を設立し、会社の事業とすることとした。

3 そのために、昭和五九年、被告人が出資して礼幸を設立した。

4 被告人は、営利企業である礼幸を経営してきた。名目上の役員である被告人の妹や母には対内的にも対外的もに何ら実質的な権限はなく、礼幸に関する借入金や不動産の購入「等」に関する決定や交渉「等」は、すべて被告人が被告人の判断で行ってきた。

5 右4の経営形態は、被告人の(開業医としての)信用に基づくものであり、礼幸の代表者印も被告人が管理して(押印していた)のであるから、資金借入先や不動産購入先等に対する関係、つまり、対外的関係においても、被告人は礼幸の経営者であると認められていた。

6 結局、被告人は、礼幸の行う取引等の営利事業に関し、他の役員(兼出資者)の同意や了解を得ずともこれに対外的に実行できる立場にあった。これ即ち、被告人が礼幸の「実質的経営者」であるという所以である。

四 原判決の誤認

原判決は、被告人が礼幸の「実質的経営者」であることを判示する(三丁表)ものの、その意味するところを全く理解していない。「豊商事側でも、礼幸口座開設後、同社の代表取締役である井上多喜子の意向を確認することは」なかった(三丁裏)、「被告人の礼幸に対する取引資金の経営者貸付については、そもそも、礼幸の代表者であり、会計事務を担当していた井上多喜子にその旨の認識があったとは認められない上、借用書等の作成もなく、原判決(第一審判決)が指摘するように、礼幸の経理処理上、各経営者貸付がされた形跡は一切認められない。」(六丁裏)などの原判決の説示は、被告人が礼幸の「実質的経営者」であったことの意味が原審裁判所において全く吟味されていなかったことを如実に表わすものである。

五 実質所得者課税の原則に関する原判決の説示

原判決は、実質所得者課税の原則に関する説示をするが、実態にそぐわぬ事実を認定するために合理性なき独自の見解を示すにすぎない。以下、原判決一三丁を引用して、検討する。

(原判決の説示)

1 もともと、ある取引から生じた収益が税法上誰に帰属して課税されるかは、「実質上その収益を誰が享受するか」によって決せられるべきものである(所得税法一二条、法人税法一一条参照)。

2 「その収益を誰が享受するか」は、「実質上その処分権限が誰に帰属するか」によって決せられるものである。

3 したがって、実際に取引行為をするものが法人その他の主体を名義人として取引をした場合において、「収益を享受するもの」が誰かを決するにあたっては、

<1> 取引行為者の一般代理権の有無や

<2> 取引の法形式ばかりでなく

<3> 取引資金の提供者

<4> 取引による損失の負担者

<5> 取引内容の決定権者

<6> 具体的な授権行為の有無と内容

<7> 収益を名義人である法人その他の主体に帰属させる行為の有無と時期

などの諸点を参酌し、「その収益に対する処分権限が当該課税年度において実質上誰に保有されているのか」という観点から検討する必要がある。

4 この観点から本件の事実関係を見ると、

(1) 一連の取引資金の原資が結局はすべて被告人個人の出捐によっていると認められること(右3-<3>について)

(2) 個々の取引についてもすべて被告人自身の専断によって各種の取引口座を用いて行われていたこと(右3-<5>について)

(3) 利益金や委託証拠金が、各取引口座、松本預金口座及び「被告人個人の預金口座」を通して相互に混合された形態で管理、運用され、利益金の帰属が専ら被告人の意思によって決定されていたこと(右2についてか?)(4)礼幸における社内処理においても本件取引の利益金が同社に帰属したと認められる事情がないこと(右3-<7>について)は、一連の取引が被告人個人のものであることを示す証左というべきである。

5 そして、これらの点に捜査段階における被告人の供述内容を併せ考慮すると、前示の各名義による一連の取引が被告人個人のもであって、その収益に対する処分権限は被告人に帰属していたものと認めるほかはない。

六 原判決に対する反論

原判決の右説示は、一体何を言わんとしているのか。何度読み直しても意味不明である。自ら基準を示しながら、その「当てはめ」がなされていない。それどころか、前記第一で述べたとおり、証拠のない事実認定(右五-4-(3))によりまるで鬼の首を取ったかの如き結論を下したもので、到底許容し難い。

1 右5-1は、当然のことを述べたものである。「実質上その収益を誰が享受するか」といえば、本来的には礼幸が享受する筈であった。しかし、後述するとおり、豊商事が礼幸の取引資金を乗っ取り、豊商事のための取引を敢行するに至り、昭和六三年度に礼幸が収益を享受することはなかった。

2 右五-2は、何を言わんとするものであろうか。本件で問題となっているのは、「実質上収益を享受したのは法人(礼幸)か個人(被告人)か」ということである。処分権限の帰属について言えば、法人(礼幸)についての処分権限も、むろん個人(被告人自身)についての処分権限も被告人に帰属していることは、前提たる事実である。いずれの処分権限も被告人に帰属するから収益は被告人に帰属すると言ってしまっては、立論自体からして法人(礼幸)が収益を享受することは最初からあり得ない。処分権限者たる被告人が、収益を法人(礼幸)に帰属させたのか個人(被告人自身)に帰属させたのかを論ずるのであれば意味がないとは言えないが、これとても、右1の「実質上その収益を誰が享受するか」との判断に代わるものとして論ずる意味はなかろう。

3 右五-3において、「収益を享受するもの」が誰かを決する基準が示されているが、本件に即して基準を適用していないのであるから無意味な説示というほかない。逆に、本件に即して説示の基準を適用すれば、全く逆の結論となり、直ちに被告人は無罪となる。即ち、

<1> 実質的経営者たる被告人の為した取引行為の効果は、直接礼幸に帰属する。

<2> 「取引の法形式」とは、本件において何を意味するのか不明である。

<3> 「取引資金の提供者」は、(礼幸固有の資金を除けば)礼幸の実質的経営者たる被告人である。被告人は、自分の経営する会社に、被告人の個人資金を投資し続けていたものであり、法律的には、経営者貸付である。

<4> 取引による損失の負担者は、本来礼幸である。本件(豊商事における取引)と全く同じ形態でなされた礼幸名義の取引につき、岡地は、礼幸を被告として差損金請求訴訟を提起し、東京地方裁判所において審理中である。ただし、本件当時のように被告人に資金力(資金借入能力)があれば、被告人は、礼幸の実質的経営者として、自ら礼幸の損失を負担するであろう。その分被告人の礼幸に対する経営者貸付金が増えるだけのことである。

<5> 取引内容の決定権者は、礼幸の実質的経営者たる被告人以外の者ではあり得ない。ただし、本件においては、この決定権を豊商事に奪われた。

<6> 被告人は礼幸の設立当初からの実質的経営者であり、いわば、礼幸は被告人の会社であるから、とりたてて授権行為を問題とする必要はない。被告人が授権限者であり、被告人において例えば名目上の代表者から授権されるなどという関係は成立しない。念のため、無断売買との関係で言えば、被告人は、礼幸の取引について、豊商事ないし松本に対し、何らかの授権行為をなした事実は一切存しない。

<7> 豊商事が礼幸の取引口座及び取引資金のすべてを乗っ取る以前(昭和六三年三月まで)は、被告人は、礼幸の収益を直ちに礼幸に帰属させていた。ただし、現実的には、豊商事は、利益金及び余剰証拠金を礼幸に引渡したことはなかった。よって、礼幸の税務申告において、商品取引による収益は、「実現したもの」として表面化させることができなかった。

<8> 「その収益に対する処分権限が『当該課税年度において』実質上誰に保有されているのか」という立論自体、理解できない。「処分権限者が収益を享受する」との珍妙な理屈によれば、法人が収益を享受することはあり得ないということになるが、法人が収益を享受することに争いのない案件では、どのような立論になるのであろうか。

4 右五-4について述べれば次のとおりである。

(1) 「すべて被告人個人の出捐」とするのは、明白な事実誤認である。

しかし、百歩譲って、すべての取引資金が被告人の出捐によるものであったと仮定した場合、礼幸の実質的経営者たる被告人が個人資金を礼幸に投資して、礼幸の名をもって礼幸の利益のために取引し、(無断売買が存在しなかったと仮定すれば)その取引(昭和六三年の取引)から生じた利益金二億六、五〇〇万円余は、(無断売買のため時期が遅れたが)すべて礼幸に入金され、礼幸のために使途されたものであって、収益を享受したのは礼幸である。実質的経営者の投資により会社に利益をもたらしたものであるとしか評価できない筈である。

(2) 個々の取引につき、すべて被告人ひとりの判断で行われていたのは、被告人が礼幸の実質的経営者であることから当然である(右三-1ないし-6)。

(3) 証拠のない認定であり、反論する必要がない。「被告人個人の預金口座」は証拠として扱われていない。

(4) 礼幸が享受した金員についての証拠は、第一審弁第一三号証、一四号証。被告人がこの金員の処理について関与していなかったことについては、第一審甲第一八号証末尾に添付された平成二年五月一七日付け領収書、振込金(兼手数料)受取書。利益金は、証拠上明らかに礼幸に帰属した。

5 結局、原判決は、被告人の捜査段階における自白のみを証拠として有罪認定したもので、自白以外の補強が存しない結果となる。被告人の捜査段階における自白に信用性がないことについては、後述のとおりである(第一章第五)。

七 収益を礼幸が享受したこと

被告人が、礼幸名義等を用いてなした昭和六三年における商品取引の収益は、実質的に礼幸が享受したものであり、このことは、証拠上明らかである。

1 大蔵事務官作成の平成二年一〇月二九日付け商品売買益調査書(第一審甲第一号証)二七丁には、「なお、平成二年二月期に豊商事/上野における(有)礼幸名義取引を決算に取り組み確定申告している。」と記載されている。

2 礼幸の平成二年二月末期確定申告書控(第一審弁第一九号証)の「仮払金(前渡金)の内訳書」には、「預ケ金 豊商事(株) 中央区日本橋蠣殻町一-一六-一二 二六五、二三三、五九三円 委託証拠金」と記載されている。申告代理をしたのは石原光義税理士(兼公認会計士)であり、申告書の受理日は、平成二年五月二日であるから期限後申告になってしまっている。つまり、礼幸は、平成二年五月に至まで、右金額を確定することができなかったものである。

3 礼幸の三菱銀行上野支店における普通預金通帳(第一審弁第一三号証)によれば、豊商事が礼幸宛に金二億六、五二三万三、五九三円を振り込んだのは、平成二年五月一七日である。

4 右が、真実豊商事による振込みであることは、検察事務官作成の平成四年一〇月一六日付け報告書(第一審甲第一八号証)末尾に添付された平成二年五月一七日付け領収証(摘要として、「農水グループ証拠金八二、二六七、三四四-、通算グループ証拠金一八二、九六六、二四九-返戻」と記載されている)及び振込金(兼手数料)受取書より明らかであり、平成二年五月一七日、豊商事が、礼幸に振込送金する方法によって、礼幸に返還(ないし弁償)した金員の処理については、豊商事の一方的処理としてなされたもので、被告人がこれに関与していないことも、客観的に明白である。

5 右の金二億六、五二三万三、五九三円が、豊商事内部において、どのように処理・算出されたものであるかについては、イタ勘(控訴審甲第一九号証及び第二〇号証)等により推測するしかない。

6 別件恐喝未遂事件に関する多々良義成の平成二年四月二三日付け検面調書(控訴審弁第一一号証)には、次のとおり記載されている。

この謝礼の件や預り金の件が発覚した経緯、その事後処理をした状況は警察で話したとおりです。預り金の件が発覚して間もなくの本年二月一六日には、正規の委託証拠金に組み入れ松本名義の口座は解約させたのです。

7 別件恐喝未遂事件に関する多々良実夫の平成二年四月二二日付け検面調書(控訴審弁第一二号証)には次のとおり記載されている。

今年の二月一日に当社に税務調査が入り、その過程で上野支店の顧客の一人井上礼二さんの申告漏れが次第に問題となって行く過程で松本支店長がこの井上さんから礼金を貰っていたこと等が明るみに出て来たのです。詳しくは警察で話したとおりですが、最初は、松本支店長が三井銀行上野支店に松本名義の個人口座を設けて井上さんの相場で儲けた金の一部を預かっていたという事が発覚したのです。勿論業者の方で顧客の金を預かる場合には、委託証拠金として預かるので当然ですが、これは発覚した段階で指示し、松本名義の口座を解約させるとともにその口座にあった井上さんからの預り金は井上さんからの委託証拠金として処理させたのです。そうして更に次には、松本支店長が井上さんの相場の当たった昭和六三年に最初は三回に渡り、現金で一、〇〇〇万円を貰い、次には情報収集料という事で小切手で五、〇〇〇万円貰い、次には情報収集料という事で小切手で五、〇〇〇万円貰い、最後は、松本支店長の持っていた土地を井上さんに買い取って貰うという事でその代金として小切手で三、〇〇〇万円貰っていたという事も明るみに出たのです。そこで、この総額九、〇〇〇万円については、最初に話したとおり業界の常識としていい事ではありませんから松本支店長に井上さんに返すよう指示したのです。そうしてその結果として松本支店長から「井上さんに六、〇〇〇万円については、直ぐにでも返す、最後の三、〇〇〇万円については、早く売買の手続きを済ませて欲しいと話したところ、井上さんの方の税金問題が片付くまで待って欲しいというのが、井上さんの返事だった」ということを聞いていたのでした。

こうして、これらの松本支店長と井上さんとの間の問題は、その都度、事後処理をし、一応片付いた事になり、後は井上さんの方の税金問題の決着を見て返すべきものは返すという形になっていたのです。この様な形で三月九日ころの時点で既に打つべき手は打ってあったのです。問題は、最終的に井上さんの方の税金問題の決着を待つだけだったのです。

8 別件恐喝未遂事件に関する松本洋勝の平成二年四月二一日付け検面調書(控訴審弁第一三号証)には、次のとおり記載されている。

今年の二月一日に豊商事の本社に五年に一度の調査が入り、その過程で井上さんの先程の有限会社礼幸と山田市郎の二つの口座が実際には同一人物の物ではないかとの指摘・追求を受ける事となったのです。井上さんは商品相場での儲けについて税の申告をしていなかったのです。そうして、二月一四日には、私が国税の方から三井銀行の上野支店に呼び出されて事情聴取を受けるという事態にもなったのです。というのは、昭和六三年四月ころから井上さんが相場で儲けた金の一部を三井銀行上野支店に松本洋勝名義の口座を設けて預る様になり、その年の一二月には私も井上さんの金を私の名前の口座で預かるのはどうかと思い、この口座の名義を松本洋名義に変えてみたりもしたのですが、いずれにしても私は三井銀行上野支店の口座で井上さんの儲けの一部を預かっており、その事が国税の係官に発覚してしまったのです。当時、この口座には一億三、三〇〇万円位の金が入っておりました。本来、顧客が相場で儲けた利益を客に支払わず業者が預る場合には、委託証拠金として処理されなければならないことは当然ですから、この事が発覚してから間もなくの二月一六日には、先程の松本洋の口座を解約し、井上さんからの委託証拠金としての預り金という正規の処理をしました。そうして今回の事件の起きた四月上旬には、こうした井上さんから委託証拠金は有限会社礼幸名義で約二億六、五〇〇万円、山田市郎名義で約一、〇〇〇万円になっておりました。この委託証拠金というのは商品先物取引を委託するにあたっての業者に対する証拠金となるものですから手仕舞いになっていない取引があれば、それに見合う証拠金は業者の方で預かっておかなければなりませんが、それを超える額、或いは取引が手仕舞になれば、勿論客に返さなければならないものなのです。ですからそうした場合に顧客からの請求があれば当然客に返している訳です。今回の井上さんの場合、四月上旬時点では取引は手仕舞になっておりましたから井上さんから請求があれば何時でも返還出来る状態になっておりました。

先程の松本洋で預かっていた金を井上さんからの正規の委託証拠金として処理した事は、そうした処理をした二月一六日か、そのころに井上さんにも報告しております。

9 別件恐喝未遂事件に関する被告人自筆の平成二年六月一四日付け上申書(控訴審弁第一七号証)には、次のとおり記載がある。

礼幸が松本支店長名義で三井銀行上野支店に預金していた金一億三、三〇〇万円のお金につきましては、既に豊商事の正規の委託保証金に組み入れられたうえで、同社との先物取引委託契約を全て終了し清算した結果、同社への委託保証金は合計二億六五二三万三五九三円と確定し、これは、平成二年五月一七日、豊商事より礼幸に振込送金により返還され、現在礼幸名義の定期預金となっております。

10 礼幸の三菱銀行上野支店における自由金利型定期預金通帳(第一審弁第一四号証)によれば

平成二年五月一七日

金二億六、五〇〇万円(豊商事振込分)

同年同月二二日

金五、〇〇〇万円(松本振込分)

が礼幸の定期預金とされたことが明白である。この合計は元金三億一、五〇〇万円であるが、自動継続され、平成二年八月二九日に元金一、〇〇〇万円が減少するなどしたものの、金三億円の元金は同年一一月三〇日までは、礼幸の預金口座中に存在したことが、記帳上客観的に明らかである。

11 礼幸の平成三年二月末期確定申告書控(第一審弁第二〇号証)においては、当該期中の売上として、右2のとおり預け金処理されていた金二億六、五二三万三、五九三円(及び松本からの金五、〇〇〇万円等)が処理され、前期末に金二億二、二五四万一、九三八円存在した繰越欠損金が大幅に減少して金三、一〇三万九、三八六円となった。第一審弁第二〇号証において注視すべきは、商品先物取引損金一億五、四一二万七、七五〇円が計上されていることである。この商品先物取引損は、礼幸が岡地に委託していた商品先物取引に関するものであり、「礼喜」名義を借用した取引に関するものである。礼幸の平成四年二月末期確定申告書控(第一審弁第二一号証)においても、礼幸と岡地との商品先物取引に関する商品先物取引損として前期末と同額が計上されている。そして、この差損金は、のちに委託証拠金として礼幸が岡地に入金していた金員と相殺処理され、さらにその後の差損金と合算されて、岡地から礼幸に対する差損金請求訴訟が提起されたのである。右相殺処理の対象となった礼幸の岡地に対する委託証拠金の原資は、言うまでもなく、平成二年五月に豊商事及び松本から礼幸に振込入金された資金である。

12 右証拠関係から、礼幸名義等の昭和六三年における商品取引の収益は、実質的に礼幸が享受したものであるからを正しく理解しなければならない。

第一に、右6の証拠関係から豊商事の社長命令で松本預金口座が解約されたことが明らかとなっている。即ち、松本預金口座を存続させるか否かの決定権限は、豊商事が持っていたのである。そして、松本預金口座の中身は、昭和六三年四月に豊商事が礼幸から乗っ取ったものである。松本預金口座が被告人の依頼によって松本が開設したもので、被告人の指示により松本預金口座の資金が運用されていたのであれば、被告人と松本との間で預金口座解約についての合意(あるいは被告人による事前の指示)がなければ、これを解約するこはできない筈である。このことは、松本預金口座が豊商事のための預金口座であったことを優に推認させるものである。

第二に、百歩譲って、松本預金口座の開設、運用が被告人の意思によるものであったと仮定するとしても、その被告人が礼幸の実質的経営者であり、礼幸の名をもって取引をなしていたものであることは争いがないのであるから、特段の事情のない限り、その取引による収益は礼幸に帰属するものと認定しなければならない。被告人は、礼幸名義の取引のために大いに個人資金をつぎ込んだと認定するのであれば、それはそれでよい。しかし、被告人が礼幸名義の取引により個人的な利益を得た事実は全く存せず、故にそのような証拠はどこにもない。かえって、右のとおり検討した証拠関係において、松本預金口座にストックされていた資金や、豊商事における取引口座に余剰利益金ないし余剰証拠金として存在した資金は、すべて礼幸に振込入金され、現実に礼幸の資金として岡地における取引等に使われたのである。

第三に、よって、ここに、原判決の致命的欠陥を記す。

(一) 「(C)の点は、所論指摘の豊商事からの清算金や松本からの返済金が礼幸『名義』の預金口座に振込入金されたことなどの事実は認められるものの(弁一三号証等)、『被告人と礼幸の結びつきの程度等』に照らし、形式的な名義人に対して振込や支払がなされたとしてもそこに格別の意味があるとはいえない。」(原判決八丁表)

『被告人と礼幸の結びつきの程度等』とは何か。これは、即ち、被告人が礼幸の実質的経営者であるということに他ならない。礼幸の実質的経営者が礼幸『名義』の預金口座に振込入金された資金を管理し、事実礼幸のために使途したことは証拠上明白なのである。

原判決の論調によれば、礼幸『名義』の預金口座に振込入金させた金員を、被告人個人が使途したと言いたいのであろうが、さすがに何ら証拠のない認定となることを懸念して、そこまでは言えなかったようである。

(二) 「豊商事での取引量や利益金が大幅に増加する傾向にあった最中、被告人は、同年四月二〇日、松本との合意により、松本洋勝名義の普通預金口座を三井銀行上野支店に開設し(以下「松本預金口座」という)、以後、松本預金口座を用いて、礼幸及び山田名義の取引による利益金等の管理、運用を行うようになったが、そこでも、それまでと同様に、礼幸及び山田口座相互間で資金の振替ないしは一括した運用を行っていたほか、両口座や松本預金口座、さらには『被告人個人の預金口座』間で資金の振替を行っていた。」(原判決九丁表)

右は、経験則に違背する甚だしく理不尽な立論から発展し、ついには、証拠上どこにもない『被告人個人の預金口座』まで登場させてしまったもので、法治国家における裁判と言えない内容である。

(三) 「論旨は、要するに、原審(第一審)は、平成四年一一月五日に提起された岡地株式会社を原告とし、礼幸を被告とする商品取引による差損金請求事件に関する訴状や仮差押決定書正本等の証拠を採用しなかったが、この措置は審理不尽として判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反にあたり、ひいては憲法第三一条、三二条、三七条一項、二項違反にあたる、というのである。しかしながら、右民事訴訟の対象となっている取引は『本件発覚後の平成二年以降のものである』上、所論指摘の各証拠は、結局は「私人間における民事訴訟の当事者として誰を選択したのか』ということを示すに過ぎず、『本件と直接の関連性がない』としてこれを取り調べなかった原審の措置が証拠の採否にあたっての裁量の範囲を不当に逸脱したものとは考えられない。」(原判決二〇丁裏~)

既に検討した証拠上、豊商事と礼幸との間の取引が清算終結され、これによる収益金(清算金)が動いたのは、平成二年五月だけである。昭和六三年の取引損益が、ここに現れているのである。それを検討せずに、被告人が利得した証拠がないのに被告人の利得だと判断することは審理不尽による不利益認定に他ならない。平成二年五月の収益金(清算金)が真実礼幸のために使われ、その収益を礼幸が享受したことは、平成二年五月以降の礼幸と岡地との取引内容及びその取引資金の流れを精査しなければわからないのである。このような証拠関係を勘案しないのであれば、礼幸の預金口座に豊商事から金二億六、五〇〇万円余、松本から金五、〇〇〇万円の入金があったことをもって直ちに礼幸に収益が帰属したと認定すべきである。原判決は、「疑わしきは被告人の有利に」という近代刑事法学の基本理念を忘れ、「わからないことは検事の言うとおり」という頭しかない。平成二年五月の清算金の使途は、本件の成否を決する事柄であり、これに関する証拠が『本件と直接の関連性がない』なとと論ずること自体、形式的証拠のみによって断罪する点で職務怠慢である。検察官において、敢えて昭和六三年一二月末以降の証拠を提出しないよう立証活動を展開しているのは、いわゆるベストエビデビンス主義によるものではない。検察官において都合の悪い証拠は公判に顕出しないというだけのことである。原審裁判所は、その程度のことすら見破れなかったのである。

八 結論

結局、右を総合すれば、原判決は、個々の事実認定の前提として、「被告人がどのような意味で礼幸の『実質的経営者』であったのか」を全く考察しなかった。その結果、法人の実質的経営者が当該法人のために為した取引行為に基づく所得のほ脱については、所得税法ではなく法人税法が適用されるとする前記最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであり、原判決は、破棄を免れないこと明らかである。また、礼幸の昭和六三年における取引損益(豊商事の無断売買に使われなかった金員は、松本預金口座で保管されていた)が、平成二年五月に、礼幸の収益として実現し、その金員が真実礼幸のために用いられた証拠を無視し、これに関する証拠の取調べも為さなかったことは、審理不尽と言わざるを得ない。

第四 法令違反

一 要旨

前記第一ないし第三に記した諸点につき、仮に憲法違反あるいは判例違反と断定することができないとしても、刑事訴訟法第三一七条違反、所得税法第一二条、法人税法第一一条及び同法第一五九条第一項違反となることは明らかであるので、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、かつ原判決判示の法令違反は、その瑕疵の程度が甚だしく、結局、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することが認められるべきものである。従って、刑事訴訟法第四一一条第一号に該当する事由が存する。

二 原判決の誤り

特に問題なのは、原判決が所得税法第一二条及び法人税法第一一条に規定する実質所得者課税の原則に違反していることである。

原判決は、「なお、所論中には、原判決(第一審判決)は所得税法一二条及び法人税法一五九条一項の解釈適用を誤っているとする部分があるが(控訴趣意書七頁ないし一〇頁)、その内容は、結局、本件の商品先物取引の主体が礼幸なのか被告人個人なのかという点に関する原判決(第一審判決)の事実認定の当否をいうものに過ぎないから、実質は事実誤認の主張と解される。」という(二丁表~裏)。控訴趣意書の記載は、そのように読み取る余地があるかもしれない。第一審判決は、如何なる法律解釈を為したのか全く不明であった。しかし控訴審における原判決は、法律上の問題点が存することが明らかになった時点において、なお、敢えて法律に違反している。この点において、原判決の法律上の瑕疵は、第一審判決のそれよりも、はるかに重大であると言える。問題は、所得税法及び法人税法の規定する実質所得者課税の原則とは何かを原判決が知らぬまま判決を言い渡したということであり、法人税法によって処理されるべき「実質的経営者」とは元来どのような者を指すのかを知らぬまま判決を言い渡したということなのである。「実質的経営者」については、前述第三において詳論したので、以下は、前者の点について述べる。

三 実質所得者課税の原則と虚偽仮装取引

実質所得者課税の原則は、何のために規定されているのか。有斐閣法律学全集第一一巻「租税法(新版)」(田中二郎著)八三頁によれば、次のとおりである。

所得税法(一二条)及び法人税法(一一条)は、実質所得者課税の原則を掲げ、資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられるものが単なる名義人であって、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、その名義人に対してではなく、その収益を享受する者に対して課税する旨を規定しているが、これは、「公平負担の原則」に則り、むしろ、当然のことを注意的に規定したものである。

要するに、租税負担は、実質的に公平であることが必要なのであって、その法形式又は名義がどうであれ、その経済的実質において、課税対象となるべき利益を享受しているものと認められる以上、その実質について課税することによって、「租税力に応じた公平課税」を期しているのである。

他方、実質所得者課税の原則と虚偽仮装取引との関係についての裁判例(東京地方裁判所昭和五五年一二月二日判決、税資一一九・二〇三三)を引用すれば、次のとおりである。

仮装行為による取引行為は、その法律行為が真に有効な法律効果の発生を期待してなされたものではなく、他の真実の法律行為を仮装するためになされたものであって、そこに事実を偽り虚構することになるため、「私法上は無効」であるから、かかる取引行為によっては権利変動をきたすことはない。従って、法律上の帰属と事実上の帰属(経済的帰属)とが異なることとなる場合は存しないから、右のような両者に違いが生ずる場合に適用されるべき税法上の「実質所得者課税の原則」は、仮装による取引行為によって生じた帰属関係の判定についは考慮する必要はない。……仮装行為認定の問題と「実質所得者課税の原則」とは両者その本質を異にする問題である。

四 本件における実質所得者課税の原則の適用

右に照らし、本件を検討するに、少なくとも被告人が礼幸名義でした取引につき、豊商事との間における虚偽仮装取引であるとの事実は存しないのであるから、礼幸の実質的経営者である被告人が礼幸の名をもってした取引として、私法上当然に礼幸に帰属する取引行為である。東京地方裁判所平成六年(ワ)第六、五二一号利得償還請求事件(原告・礼幸、被告・豊商事)は本件で問題とされている商品先物取引の損益が礼幸に帰属することを前提として訴訟審理がなされている。東京地方裁判所平成四年(ワ)第一九、四六七号差損金請求事件(原告・岡地、被告・礼幸外)も同様である。わかりやすく言えば、社長が会社名でなした取引行為それ自体が、会社の取引ではなく社長個人の取引であったとの前提で法を適用するのは、例外的な場合である。しかし、本件においては、礼幸イコール被告人と見る余地も存しないわけではないので、「公平負担の原則」及び「担税力に応じた公平課税」という観点(法律解釈)から「収益を享受したのはいずれであるか」(事実認定)を決しなければならないのである。

五 結論

右の点に関する原判決の内容は、誠にお粗末と言うほかない。

第一に、原判決一三丁(表・裏)は、実質所得者課税の原則について、規準にならない規準を示し、あげくの果ては、明らかに証拠の存しない事実を認定しているが、そもそも、実質所得者課税の原則を論じ、所得税法第一二条及び法人税法第一一条の法律解釈をなすに当たって、「公平負担の原則」ないし「担税力に応じた公平か税」の法理を全く理解していないことが判示内容から明白である。即ち、原審裁判所は、租税実体法における基本理念を無視しているのであるから、実質所得者課税の原則を論ずる資格がない。極めて端的に本件の問題解決を示せば、「被告人は、(礼幸のために)資金をつぎ込む人」、「礼幸は、被告人の努力によって収益を享受する法人」であった。従って、礼幸に租税を負担させずに被告人にこれを負担させるなどと解することは、「公平負担の原則」及び「租税力に応じた公平課税」という観点から絶対に許されない。

第二に、原判決は、実質所得者課税の原則と虚偽仮装取引との関係を全く理解していない。せめて、本件に関連する裁判所くらいは検索し、勉強すべきであった。原判決が仮装取引と判断した点は、重大な事実誤認の問題であるので、以下項を改めて論ずることとする。

第五 事実誤認(自白調書)

一 要旨

原判決の判示内容を精査すれば、結局、被告人の捜査段階における供述調書(第一審乙第一号証ないし第八号証)を全面的に措信し、これに添う証拠を採用し、これに反する証拠を無視ないし排斥したことは明らかである。しかし、被告人の捜査段階における自白調書は、その作成経過に問題があり、供述内容自体の不合理性及び客観的証拠との矛盾が存するものであり、これを全面的に措信し原判決は、捜査段階における自白を偏重し、もって、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をなしたもので、その瑕疵は極めて大きく、結局、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することが明らかである。よって、刑事訴訟法第四一一条第三号に該当する。

二 原判決の説示

原判決第一-一-2(一二丁表~裏)に説示された被告人の供述に関する部分を掲記すれば、次のとおりである。

1 一方、被告人の供述をみると、査察開始当初は、礼幸の口座で行ったのであるから取引は礼幸のものであり、岡地での礼喜等の口座を用いた取引は礼喜の取引であるなどと供述していたことが窺われるが、

2 検察官に対しては、一貫して、一連の取引は被告人個人のもので、同取引による商品売買益はすべて被告人個人に帰属するが、商品取引で上げた利益を被告人個人の所得として積極的に申告する意思はなく、万一、国税当局に発覚して納税しなければならない場合には、個人よりも税制上優遇されている礼幸や礼喜の所得として納税しようと考えていたことなどを供述していた(乙一ないし八号証)。

3 この被告人の検察官に対する各供述調書の内容は、前記認定の各事実とよく符号しているほか、全体として筋が通っており、十分な合理性を有するものと認められ、その信用性は高いというべきである。

4 他方、同供述調書の内容に反する被告人の原審及び当審公判廷における供述は、後述するとおり(所得の存否についてのみ後述されている)、多くの不自然、不合理な点があり、信用することができない。

三 査察開始当初の被告人の供述内容

原判決説示の自白の経緯には、実に疑わしいものがある。

1 まず、「査察開始当初」は、別件恐喝未遂事件において、被告人が参考人として取調べを受けていた時期と概ね一致する。そこで、別件恐喝未遂事件における被告人の員面調書は、被告人の自白の信用性を検討する大きな手掛かりとなる。商品売買益調査書(第一審甲第一号証)の一六丁ては、被告人は、平成二年三月八日及び同月二六日には、法人取引であることを主張していたにも拘らず、同年八月二一日に至って、「法人扱にしてもらえれば税金が安くなるので主張した」旨述べたことになっている。しかし、再伝聞供述であり、前後関係が不明であるので、供述としての信用性は甚だ低い。

2 別件恐喝未遂事件における平成二年四月一九日付け員面調書(控訴審甲第三〇号証)には、「私としては豊商事(株)上野支店での商品先物取引は私個人の取引ではなく、口座名義のとおり『有限会社礼幸』における法人口座の取引であると思っておりましたし、松本支店長にも『これは(有)礼幸の法人口座』と言っていたのでした。(有)礼幸は二月決算でしたので二月に閉めなければならないことから……」などと明確に記載されている。

3 また、平成二年四月二〇日付け員面調書(控訴審甲第三一号証)には、「私は、これは大変な事になったと思い、すぐに、(有)礼幸等の顧問税理士である『中央区日本橋人形町所在日本橋合同会計事務所石原税理士』に電話を入れ、この事を説明し、『(有)礼幸で昭和六三年度の商品取引の利益は四~五億円出ている』と話したところ、石原先生は、『四億円位が査察が入る境界の線になるから、なるべく多くの経費を計上した方がよい。経費を調べておいて欲しい』との指示を受けたのでした。」、「松尾は、二月中旬から末にかけ、『中国旅行』に行っていたのですが、松尾が帰国してからまもなく二人で『日本橋合同会計事務所』に行き、石原先生に対し、今迄の経過を説明するとともに『(有)礼幸の昭和六三年三月から平成元年二月までの昭和六三年度分の利益が四~五億になっている。現在の豊商事の口座の残高は二億六、〇〇〇万円位ある。』と報告し、石原先生から言われていた経費については、『(1)豊加商事における商品取引の欠損七、〇〇〇万円くらい(2)松尾経由で渡している金一億四、〇〇〇万円位(3)上野支店長松本洋勝に対する謝礼、情報収集料九、〇〇〇万円(4)相場をやるため自分が借入れた金の利息分若干、借入、ダイエーファイナンス八、〇〇〇万円、三菱銀行上野支店二、〇〇〇万円』であることを報告したところ、石原先生は、『早急に申告しなくてはならないいから、豊商事から資料を貰って欲しい』との指示を受けたのでした。」と記載されている。

4 即ち、右別件においては、「松本が横領などしていない」という点について被告人を押え込むことを主眼とする供述調書が作成されており、警視庁は脱税事件を管轄しないため、商品先物取引における所得の帰属については、比較的被告人の供述の任意性が保たれているものと思料される。もっとも検面調書(控訴審甲第三三号証及び第三四号証)では、検察官において、所得税法違反による査察調査がなされたことから、所得の帰属には直接触れない内容となっている。

5 犯則調査の段階における被告人の供述で、最も任意性が認められるのは、平成二年六月一四日付け上申書(控訴審弁第一七号証)である。この上申書は、全文直筆であり、捜査段階の流れから豊商事ないし松本とは対決しない内容となっているが、被告人自身が、直筆で、商品先物取引における所得の帰属につき語っているのである。即ち、右上申書には、「今回の事件は、私が、被告人松尾に、私の同族会社である有限会社礼幸(代表取締役社長井上多喜子は私の実妹です)と株式会社豊商事上野支店の松本支店長とのお金のやりとりのことを話したことがきっかけとなっており」、「礼幸が商品先物取引の情報収集費として、松本支店長に預け入れた金九〇〇〇万円につきましては…そのうち金五〇〇〇万円につきましては平成二年五月二二日、松本支店長から礼幸に振込送金により、返済されております。」、「礼幸が松本支店長名義で三井銀行上野支店に預金していた金一億三三〇〇万円のお金につきましては、すでに豊商事の正規の委託保証金に組み入れられたうえで、同社との先物取引委託契約をすべて終了し精算した結果、同社への委託保証金は合計二億六五二三万三五九三円と確定し、これは、平成二年五月一七日、豊商事より礼幸に振込送金により返還され、現在、礼幸名義の定期預金となっております。」、「豊商事と礼幸との金銭問題は、礼幸に全額返還されることとなり、現在では、すべて解決しております。」と明確に記述されているのであって、右の豊商事から礼幸への合計金三億一、五二三万三、五九三円という金員の流れは、客観的証拠たる第一審弁第一三号証及び第一四号証と符号しているのである。

6 それでもなお、右は、被告人自身が刑事責任を免れるために敢えて記載したものだなどと邪推するのであれば、さらに動かざる客観的証拠によって判断すべきである。昭和六三年一一月二二日から平成元年三月九日までの商品手帳(控訴審甲第一四号証)によれば、岡地に委託していた取引であるが、昭和六三年一二月末には、含み損の清算などを全くせずに、乾繭及び生糸の新規売玉を建てているのに対し、礼幸の決算日である平成元年二月末日には、銀の売手仕舞二三〇枚及び大豆の売手仕舞二〇枚をもって損切り清算し、礼幸の決算起算日である同年三月一日には、利益の出る建玉を手仕舞って、利益出しをしているのである(控訴審第二回公判期日における被告人の供述)。つまり、被告人は、右商品手帳に記帳していた当時から礼幸の決算期に合わせて利益の圧縮をし、即ち税務対策をしていたものであって、平成二年五月に至るまで礼幸の取引資金を豊商事によって管理されるなどという異常事態がなければ、商品先物取引による利益が礼幸の決算に計上された筈であることが客観的に明らかなのである。従って、自白の経緯からすれば、検面調書の信用性が高いなどと結論づけることはできない。

7 原判決が指摘する部分は、すべて検察官の筋書による作文にすぎない。単なる作文であるが故に、客観的証拠(右商品手帳・控訴審甲第一四号証)と明白に矛盾している。検察官において、押収物たる客観的証拠を精査し、これらについて被告人から十分な説明を受けていれば、本件は不起訴処分となった筈である。

8 そもそも自白調書の記載内容が真実であるとする原判決は、被告人らの礼幸という会社に対する熱い心を全く理解していない。昭和六二年二月末期において、被告人の経営者貸付は金六、五九一万円余、代表者多喜子の貸付は金二、二五五万円余、井上サメの貸付も金一、五〇〇万円であり、被告人ら三名の設立者は、いずれも個人資金の大半を礼幸につぎ込んで、礼幸の飛躍的発展に夢を託したのである(原審弁第一七号証)。脱税事件逃れのためのダミー会社に誰がこれほどの投資をするであろうか。被告人も、多喜子も、サメも、一度たりとも脱税を指摘されたことのない人物である。そして、礼幸設立に当たっては、当初より顧問税理士を依頼して、確定申告に遺漏なきを期しているのである。豊商事の犯罪行為により査察調査が実施されるまで、申告すべき所得学が判明しなかったのである。これを被告人の責任とすることは筋違いである。もとより、多喜子に責を負わせようとすることは、なおさら筋違いなのである。いずれにせよ、被告人は、口が裂けても原判決が引用する検察官調書記載内容の如き言葉を発することはあり得ない。

9 以下被告人の検察官に対する供述調書を検討するに当たり、被告人の真意を反映したと認められる証拠関係を無視してはならない。

(一) 第一に、右2の「私としては豊商事(株)上野支店での商品先物取引は私個人の取引ではなく、口座名義のとおり『有限会社礼幸』における法人口座の取引であると思っておりましたし、松本支店長にも『これは(有)礼幸の法人口座』と言っていたのでした。」(控訴審甲第三〇号証)との被告人の供述は、松本の第一審及び控訴審における証言とも一致するものであって、少なくとも松本の証言中措信しうる範囲において、被告人の右供述の信用性は高く、これに反する検察官作成の供述調書は信用できないということである。第一審五回公判期日における松本のこの点に関する証言を引用すれば、次のとおりである。(速記録四二丁~)。

有限会社礼幸の取引なんだということを、あなたに強く言っていたということでしょう。

はい、言っています。

それを、どう、あなたが認識するかは別にして。

はい、そうです。

有限会社礼幸の取引だから。

それは一二月以前の話で言っていました。

有限会社礼幸の取引なんだから有限会社礼幸として確定申告するのが筋なんだと、そういうふうにあなたに言っていたということでしょう。

言っています。

それは間違いないんです。

間違いないです。

それで、山田市郎名義のものについても、あなたは一月に損切りしているわけですよね。

はい。

そうすると、山田市郎名義のものについては、礼幸の建玉制限にひっ掛かったときの礼幸の取引を補充するものということであるなぱば、礼幸の決算期に合わせると、こういうことになりますね。

(うなずく)

そういう趣旨で一月に損切りをしたと、こういうことですか。

はい。

ということは、山田市郎名義のものについても有限会社礼幸の取引としてやっているんだし、そのとおり申告するんだということを被告人があなたに言っていたと、こう理解してよろしいですか。

よろしいです。

間違いないですね。

間違いないです。

とすると、そこまで言われたにもかかわらず、あなたがいまだに、あくまで、被告人井上個人の取引だったと、こう主張する理由はどういうことですか。

私は正直言って、どっちでもいいんですよ。…

右は、第一審における松本の証言であるが、控訴審においては、松本は、より明確に礼幸の法人取引であったことを証言したのである(原判決は控訴審における松本証言についても重大な事実誤認をしているので、この点は後に詳述する)。つまり、原判決は、「昭和六〇年一〇月二四日から、豊商事において、礼幸名義の取引口座(以下「礼幸口座」という)を開設して同名義による取引を開始したが、その際『今後は会社名義で取引したい』と述べただけで、実質的な取引主体をそれまでの個人から有限会社である礼幸の取引に変更する旨の特段の話をせず、その後主に礼幸口座で取引をしていたものの山田口座も残存させ、礼幸口座による主文枚数がいわゆる建玉制限を越える場合などに山田口座による取引を行っていた。」と認定するが、これは、単純なトリックであり、また言葉の遊びに過ぎない。松本の検面調書(第一審甲一一号証第四項)には、礼幸口座開設につき、被告人から、「礼幸は不動産賃貸をっている会社で、代表者は私の妹だ。今後は、節税のために会社『名義』で取引したい」と言われた旨記載されているが、調書を作成した検察官の単純なトリックである。つまり、『名義』という言葉を取り払えば、被告人主張のとおり、松本も「今後は、会社で取引する」旨当初から聞いていたことになるのであり、現実に公判廷において松本を尋問した結果を総合すれば、被告人は、当初から松本に対し、「今後は、礼幸という会社で取引する」旨伝えていたことは明らかなのである。してみれば、取引当事者間において、礼幸による法人取引であると認識していたことは、動かしがたい事実である。そもそも、被告人は、節税のため、真実礼幸の取引をなしうる立場にあった。従って、「本当は個人取引だが礼幸の名前を借りる」と被告人が考えた旨認定すること自体が、不合理で不自然なのである。

(二) 第二に、右3の被告人の員面調書(控訴審甲第三一号証)における「相場をやるため自分が借入れた金の利息分若干、借入、ダイエーファイナンス八、〇〇〇万円、三菱銀行上野支店二、〇〇〇万円」を礼幸の経費と認識していた旨の被告人の供述は、極めて重要である。被告人は、自らの名義で借り入れ、礼幸に投入した資金は、礼幸の資金であり、よって借入金利相当分は礼幸の経費として計上できる旨認識し、これを礼幸の顧問税理士に伝えているのである。これが被告人から礼幸への経営者貸付でないとすれば、この資金の性格をどう説明するのであろうか。原判決は、被告人の礼幸に対する経営者貸付を全面的に否定し、よって、取引主体を誤認し、所得の帰属を誤った違法判決である。経営者貸付に関しては、後述するとおりである。

(三) 第三に、右6の商品手帳(控訴審甲第一四号証)に記帳されているとおり、被告人は、岡地における礼喜名義の取引についても礼幸の取引として申告すべく、礼幸の決算期に合わせて損切り処理し、礼幸の節税のための利益の圧縮をして、礼幸の税務対策をしていた。逆に、被告人個人の税務対策をした痕跡は何もない。これは、客観的証拠に基づく真実であり、被告人が礼幸の確定申告に当たっての節税策を真剣に考えていたことをも裏付けるものである。被告人は、礼幸設立当初から税理士を依頼していたのであるから、企業経営者として、相応の税務対策についての知識を有していたのである。原判決は、このことを理解していない。

四 原審乙第一号証

1 被告人が逮捕された当日である平成四年二月一〇日付け検面調書であるが、その記載内容は、逮捕前の数回にわたる任意の取調べにより、予め準備されていたものである。

2 右の任意の取調べに際しては、被告人は、本件商品先物取引が礼幸の取引であった旨供述し、一貫して被疑事実を否認していたのである。その片鱗は、右調書第五項に残された。被告人は、前述第三-三のとおり供述していたことが、かろうじて証拠として残存しているのである。すなわち、

<1> 被告人は、医師としての医療行為と営利事業とを截然と区別することとした。

<2> 被告人が行う営利事業については、これを個人事業とすることをやめて、会社を設立し、会社の事業とすることとした。

<3> そのために、昭和五九年、被告人が出資して礼幸を設立した。

<4> そして、被告人は、礼幸の実質的経営者となった。

と被告人が供述していたことは、調書の記載上明白である。真実被告人が供述したところ調書化していれば、「ゆえに、営利事業たる商品先物取引は、礼幸の事業として行ったもので、取引主体は礼幸である。」記載される筈であるが、それでは、起訴できないので、現実に被告人が供述していた結論部分は調書化されなかったにすぎない。

3 右調書化された範囲内に限定しても、右<1>ないし<4>は動かしがたいものであって、それは、原判決が「検察官に対しては、一貫して、一連の取引は被告人個人のもので…」と認定したのが、誤りであることを明らかにする証拠なのである。

4 右調書には、被告人の真実の供述を覆い隠す記載がある。第七項に「私は、昭和五八年から商品取引会社である豊商事上野支店で『山田市郎』という仮名を使って商品取引を行っていたのですが、昭和六三年に入ると、相場が当たり出し」と記載がある部分である。客観的証拠上明らかであり、かつ争いのない事実であるが、山田名義の取引で相場が当たったわけではない。礼幸(名義)の取引で昭和六三年から利益金を出すようになったのである。にも拘わらず、「山田市郎」名義で昭和六三年に入り相場が当たり出したかの如く記載されているのである。このことも、被告人が「礼幸の取引だ」と主張していることを表面化させないよう、逮捕前に、被告人の言い分と調整する内容の作文がなされていたとこを推認せしめる。

5 右調書第七項に「昭和六三年五月ころから上野駅前の『ホテルレインボー』に山田市郎の偽名を使って宿泊するようになりました。」と記載されている点は、客観的事実と一致する(第一審第六号証・事務所費調査書)。しかし、被告人が任意で取調べを受けていた段階の供述とでは、ホテルレインボーに宿泊するようになった理由が異なる。被告人は、昭和六三年四月に礼幸の取引資金及び取引口座のすべてを豊商事に乗っ取られ、同年五月一日には、診療のほかに中央区日本橋にある岡地東京支店において礼幸本来の商品取引をやり直す必要に迫られ、身体の疲れを少なくする意味で診療所に近いホテルレインボーに宿泊することとしたのである。現に、客観的証拠上、岡地東京支店における取引は、同年同月七日から開始された。岡地東京支店までほぼ毎日出向く必要性がなければ、被告人にとっては、上野駅前の診療所と、診療所の直近にある豊商事上野支店と、上野駅近くの銀行しか行動範囲がないのであるから、敢えて、ホテルレインボーを定宿とする必要は何もなかったのである。検察官は、被告人の真実の供述との調整を計るために、「また私個人所有及び『礼幸』所有の賃貸マンションの賃料が銀行振込されているか確認するため、預金通帳を持って銀行回りをしていました。」などと記載したのである。

6 しかし、逮捕されてきた被告人は、検察官が右の如く種々気を回すほど強くはなかった。被告人は、検察官の「あなたが否認するから逮捕した。否認し続けるなら保釈でも出られない。」との一言で乙第一号証に署名・指印した。被告人は、気が弱いから負けたのではない。毎日、自分の診療を待っている患者たちに思いを致し、一刻も早く自由の身にならなければならないと考えたのである。被告人が、国税局からの執拗な追及により修正申告したのは、修正申告し一部でも納税すれば逮捕しないとの国税局担当官の言葉に望みを託したからであるが、被告人にとって身柄拘束は診療ができなくなるという耐えがたい苦痛を伴うものであった。また、第一審で早期保釈を得られるよう概ね公訴事実を認めるかのごとき認否をしたのも、被告人が一刻も早く診療を再開したいと考えたからであった(第一審保釈許可申請書参照)。

五 原審乙第二号証

1 この調書は、被告人が逮捕された同日に、乙第一号証とともに署名指印させられたものである。検察官は、逮捕した日に被告人の自白調書(?)に被告人の署名を取り付けることに成功したのである。

2 しかし、その供述内容は、到底合理性の認められるものではない。調書記載によれば、

(一) 礼幸名義の商品取引を開始するに当たり

<1> 私個人の資金を証拠金として入金した。

<2> 私個人の仮名口座である「山田市郎」名義の口座から証拠金等を引き出して、その金を礼幸名義の証拠金として入金した。

(二) 結局、私個人の資金を使って礼幸名義で取引した。

(三) よって、礼幸名義の取引は、私個人の取引に間違いありません。

というのが自白内容である。ところが、被告人は、被告人の個人資金を礼幸に投入することは、当然であり、それは、経営者貸付として礼幸の資金となるとの認識を持っていたのである(控訴審甲第三一号証、前記三-9-(二))から、被告人が、個人資金を使ったから個人取引だなどと供述する筈がないのである。検察官としても、合理性のある、自白内容の信用性に疑いなき供述調書を作成するのであれば、「礼幸名義の商品取引による利益は、実は、すべて私個人の利益となったものですから、礼幸という名前を使ったにすぎず、現実には、私個人の取引だったのです。」と調書化したいところである。ところが、被告人個人が利得した証拠が存在せず、むしろ、礼幸の三菱銀行上野支店における普通預金通帳(第一審弁第一三号証)、自由金利型定期預金通帳(同弁第一四号証)によれば、平成二年五月に至って、礼幸が金三億円を超える収益を豊商事及び松本から取得したとの証拠しか存しないのであるから、合理性ある自白調書など作成できる状況になかった。そこで、検察官は「被告人の資金を使って取引したのであるから被告人の取引である」との論法による自白調書の作成により、「実質的に利得したのは誰か」という問題を直接解明することを当初から放棄したのである。

3 言うまでもないところであるが、脱税犯に対する処罰は、所得をほ脱した者に対する処罰なのであって、被告人の検面調書は、「所得」即ち、収穫を獲得したことを一貫して自認していないのであるから、所得税法違反の構成要件たる事実を自白した調書ではない。被告人が検面調書に署名したのは、早期釈放を期待しただけであり、被告人は、検察官の主張する論理によって現実に処罰されることはあり得ない、裁判においてそのことが明らかになるものと確信していたのである。端的にいえば、被告人の論理的思考能力は抜群である。そのことは、被告人の学歴、職業のみならず、本件公判廷における被告人の供述内容から明らかである。被告人は、「あなたが金を出した取引だからあなたの取引だ」と主張する検察官に対して、後にその論理が誤りであることはいくらでも論証できると考えたからこそ、敢えて逆らわず、早期釈放のために署名・指印したにすぎないのである。

六 原審乙第三号証

1 この調書は、平成四年二月一七日付けである。原審乙第一号証及び第二号証の作成日が同月一〇日であるから、丸六日間も被疑者調書が作成されなかったことになる。この種事案において、真実被疑者が自白しているとすれば、これほど間が空くのは不自然である。当職の検事としての経験に鑑みても、特捜部が扱う事件で、しかも本件の如く巨額脱税と言われる案件については、事案が複雑であるのは当然であり、事実上、二〇日間の勾留は約束されている。早期に自白を得て、日を負うごとに自白供述の内容が具体化され、関係者の供述との矛盾点も解消されていくというのが通常の自白事件の流れである。しかも、証拠物の検討(いわゆる物読み)や被疑者の供述と調整する必要のない参考人の取調べは、被疑者の身柄を拘束する以前にすべて完了させている筈である。また、東京拘置所内での被疑者の取調べであるから、裁判官の勾留質問がなされる日でも、夕方からは取調べをするのが通常である。むろん、身柄拘束期間中、担当検事に日曜日はない。してみると、六日間の空白は、やはり不自然である。この間、被疑者以外の参考人の取調べをなしていた形跡はない。実は、この間、被告人は、検察官の立論を批判し、犯行を否認していたのである。被告人の主張は、単純であった。「私は、礼幸の経営者として、礼幸に資金を投入して礼幸の取引をしていた。私が投入した資金は礼幸の資金にはならないのか。現実に、平成二年五月には礼幸が豊商事及び松本から三億円以上の振込送金を受け、これは、礼幸において確定申告している。私は、確かに礼幸に資金を投入したが、これからという時に取引を乗っ取られてしまったので、私には何の利得もなかった。それなのに私が、脱税したと言われるのは納得できない。」右が、当時(現在でもそうであるが)の被告人の主張の骨子である。これに対して、検察官は困惑した。脱税する必然性(動機)が合理的に説明できない。豊商事の無断売買にまで手を広げたら収集がつかなくなる。別件恐喝未遂事件の調書を公判で使う必要が生ずる可能性もあるので、同事件と矛盾する処理はできない。検察官の悩みは、さぞ深刻なものであったと推測される。しかも、本件担当検察官は、東京地方検察庁特別捜査部の「事務取扱検事」で、他庁から応援として派遣された検事であり、脱税事件の処理には不馴れであった。(ちなみに、公知の事実であるが、当時、特捜部は、いわゆる「茨城カントリークラブ事件」について、史上最高額の法人税法違反事件として立件し、次いで、被害者が五万人を超える大規模詐欺事件として起訴すべく、同事件の捜査に総動員体制を敷いていた。)そこで、検察官が、六日間の空白を打開すべく考えたのは、ある程度妥協した調書を作成することであったが、被告人を黙らせたのは、やはり、検察官の「調書に署名しなければ、いつまでたっても釈放されないぞ。」という脅し文句であった。

2 供述内容をみると、まで、被告人の願望するメディカル・エレクトロニクス事業の内容、その事業資金蓄積のために不動産賃貸を始めたことなどが記載されており、その内容は、被告人が供述したものであるが、結局、メディカル・エレクトロニクス事業に対する被告人の願望は、後の供述内容と何ら関連性がなくなり、単なる被告人の夢として語られただけのものとなっている。

3 供述調書第四項には、昭和五五年当時のこととして、マンション購入資金につき、「しかし、借入金ですから、当然利息を支払う必要があり、借入金額が増えるにつれて、その支払利息額も増えていくので、利息の支払いだけでも馬鹿にできないと思っていました。」と記載され、商品取引を開始したことについては、「商品取引で儲けた金を不動産購入資金に充てれば、借入金をしなくても済むので、多額の利息の支払に追われることもないと考え、商品取引を行うことにしたのです。」と記載されている。記載内容は、被告人の供述に基づくものである。ここで、第一審第一号証第五項から引用すれば、被告人は、検察官に対し、「礼幸は、マンション及び土地を所有しており、そのマンションを賃貸して年間合計約二、〇〇〇万円位の賃料収入を得ていますが、その反面、四億円を超える借入金があり、その支払利息が年間合計二、五〇〇〇万円位あるので、設立以来、赤字決算になっています。」と供述している。

第一に、被告人は、昭和五五年当時から借入利息の支払に追われていると強く感じていた。同五九年に礼幸を設立したのちは、礼幸が不動産を取得することとなったが、支払利息に追われ、常時赤字であった。ここでは、借入金利息について供述しているが、本件において重要なのは、預金利息についての被告人の考え方である。第一審弁第一三号証、第一四号証から明らかなのは、平成二年五月一七日、豊商事から礼幸に対し、金二億六、五〇〇万円余の振込がなされた際、被告人は、即日、金二億六、五〇〇万円を礼幸の定期預金とした。同月二二日、松本から礼幸に対し、金五、〇〇〇万円の振込がなされた際にも、被告人は、同様に、即日、全額を定期預金とした。また、礼幸の昭和六二年二月末期確定申告書控(原審弁第一七号証)と同六三年二月末期確定申告書控(原審弁第一八号証)との比較から、礼幸が三菱銀行及びダイヤモンド抵当証券から合計三億六、八六八万円余を借入れた際、被告人は自らの公表している経営者貸付金を礼幸から返済されたが、その資金は、直ちに三菱銀行において定期預金としていた。つまり、被告人は、少しでも有利な資金運用をしようと考える人間であり、経済感覚は、一般社会人と同等であって、特段に吝嗇という訳でもないが、松本の供述、証言のように、いくらでも人にくれてやるなどという狂った経済感覚は持ち合わせていないのである。謝礼ないし情報収集料などとして松本に金九、〇〇〇万円を被告人が任意に渡したなどということはありえない。ことに、控訴審において提出された検察官の平成七年二月八日付け証拠説明書(四)においては、多額の定期預金利息を松本が領得した事実が明らかにされたが、被告人は、豊商事(松本)に礼幸の取引資金を乗っ取られて以降、礼幸の資金がどう運用されていたかを把握できる立場になっかったものであり、検察官が示した真実に、被告人も弁護人もただ驚いただけであった。松本は、「預金利息なんていらないから支店長使ってくれと言われた」などと証言するが、自らの横領行為の責任逃れのために被告人を「気前の良い人」にでっち上げたにずぎない。

第二に、検察官は、原審乙第一号証においては、礼幸を設立した経過を供述調書に残したにもに拘わらず、商品取引との関係では、敢えて、「昭和五五年から個人で商品取引をしていた」との点を強調する調書を作成している。被告人は、「営利事業は会社でやる」と考えると同時に、「営利事業は会社でやらなければ税務対策にならない。」と考えたのである。それ故に昭和五九年三月に礼幸を設立し、当初から税理士を依頼していたのである。調書に記載されている「商品取引で儲けた金を不動産購入資金に充てれば借入金をしなくても済む。」との被告人の供述は、税金を一切支払わないことを前提としているように読めるが、商品取引で儲けた金を申告せずに不動産購入資金に充てれば、脱税が発覚する可能性は一〇〇パーセントであると断言できるし、被告人にその程度の知識もなかったとの趣旨であるなら、あまりにも被告人を馬鹿にした話である。礼幸設立時点では、被告人は、礼幸に不動産を取得させようとしていたものであるし、現実に、礼幸が短期間に都内の優良な不動産を取得したことについては争いがない。昭和六〇年一〇月以降は、礼幸に不動産を取得させる資金(及び借入金返済資金)を作るために商品取引を開始したのであるから、商品取引の主体も被告人個人ではなく、礼幸であったと考えるのが当然である。

4 供述調書第五項では、敢えてエース交易の無断売買につき記載し、逆に、豊商事(松本)の無断売買を主張する被告人の供述を封じ込めている。

5 供述調書第七項では、昭和五八年二月の豊商事上野支店における初めての取引は「東京ゴム」であったと記載されているが、同年に被告人は東京ゴムの取引をした事実はない。山田市郎名義の東京ゴム取引についてのイタ勘を示したと記載され、調書末尾にこれが添付されているが、被告人は、検察官からこれを示されたことはない。

第一に、右は、豊商事上野支店における初めての取引である。記憶力の良い被告人が、豊商事上野支店における初めての取引の商品名を間違って供述する筈がない。被告人の供述をそのまま調書化することは、検察官手持ちの物証と矛盾することとなるので、検察官は、被告人の供述を虚偽と断定し、手持ちの物証に基づいた供述調書を作成せざるを得なかったのである。真実を述べれば、被告人は、昭和五八年二月二五日に初めて豊商事上野支店に赴き、同日、東京砂糖の取引を委託し、そのための委託証拠金として現金一二〇万円を入金した。しかし、豊商事上野支店では、当初から被告人をいわゆる「客殺し」の対象とし、被告人が入金した委託証拠金は、被告人が委託していない東京ゴムの取引に無断で流用された。この真実は、これを裏付ける客観的証拠によって述べているものである。本書添付の資料一は、山田名義による東京砂糖の取引(昭和五八年二月二六日~昭和六〇年九月四日)についてのイタ勘であり、資料二は、山田名義による東京ゴムの取引(昭和五八年二月二五日~昭和五八年九月九日)についてのイタ勘である。資料一及び資料二は、被告人が委託者とされている(礼幸設立前の)取引であるから、被告人において、適法に豊商事上野支店から入手したものであり、これらについては、正式には、差戻審において証拠調べを請求する予定である。

第二に、調書上、「山田市郎作成名義の承諾書…を被疑者に示し、…」と記載されているが、被告人は、検察官からこれを示されたことはない。東京ゴム取引についてのイタ勘を示された事実がないことは前述のとおりである。そして、この点は、第一審第五回公判期日における松本の証人尋問において、問題が表面化した。右期日の証人尋問調書速記録三〇丁裏以下を引用すれば次のとおりである。

「検察官請求証拠当関係カード甲番号一一、平成四年二月二五日付検察官に対する供述調書添付の承諾書(写し)を示す

これは豊商事の定形の書面ですか。

そうです。

取引の最初のときに取引をする人に署名してもらうと。

そうです。

ここの山田市郎というのは、被告人の字だということですね。

そうです。

検察官請求証拠等関係カード乙番号三、平成四年二月一七日付検察官に対する供述調書添付の委託者別先物取引勘定元帳三九頁を示す

今の承諾書に基づいて東京ゴムの取引がなされたのは、通称イタカンと言うんですかね、これは豊商事で作成するものですよね。

そうです。

ちょっと分からないんで教えてほしいんですけれども、この一番最初の取引はどういう中身になるんですか。

五八年二月二五日の日、一の二と書いてありますね、これは一二と読むんじゃなくて、一が前場ということなんです。前場の二節、それで数量が一〇枚、二三〇円ちょうどで買いましたということです。それで、手数料がこれだけと。そして、これを次の日の二六日の前場の一節で、同じ枚数を二二四円二〇銭でお売りになったと。それで手数料を出てます。

それでは、その要領で次の行を説明して下さい。

五八年二月二五日の後場の一節、五枚、二三〇円八〇銭で買われたと、そして二六日の前場の一節に二二四円二〇銭で売られたと。

三行目は。

五八年の三月九日、前場の一節で二枚を二五三円五〇銭で買われたと、そして後場の二節でお売りになられたということです。

何かおかしいと思いませんか。

別に、全然おかしいと思いませんけれども。

この東京ゴムの取引は、昭和五八年二月二五日に前場の二節に一〇枚、そして同じ日の後場の一節に五枚、合計一五枚を買って、翌日の二月二六日の前場の一節でわざわざ損をして売っているんですね、こういう取引ってありますか。

だけど、これは本人がなさった取引です。

だから、おかしいでしょう。

おかしいかおかしくないかは分かりませんけれども、本人がなさった取引です。

わざわさ損をするような取引であることは間違いないですね。

結果的に見ればね。

三行目いきましょう。これは、昭和五八年の三月九日の前場の一節に買ったものを、当日の後場の二節に売ってわざわざ損している。こんなことする人いますか。

だから、先程から申し上げているように、私どもの意見でやったわけじゃないです、このお客さんは。

非常にばかげた取引であるということは分かるでしょう。

……。

先程の甲一一に添付されている承諾書をもう一度見てください。この東京ゴム取引所というのは、サインするときにきちっと入っていたんですか。

入ってます。

絶対間違いないですか。

はい。先にサインしてもらってますから。

印紙もきちっと張るんですか。

はい。

よく見て御覧なさい、この印紙には山田の判子押してないじゃない。今のあなたの説明によれば、当然に取引所名、東京ゴム取引所というスタンプを押して、印紙を張って、それに山田さんに署名をしてもらった後に判子も押してもうらんでしょう。

だと思います。

じゃあ、どうしてこういうものができるんですか。

知らないですね、これは。

この、済というスタンプは何ですか。

……僕も分からないです。

少なくとも、この山田市郎の署名をして判子を押したときに印紙に消印してないことは間違いないですね。そうすると、印紙を後で張ることだってあるし、ゴム印なんていつでも押せるわけでしょう。

そう言われればそうでしょうね。

被告人は、東京ゴムの取引は昭和五八年二月にはしていないと言うんですよ。

ですから、その辺のところは私も記憶ありません。だけど、してないやつの金の受渡しは全部本人がなさっているやつです。

これは全部損をした取引だからね。

全部損をしたというよりも、五三年から、この間、私が話すまではほとんど損の取引だと思います。本人がやったやつは。」

記録には現れていないが、右尋問につき、第一審裁判長は、突如激怒した態度をあらわにし、弁護人に対し、「本件と何の関係もない昭和五八年の話を取り上げて鬼の首を取ったかの如き尋問をするのはやめなさい」と言い放ったのである。従って、弁護人は、これ以上松本を追及することができず、尋問内容を変えざるを得なかったものである。結局、被告人の検察官に対する右調書添付のイタ勘は豊商事における委託者の取引口座を無断で使用したいわゆる日計り商い取引がなされていたことを証拠づけるものであり、このイタ勘(検察官においてコンピューターのイタ勘と称するもの)と、資料二のイタ勘とは記帳内容が異なっているのである。

第三に、調書上、「お示しの委託証拠金現在高帳を見ると、二月二六日にゴムの証拠金として現金合計一二〇万円を入金したことになっていますが、この証拠金を入金した日は、私の記憶では取引開始日である二月二五日です。」、「私は、豊商事上野支店においては初めての取引であり、私の方から事前に証拠金に充てる現金を持って同支店へ出かけて行き、その持参した現金を証拠金として当日入金して取引を開始したという記憶です。」、「最初の取引の証拠金を翌日入金したという記憶はありません。」と記載されている。これは、検察官が被告人の供述(東京砂糖の取引についての供述)と手持ちの物証との矛盾に悩み、結局、取引商品については、物証上、東京ゴムであったのでその旨記載したものの、証拠金入金前に取引がなされたのは不合理だと考え、物証の記帳内容を採用せず、証拠金入金の日についてだけは被告人の供述を採用したということである。この点だけを見ても、検察官が、特捜段階から豊商事作成の物証を全面的には信用していなかったことが伺われる。ところで、資料二によれば、金一二〇万円の証拠金入金の日は、「五八年二月二五日」と明確に記帳されている。そして、「五八年二月二六日」に「東京砂糖 証へ 六四万円」と記帳され、資料一によれば、「五八年二月二六日 東京ゴム 証より 六四万円」と記帳されており、この委託証拠金に基づいて、昭和五八年二月二六日に五枚、同月二八日に一〇枚の買付けがなされた旨記帳されている。つまり、豊商事は、昭和五八年二月二五日、被告人から「東京砂糖一五枚買い」の委託を受けたが、承諾書には「東京ゴム取引所」のゴム印を押して、同日、委託証拠金を東京ゴム取引に流用し、翌日、委託証拠金の一部を本来被告人が委託した東京砂糖取引に振替え、若干日がずれたものの、被告人の指示を無視すれば、直ちに無断売買が発覚することとなるので、東京砂糖一五枚の買建をした。このトリックについては、被告人は気が付かなかった。被告人が疑問を持ったのは、起訴されたのちのことであった。この砂糖の買玉一五枚は、同年八月二四日に手仕舞い、手数料引き後の利益が、金三四九万一、〇〇〇円生じたことが資料一から明らかである。

6 供述書第八項では、主として被告人の昭和五八年における脱税が調書化されている。検察官としては、被告人が本件で脱税した動機を合理的に調書化することに苦心していた。ところが、たまたま、昭和五八年には計算上五〇〇万円くらいの商品取引による利益が出ていたことになると誤信した検察官は、被告人が脱税犯としての傾向性を持つことを調書化して、本件が被告人による脱税であることを容易に立証できるよう企図した。しかし、これは、検察官の思いつき、思い込みによるものであって、真実とはかけ離れた供述調書となった。

第一に、調書には、「私は、豊商事上野支店における山田市郎名義の商品取引により、昭和五八年の五月と八月に東京砂糖の相場が当たって合計五、〇〇〇万円くらいの利益が出たのですが、その利益を証拠金として投入し、取引を継続したところ、翌九月に相場が外れて四、〇〇〇万円以上の損を出しました。」と記載されている。ここで重要なことは、昭和五八年九月一九日、被告人が帳尻損金二五〇万円を現金で支払って、いったん、豊商事における商品取引を清算終結したということである。資料一の損益の清算状況欄を見ると、昭和五八年九月一九日に金二五〇万円が入金となり、東京砂糖取引の帳尻損金一二八万五、〇〇〇円が支払われ、いずこかに金一二八万五、〇〇〇円が振替えられて、いったん損益が完全に清算された。そして、継続取引の計算による終結として、豊商事は、金二五〇万円の領収証を発行し、被告人に手渡した。ここで、留意すべきは、本件において、豊商事が領収証を発行したことが証拠化されているのはこの一通の領収証についてだけであるということである。本来、礼幸、山田口座へ帳尻損金が入金された場合には、豊商事が領収証を発行しなければならないのに、これが発行されたことはなかった。本件において、領収証として証拠調べがなされたものは、すべて礼幸、山田側からの差入領収証であり、その領収証記載において、証拠金入金や、帳尻金入金が処理されていた(例えば、「何々利益金を何々証拠金へ」と処理し、証拠金によって帳尻損が埋められたことについては領収証を発行しない)というのは、取引通念からみて、異常である。右に、金二五〇万円の領収証は証拠化されている旨記載したが、その証拠とは、原審甲第一号証二三丁である。これには、「昭和五八年九月一九日豊商事(株)発行山田市郎宛二五〇万円の領収証(井上禮二居宅押NO1)について、(被告人の母井上サメは)『領収証は、禮二の関係の領収証ですので、私にはわかりません。』」との記載がある。これが、昭和五八年九月一九日の商品取引清算終結を物語っているのである(控訴審第一二回公判期日における被告人の供述、速記録三五丁~)。ところが、資料一によって明らかなとおり、豊商事は、被告人から、すべての取引の手仕舞による終結及びその清算を指示されたにも拘わらず、若干の残玉を手仕舞せず、これをもって、昭和五八年九月二〇日以降も(東京砂糖について言えば昭和六〇年九月四日まで)、山田市郎名義の口座を用いて取引していた。これまた、無断売買である。つまり、豊商事は、会社の体質として、委託者の口座を乗っ取って、その口座を用いて裏取引を行っていたということが、昭和五八年の段階から証拠上明白なのである。従って、被告人の供述調書に記載されている昭和五八年の東京砂糖の取引利益が存在したとの点は、同年九月二〇日以降豊商事の無断売買が敢行されていたとの点を抜きにしては語れないのである。しかし、検察官は、そのようなことには気付かず、被告人は、豊商事上野支店における東京砂糖の取引で、昭和五八年中に金一、〇〇〇万円弱の利益を得たと認定した。ちなみに松本の平成四年二月二五日付け検面調書(第一審甲第一一号証)添付の売買損益に関するメモによれば、山田名義の昭和五八年一二月末の合計利益は、金五三〇万七、一〇〇円と記載されている。おもしろいのは、ここでは、東京ゴム取引による損は調書に記載されていないということである。ここでも被告人の真実の供述と帳尻を合わせながら(検察官としては、多少妥協しながら)調書が作成されたことがうかがわれるのである。

第二に、調書には、「結局、昭和五八年は、トータルすると五〇〇万円位の利益が出た」と記載されている。その計算の根拠は、右松本調書添付のメモであろう。そして、昭和五八年の商品取引利益の不申告による脱税をしていたとの作文調書となっている。しかし、右は、立論自体、計算違いである。調書に添付された被告人のリース交易(株)宛て念書によれば、(無断売買損であるが)「帳尻損金三〇七万二、九〇〇円」と記載されており、被告人がこれを支払わなかったことから、右金五〇〇万円余の利益を現実に被告人が享受したものと即断してしまったのである。しかし、これは大誤算である。エース交易の最終帳尻損は、差入証拠金を相殺したのちの金額であるし、取引中に相当額の追加証拠金入金、帳尻損金の支払が存したのであり、昭和五八年におけるエース交易での現実の損金は、優に金一、〇〇〇万円を超えていたのである。従って、客観的に、「五〇〇万円位の利益」など存しなかった。むしろ、被告人は、昭和五八年の商品取引においては、相当額の損をした。そして、被告人の認識としても、当然のことながら、昭和五八年の商品取引で利益が出たなどと考えたことはなかった。よって、検察官が作文した昭和五八年の商品取引利益についての脱税という供述部分は、その前提において客観的事実に反し、被告人が供述する筈のないものである。

第三に、調書には、「私は、昭和五九年も豊商事上野支店において、山田市郎名義で商品取引を行ったのですが、この年はトータルすると三、六〇〇万円位の損を出しました。」と記載されている。これは、松本調書添付のメモを参考にしたものと思料される。しかし、被告人は、昭和五九年には商品取引をしていない(控訴審第一二回被告人供述調書速記録三六丁)。被告人にとって、昭和五九年というのは、礼幸設立の年という意味で、特別な年であった。つまり、会社を設立して、その会社において営利事業を行う出発点だったのである。礼幸の昭和五九年度確定申告書控(第一審弁第一五号証)借入金及び支払利息の内訳書によって明らかなとおり、礼幸は、設立初年度において、マンション七物件を購入し、ローン会社等から融資を受けた。これらの物件捜し、売買交渉、融資先との折衝、所得物件の賃貸交渉、契約締結等は、すべて被告人が礼幸の実質的経営者としてなしたものである。被告人の礼幸に対する投資額は、金二、〇〇〇万円とされているが、礼幸に対する簿外の経営者貸付はこれに止まらない。さらに、右確定申告書の仮払金の(前渡金)の内訳書により、建築中の物件の購入のため、売買代金や手付金を仮払していた状況も明らかである。(株)リステルについては、同社の建築、経営するビジネスホテル五室の購入であり、礼幸は、昭和五九年三月から同六〇年二月末までに、一五物件の不動産を取得あるいは売買予約し、そのための融資も取り付けたのであった。即ち、被告人は、昭和五九年中に、礼幸の設立準備、設立、そして不動産取得、賃貸をなし、ほぼ一年間で礼幸の実体を作り上げたのである。むろん、この間も本業である医師としての診療は休んだことがないのであって、被告人には、昭和五九年中に商品取引まで行っている時間はなかった。資料一では、被告人が山田名義で昭和五九年も(昭和六〇年九月四日まで)東京砂糖の取引をなしたかの如く記載されているが、豊商事の裏口座とされたものである。昭和五八年九月一九日に取引を清算終結した後は、被告人(が使用していた貸机業者)宛に豊商事から何らの通知もなかったのである。従って、右清算終結以降の山田名義の取引については、被告人は全く知らなかった。調書には、「この年(昭和五九年)はトータルすると三、六〇〇万円位の損を出しました。」などと記載されているが、被告人は、かような取引の存在すら知らず、損金の清算を豊商事から求められたこともない。この損金を誰が、どのように支払ったのか(あるいは豊商事自身の損であったのか)、被告人は知らない。むろん、被告人が右損金を支払ったなどという証拠はどこにもない。従って、右調書記載部分は、客観的真実に反するとともに証拠に基づかないものである。勿論、被告人が自分の知らないことを検察官に供述することなど考えられない。

7 供述調書第九項では、被告人が礼幸名義を使って商品取引を行っていた状況や商品取引による収益を申告する意思が存しなかったことなどが記載されている。右調書には、「私は、先に話したとおり、昭和五五年からマンションを購入し、それを賃貸して賃料を得るという形で不動産業を行っていたのですが、医師の身分を有する私が、不動産業という営利事業を営んでいることが世間に知れると、医師としてのモラルを問われ、悪い評判が立って、診療収入が減るおそれがあると考え、昭和五九年三月に不動産業等を目的とする有限会社礼幸を設立し、礼幸名義でマンション等を購入して賃貸するようになりました。そして、私は、昭和六〇年一〇月二四日に『豊商事上野支店』において、山田市郎名義の取引口座のほかに『有限会社礼幸』の名義を使って取引口座を設け、この礼幸名義でも商品取引を始めました。私が仮名である山田市郎名義での商品取引のほかに、礼幸という会社名義を使って商品取引を始めたのは、商品取引における建玉制限を免れるという目的もありましたが、主たる理由は、商品取引によって利益が出た場合、税金面で個人より法人の方が有利な取扱となっているからです。」、「…税制上法人の方が個人より優遇されていることは知っていました。」、「同じく税金を納めるとすれば、個人の所得として所得税を納めるよりは、会社の所得として法人税を納めた方が納税額が少なくて済み、それだけ商品取引に投入できる証拠金が増えるので私にとって得策だと考え、私の商品取引が国税当局に発覚した場合の税金対策として会社である礼幸名義を使って商品取引を始めたのです。」、「このようにして、私は、昭和六〇年一〇月から豊商事上野支店において、山田市郎名義のほかに礼幸名義をも使って商品取引を始めたのですが、国税当局に発覚した場合の税金対策が主たる目的であったことから、主として礼幸名義を使って商品取引を行い、山田名義を使った取引は、礼幸名義の取引が建玉制限に引っかかる場合に行う程度にしました。」などと記載されている。

しかし、第一に、右供述調書記載内容は、それ自体自己矛盾している。被告人は、「医師としての医療行為と不動産業等の営利事業」とを截然と区別するために、「会社を設立して、その会社を通じて不動産業等を営もうと考え」、礼幸を設立した、というのがもともとの供述内容である(第一審乙第一号証第五項)。検察官は、「昭和五九年三月に不動産業等を目的とする有限会社礼幸を設立し、礼幸『名義』でマンション等を購入して賃貸するようになりました」と記述して、あたかも、不動産取得等も礼幸の名前を使った被告人の個人取引であるかの如き調書とし、続いて「礼幸『名義』」の商品取引を開始した旨記述して、被告人が、礼幸という法人格を悪用して、不動産取引、商品取引といった営利事業を行ったかの如く作文したが、これは、検察官自ら作成した「営利事業は会社でやることにした」との調書と矛盾する。そして、同じ調書(第一審乙第三号証第四項)に記載れさている」(昭和五五年に)商品取引で設けた金を不動産購入資金に充てれば、借入金をしなくても済むので、多額の利息の支払に追われることもないと考え、商品取引を行うことにしたのです」との被告人の認識は、昭和六〇年一〇月の段階でも変わっていないのである。このことは、礼幸の昭和六〇年二月末期確定申告書控(原審弁審第一五号証)及び同六一年二月末期確定申告書控(原審弁審第一六号証)という客観的証拠によって裏付けられている。礼幸は、昭和五九年、同六〇年に優良不動産を購入し、これを賃貸していたが、その購入資金が借入金であり、しかも、当時、ローン会社等からの借入金利は高利率であったため、借入利息の返済に追われ、そのために礼幸は赤字経営を強いられていた。そこで、被告人は、「商品取引で儲けた金を」礼幸の「不動産購入資金に充てれば、借入金をしなくても済むので、多額の利息の支払に追われることもないと考え、」礼幸において、商品取引をすることとしたのである。礼幸設立以降、礼幸名義で取得した不動産が真実礼幸所有のものであることについては争いがない。検察官において、礼幸名義の不動産が被告人所有のものであると主張するなら、その不動産取得のための借入金利息を被告人の所得から控除すべき損金であると主張せざるを得ないが、そのような主張もない。してみると、右供述調書記載内容は、あまりにも不合理である。被告人は、礼幸の不動産購入資金を捻出するために礼幸による商品取引を始めたのに、商品取引自体は、被告人の個人取引だというのである。被告人が商品取引により個人資金を作り、これを礼幸に投入して礼幸が不動産を購入するという絵図になるが、これでは、もともと被告人が供述していたように、営利事業と医師としての医療行為とを截然と区別するために会社を設立して会社において営利事業を営もうと被告人が考えていたことと著しくかけ離れた結果となる。即ち、被告人の如き合理的経済人の経済活動について、その企図したところと現実の経済活動の方法とが矛盾した内容となること自体、不可解、不合理であると言わざるを得ない。

第二に、「私の商品取引が国税当局に発覚した場合の税金対策として会社である礼幸名義を使って商品取引を始めたのです」などという調書記載部分は、被告人の脱税動機やその計画性をこじつけるために作文されたものであるが、その内容自体、あまりにも唐突であり、また不合理である。仮に自己が実質経営している会社の名義を悪用して、個人で商品取引を行って利益を挙げた場合、これが、国税当局に発覚するのは時間の問題であり、発覚する可能性は一〇〇パーセントであると言っても過言ではない。調書記載内容からしても、被告人には、税法に対する一般知識があったと認められるし、現実に、礼幸設立当初から税理士を依頼して、その指導を仰いでいたのである。また、営利活動について、個人事業から発展させて、法人成りし、会社を設立して営利事業を営むのは、それ自体、税金対策(節税対策)を主とするのがほとんどの場合であり、これが突如、税金対策=脱税隠滅工作と直結するかの如き供述調書記載内容は、あまりに唐突であり、合理性を見い出せない。しかも、調書記載内容を総合すれば、被告人は、礼幸の不動産購入資金を獲得するために、礼幸の商品取引を開始したのであるから、商品取引による利益金を不動産購入資金に充てれは、税務当局においてこれを見逃す筈はないのである。それでも右調書記載内容は、<1>国税当局に発覚しないことを期待した<2>発覚した場合には法人取引だと言えば逃れられると考えたなど、およそ一般経済人には理解できない立論を貫き通しているのである。あまりにも、被告人を馬鹿にした幼稚な発想であり、かような供述調書記載内容のどこに信用性を見い出すことができるというのであろうか。

8 被告人が個人取引を自認する供述部分の記載は、すべて「金を出した奴が取引主体だ」との検察官独自の立論によるものであり、その供述内容自体合理性を欠く。引用すれば、次のとおりである。

「礼幸名義の取引も、実際には、後に述べるように私の個人資金を使った私個人の取引であることに間違いありません。」(第九項)

「礼幸からは、商品取引の資金を引き出したことはありません。このように礼幸名義の取引も、山田名義の取引と同様、私個人の取引だったので、専ら私個人の資金を使って始めたのです。」(第一〇項)

「そこで、私は、私個人の商品取引の資金を捻出するため、一時的に礼幸所有のマンションを担保として礼幸名義で借入をし、後日、私個人が返済することにしました。……七光商会から礼幸名義で借入れた合計三、〇〇〇万円については、すべて私個人が捻出した資金で返済しており、礼幸固有の資金を返済に充てたことはありません。」(第一一項)

「いずれの名義の取引も、私個人の資金を使って行った私個人の取引であり、一時的に担保の関係で、礼幸名義での借入金を商品取引の資金に充てたこともありましたが、後日、私個人の負担で返済しており、礼幸には一円も負担させてはいませんでした。」(第一四項)

確かに取引主体及び取引による収益の帰属を判定するに当たって、取引資金がどこから支出され、どのように使途されたかを検討することが必要となる場合もあるであろう。しかし、前述のとおり、実質所得者課税の原則からすれば、最も重要なことは、「当該収益を得たのは誰か」であり、客観的証拠上、礼幸が本件商品取引による収益を取得したことは明らかなのであって、にも拘わらず、これを無視して取引主体が被告人であるとの結論を導き出さなければならなかった検察官は、結局、内容的に合理性のない供述調書を作文することしかできなかったのである。

七 原審乙第四号証

1 これは平成四年二月二〇日付けの検面調書であり、昭和六三年における礼幸の商品取引の状況等について記載されている。

2 右調書には、「昭和六三年三月ころから豊商事上野支店長の『松本洋勝』が、私が頼んでもいないのに私の担当者として乗り出してきて、私にいろいろ取引上のアドバイスをするようになりました。」、「私は、それまで、自分なりに相場を読んで、自分の判断で注文を出していたのですが、松本支店長が積極的にアドバイスをして取引を勧めてきたので、そのアドバイスに従って、取引する商品の銘柄を『横浜生糸』『前橋乾繭』等にも拡大したところ、四月には礼幸名義の『横浜生糸で約一億五、〇〇〇万円』『前橋乾繭で約六、〇〇〇万円』の利益が出ました。……」などと記載されている。(第二項)

第一に、「昭和六三年三月ころから、松本において、被告人が頼んでもいないのに被告人の担当者として乗り出してきた」ことは争いがない。その時期をより正確にすれば、昭和六三年三月下旬(三月二五日ころ)からであった(控訴審第九回公判期日における被告人供述調書速記録一〇丁表等、第一審第五回公判期日における松本の証人尋問調書速記録四丁表等)。

第二に、被告人は、自らの判断で取引をしなければ、商品相場で利益を得ることはできないと考えていた。被告人は、それまでの商品取引の経験から、「営業マンの言うことを聞いているとかならず客は損をさせられる。」、「自分自身の判断で取引した方が利益が出る確率が高い。」などと考え、更には、昭和五八年にエース交易の無断売買により、多大な損失を蒙ったことなどから、「自ら店頭に赴き、自らの判断で、自らがカウンターから直接注文できる会社を捜し」、豊商事上野支店において、店頭取引することとしたのである(第一審第二回公判期日における被告人供述調書速記録二丁裏~)。被告人の商品取引に臨む心構えは確固としたものであり、礼幸の取引を開始した後においても、「すべて自分の相場観で取引しており、豊商事の営業マン等の勧めには全く応じなかった」(第一審第五回公判期日における松本の証人尋問調書速記録一丁裏~)。ところが、右調書記載によれば、被告人は、突然、「松本支店長が積極的にアドバイスをして取引を勧めてきたので、そのアドバイスに従って、取引する商品の銘柄を『横浜生糸』『前橋乾繭』等にも拡大した」というのである。被告人は、自ら確信したことを簡単に変更するほど優柔不断な人間ではない。そのことは、被告人の学歴や医師としての一貫した診療方針、公判廷における供述内容、供述態度等から明らかである。しかも、被告人は、こと商品取引については、「一寸先は闇」という体験を積み重ね、エース交易の無断売買により手痛い損失を蒙るなどし、自らの判断で商品取引をするために、豊商事上野支店を選んで、店頭取引をしていたのである。被告人が、突如、松本のアドバイスに従って取引銘柄まで拡張したという調書記載内容は、あまりにも不自然かつ不合理である。この点につき松本は、「綿糸相場で一億四、五千万儲けた。」「豊商事であんたのところの土俵を使って儲けさせてもらったという厚意のつもりで渋々付き合ってくれたんだと思います。」などと証言する(第一審第五回公判期日における松本の証人尋問調書速記録二丁裏)が、偽証である。被告人は、自らの判断で、乾繭及び生糸の取引に集中したのである。昭和六三年二月末ころ、礼幸の相談役であった松尾を通じて、被告人は、中国の農産物の生産状況を知り、その情報に基づいて、乾繭及び生糸が近い将来、暴騰すると判断し、これは、礼幸を一大飛躍させる千載一遇のチャンスであると確信したのである。そこで、わずかの売玉を建てていた乾繭及び生糸の取引について、着々と買建取引を進めていったのである(控訴審第九回公判期日における被告人供述調書速記録六丁表~)。そして、被告人の公判廷供述が真実であることは、客観的証拠によって裏付けられている。控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義前橋乾繭(昭和六三年一月一三日~平成元年二月三日)のイタ勘(表紙を含め写しで四丁~)によれば、被告人が売相場から買相場に転じたのは、昭和六三年二月二二日であり、松本が介入してくる以前であった。その買建状況を見ると、

二月二二日 合計 二〇枚

同月二三日 五枚

同月二四日 合計 一五枚

同月二五日 五枚

三月 一日 五枚

同月 九日 合計一〇六枚

同月一七日 合計一〇〇枚

同月一八日 合計 四〇枚

同月二二日 合計 四〇枚

同月二三日 合計 二〇枚

同月二四日 一五枚

同月二五日 一〇枚

同月二六日 合計 三〇枚

である。被告人が、松本の介入前に、相場の流れを見ながら、着々と買建玉を増加させていることは明らかである。三月二六日以降は、松本が介入したために増加したと見られる買建玉が続き、四月一四日及び同月二〇日には、豊商事の手数料稼ぎのために、いったん大量手仕舞により利益出し(手数料出し)をなし、商品取引員の受託業務に関する取引所指示事項7(控訴審第六回公判期日における松本の証人尋問調書添付資料参照)に違反して無意味な反覆売買(ころがし)を敢行しているのである。そのために、売り手仕舞直後に買建された玉は、

四月一八日 合計二三五枚

同月一九日 合計二一〇枚

同月二〇日 合計一五〇枚

同月二一日 合計一五〇枚

同月二二日 合計三〇〇枚

などとなっており、短日時に、明らかに手数料稼ぎのみを目的とする操作(かようなものは、厳密には、「取引」とは言えない)をなしたもので、昭和六三年四月一四日以降、取引口座が完全に豊商事に乗っ取られていたことを客観的証拠が語っているものである。横浜生糸取引についても同様であり、客観的証拠たるイカ勘を精査されたい。結局、「私は、それまで、自分なりに相場を読んで、自分の判断で注文を出していたのですが、松本支店長が積極的にアドバイスをして取引を勧めてきたので、そのアドバイスに従って、取引する商品の銘柄を『横浜生糸』『前橋乾繭』等にも拡大した」などという供述調書記載内容は、それ自体不自然かつ不合理であり、客観的証拠とも明白に矛盾するものであって、これを措信し得るなどという判断は、成り立たない。検察官は、豊商事側の作り話を信用して作文調書を作成したものであり、客観的証拠を精査しなかったが故に、豊商事及び松本に騙されたのである。

3 右調書には、「私は、このように商品取引の利益がいくら『位』出ているかについては、豊商事から『売買報告書』を添付してもらっていた上、松本支店長からも口頭でいくら『位』利益が出ているという報告を受けていたので、分かっていました。」(第二項)と記載されている。

しかし、第一に、現実に豊商事からの報告文書がすべて被告人に郵送され、被告人がこれを確認しているのであれば、「商品取引の利益がいくら『位』出ているか」という程度ではなく、一円単位まで被告人は、常時商品取引による利益金の額を把握していた筈である。しかも、右調書上記載されている利益金額は、億単位、千万単位の利益金だけである。つまり、右調書記載内容は、「だいたいの利益状況は知らされていた」との範囲でしか理解できない内容となっている。

第二に、この点についての客観的証拠は、取調べ段階で一切被告人に示されていない。検察官とすれば、豊商事から商品取引の利益金発生状況や取引状況が常時被告人に報告されており、被告人もこれに異を唱えなかったということは、極めて重要な事柄であるから、押収した売付・買付報告書及び計算書(豊商事の場合、『売買報告書』という名称を用いていなかった)やこれに密接に関連する建玉残高商号調書等の主要部分を被告人に示して、供述を得たうえ、その写しを調書末尾に添付するということは、当然必要なこととして考えた筈である。しかし、これら客観的証拠が一切被告人に示されず、従って、調書にも添付されていないという現実をどう把握すべきか。これは、重要な問題であり、分析すれば、次のとおりである。豊商事は、礼幸の取引住所たる貸机業者宛にすべての売付・買付報告書及び計算書、建玉残高照合調書等を送付していない。このことは、被告人も公判の進捗状況において知るに至ったことである。貸机業者に郵送されたものは、すべて被告人が受け取り、被告人において保管していた筈である(但し、被告人は開封していない)。ところで、第一審甲第一号証(商品売買益調書書)六丁によれば、礼幸名義(礼幸宛)の売付・買付報告書及び計算書等は、「昭和六三年九~一二月分」と「六一年分」しか国税局によって押収されていない。山田名義(山田宛)のものは、「昭和六三年一〇~一二月分」と「六〇年分」しか押収されていない。被告人において、右以外の昭和六三年分のものを廃棄したことはない。逆に、必要がないと考えていた被告人は、開封したこともない。第一審甲第一号証六丁の記載で注目すべきは、礼幸が現実になした取引(ことに岡地での取引)に関するものは、すべて被告人の診療所に(つまり、被告人の手元に)存在したが、被告人において「これは豊商事の取引で礼幸とは関係がない」と認識していた豊商事の取引に関するものは、すべて診療所倉庫(当初からここへ入れてしまったものは、被告人がその後検討することは考えられない場所)から押収されたという事実である。いずれにせよ、豊商事は、礼幸のすべての取引について売付・買付報告書及び計算書、建玉残高照合調書等を送付していない。これらのうち、ごく一部しか送付されていないのである。被告人が狡猾な人間で、そのように仕組んだのだと邪推しうる余地はないとはいえないが、それでも、昭和六三年の礼幸、山田名義の取引のうちごく一部しか豊商事からの報告書類が送付された証拠がないということは動かし難い事実である。従って、すでに証拠物のすべてを検討していた検察官とすれば、「豊商事から売買報告書を送付してもらっていた」という程度の調書記載に止めざるを得なかった。そして、客観的証拠の不足する部分を補う意味で、「松本支店長からも口頭でいくら『位』利益が出ているという報告を受けていたので、分かっていました」との調書を作成した訳である。従って、後述する部分の結論だけを先に述べれば、原判決一八丁表~裏の「豊商事から、右各取引に関する売付・買付報告書及び建玉残高照合調書が被告人の下に発送されており、被告人において、各残高照合回答と題する葉書(前同押号の二三-<1>ないし<4>)に山田名義の署名押印をしていることがそれぞれ認められ、以上の事実は、右各取引が被告人に無断でされたものではないことを示すものというべきであり、これらを含めてすべて被告人の了承の下にした取引であるとの松本の当審証言を裏付けるものである。」との判示は、客観的証拠に反する誤認である。

4 右調書には、「私の相場の力量だけでは、こんなに巨額の利益を得ることはできません。」、「これも相場のプロである松本支店長のアドバイスのおかげだと思いました。」などと歯の浮くような記載がある(第二項)が、豊商事(松本)により礼幸の取引口座及び取引資金を乗っ取られたことが明らかであるのに、被告人の口からこのような言葉が出る筈はない。

5 右調書には、「もっとも、昭和六三年に一一億円儲けたと言っても、そのほとんど大部分を引き続き私の商品取引の証拠金として豊商事上野支店等の商品取引会社に入金していたので、私の手元に儲けた金がそっくり残っていた訳ではありません。」、「そのため、私は平成元年一月に礼幸名義の取引において、東京砂糖で約二億円の損を出すなどの合計約三億四、〇〇〇万円の損をし、また、山田市郎名義の取引において、同じく東京砂糖で約六、〇〇〇万円の損を出すなど合計約一億円の損をしました。」、「このように、私は、平成元年一月には礼幸名義及び山田名義を合わせて約四億四、〇〇〇万円の損を出したのです。」(第二項)と記載れさている。検察官は、昭和六三年の商品取引による利益が、平成二年五月に至って、礼幸の所得として現実化したこととの調整を図ろうとしている。そこで、右調書記載の要旨は、

<1> 昭和六三年に被告人が商品取引による利益を得た。

<2> しかし、被告人は、その利益金をさらに証拠金入金して取引を拡張した。

<3> その結果、平成元年一月には、約四億四、〇〇〇万円の損をした。

という内容となっている。つまり、右<1>を言いたいがために、右<2>の論法を用い、右<3>は、右<2>の結果として発生したものであると、調書化したのである。しかし、客観的証拠上、右<2>の事実はない。右<3>は、右<2>の結果として発生したものではない。このことも、客観的証拠によって判断すべきである。控訴審甲第二三号証(建玉残高照合調書四枚)は、豊商事が任意提出したもので、被告人が所持していて押収されたものではない。礼幸名義の取引について、検察官は、かような証拠を開示していない。そこで、山田名義のものについて見ると、まず、横浜生糸についての無意味な両建取引(豊商事にとっては手数料稼ぎという重大な意味がある)が継続されていることがわかる。右調書記載の「東京砂糖で約六、〇〇〇円の損」について見ると、昭和六三年七月に買建したまま因果玉として放置されていたものが、合計五五〇枚存する。昭和六三年一一月三〇日時点の値洗損合計は、金五、八〇〇万円であり、これに手仕舞時点での手数料を加えれば、「約六、〇〇〇万円の損」となる。つまり、損取引となることが運命づけられているのである。従って、預かり証拠金は、「九、六二五万円」と記載されている。原審弁第二号証(松本の上申書)のとおり、「井上個人の取引という考え方だったならば、昭和六三年一二月中に損の生じる取引の分も決済していたのです」ということになる。しかし、豊商事は、あえて、これら因果玉を年を越した平成元年一月に仕切り、昭和六三年中は、被告人が目一杯の利益を出した形にしたのである。豊商事自らの脱税責任を被告人に転嫁し、国税局に差し出す「みやげ」を準備していたというのが真相である。ここで、再び、建玉残高照合調書の委託証拠金内訳欄に目をやると、昭和六三年中の利益の大半が同年中より証拠金としてストックされていたことがわかる。昭和六三年一一月三〇日付け建玉残高照合調書では、横浜生糸の預り証拠金額は金九、三二五万円、東京砂糖の預り証拠金額は金九、六二五万円である。横浜生糸の残玉は、売三〇〇枚、買三〇〇枚の損益ゼロ(手数料分だけ豊商事が儲ける)と言う取引であり、明らかに証拠金は、実質的に過剰である。東京砂糖の預り証拠金は、将来仕切り損が発生した場合の損失を予め補填している。右は、山田名義の取引についての客観的証拠である。礼幸名義の取引に至っては、その数倍の預り証拠金のストックが存するわけである。従って、礼幸名義の建玉残高照合調書は、検察官にとって、右供述調書記載事実を覆す命取りの証拠であり、検察官は公判廷にこれを顕出することができなかったのである。しかし、控訴審甲第一九号証及び第二〇号証のイタ勘を精査すれば、検察官の右<1>→<2>→<3>という論法が成り立ちえないことは明白である。これを、あくまで被告人の供述と把えるのであれば、被告人は、客観的証拠に明らかに反する不合理な供述をなしたということになる。いずれにせよ、右供述調書記載内容には、何らの信用性も見い出し得ない。

6 右調書には、松本預金口座の正当性の理由づけのため、「私は、昭和六三年四月に松本支店長のアドバイスにより、商品取引による利益が飛躍的に増大し、取引の数量も大幅に増えるようになると、私自身がその都度、利益金を引き出し、それを一旦手元に置き、更に証拠金として入金するという手続を行うことが次第に面倒になってきたので、松本支店長に利益金の管理を任せることにしました。」(第三項)と記載されている。

第一に、右調書記載内容がそれ自体極めて不合理であることは、常識人の誰しもが判断しうることである。商品会社の支店長に一切の資金管理を委ねることが、どれほど危険で異常なことであるかは、株式取引や銀行取引で、顧客の取引資金を支店長がその個人名の口座に全額預っている図を想い浮かべれば、直ちに分かることであるが、更に、商品取引においては、元金をはるかに超えて、どこまで損をさせられるかわからない(そのことを被告人は過去の経験から熟知していた)のであるから、委託者が、支店長に一切の資金管理を任せようなどと考える筈がない。

第二に、右調書記載内容は、のちの被告人検面調書記載と矛盾し、結局、自己矛盾供述を調書化したにすぎないものとなる。即ち、利益金の管理が面倒だと考えた被告人が、その直後、更に中央区日本橋の岡地東京支店において、大々的に商品取引を開始した旨の供述調書記載内容と明白に矛盾する。被告人は、利益金の管理すら面倒だと考えて、松本に利益金の管理を任せることにしたというのに、その直後に、直近に存在せず通うだけでも面倒な岡地東京支店に通うようになり、新たな口座名義を用いて、新たに資金を投入し、むろん、その資金管理をするという面倒極まりないことを実行したというのである。結局、右調書記載内容は、精神異常者の認識を調書化し、被告人を、思考と行動が相矛盾する精神分裂者扱いにしたものであり、何らの信用性をも付与することができない。

7 右調書には、「お示しの松本洋勝名義の三井総合口座通帳は、松本支店長が保管していたものであり、私も見せてもらっていたので知っていました。」(第三項)と記載されている。

しかし、第一に、「入出金の都度」見せてもらっていたとは記載されていない。松本の資金管理を被告人がどの程度知悉していたかについては全く触れられてていない。何故なら、仮に、入出金状況を被告人が逐一チェックしたとしても、松本預金口座の資金の出入をすべて把握することなど客観的に不可能だったからである。通帳に記帳されている数字だけを見ても何のことだか皆目見当がつかない筈である。イタ勘記帳内容ばかりでなく、松本の個人的な入出金や他の委託者と豊商事との取引内容までわからなければ、松本預金口座の資金の流れは理解できないのである。検察官も弁護人もこれを解明するのに多くの時間を費したのであった(検察官の平成六年八月一五日付け意見書別紙、弁護人の平成六年一一月三〇日付け証拠説明書(三)、検察官の平成六年一二月二七日付け証拠説明書(三)参照)。

第二に、検察官は、何故、「松本洋」預金通帳を被告人に示さなかったのであろうか。明らかに、検察官は、「松本洋」名義の預金口座の存在及びその内容を隠そうとしていた(原審甲第一一号証及び第一二号証の松本検面調書にも記載されていない)。大きな理由が二つある。ひとつは、偽名の預金口座である点である。三井銀行上野支店は、偽名と知りながら「松本洋」預金口座を開設した。商品取引に偽名、仮名、借名はつきもの、と三井銀行まで豊商事の手法を承認していたということになる。あるいは、豊商事の法人口座のひとつ(それも裏口座)と知っていながら、三井銀行が受け入れたことになる。いずれにせよ、三井銀行が豊商事と馴れ合いで、偽名の預金口座を開設したこと自体が大問題である。もうひとつは、「松本洋」預金口座の内容を精査すれば、豊商事が昭和六三年における取引利益を定期預金として温存し、その資金が、最終的に礼幸に清算金として振り込まれたことがわかってしまうという点である。法人税法違反ではなく、所得税違反として立件処理した検察官としては、表面に出したくない証拠だったのである。

第三に、控訴審において、裁判所から求釈明を受けて初めて明らかにした松本定期預金による資金の流れ(検察官の平成七年二月八日付け証拠説明書(四)参照)は、少なくとも、松本による預金利息の横領事実を明らかにするものであり、検察官が調書化できなかったのは、立場上当然というべきであろうか。

第四に、「松本洋勝」預金口座がもうひとつ存在したという事実等(弁護人の平成七年一月六日付け提出命令申立書参照)、そして松本預金口座が豊商事の裏口座であった事実等を検察官は、明らかに隠滅しようとしている。資金の流れが重要な問題となる事件において、検察官が、その資金の流れを隠蔽しようと必死に努力していたことが何を意味するのか、正しく判断されるべきである。

8 右調書には、「私は、昭和六三年四月から松本支店長のアドバイスのおかげで利益が増大したので、純粋に感謝の気持ちから松本支店長に謝礼金(合計金一、〇〇〇万円)を渡すことにしました。」、「更に、私は、松本支店長のアドバイスのおかげで何億円もの利益金を得たので、気持ちも大きくなり、かつ汗水たらして働いて稼いだ金でもなかったことから、惜しいという気持ちもなく、松本支店長に対し『六月ころ 五、〇〇〇万円』『七月ころ 三、〇〇〇万円』を渡しました。」(第四項)と記載されている。

しかし、第一に前述したとおり、松本の介入によって利益が増大したという事実は客観的に存しない。むしろ、礼幸の利益を横取りされたとしか、客観的証拠上認定し得ない。

第二に、右は、被告人を白痴同然に扱う記載内容である。被告人は、乾繭・生糸で千載一遇のチャンスを掴み、この取引の終結時点(岡地における手仕舞は昭和六三年八月であった)で、礼幸を一大飛躍させ、メディカルエレクトロニクス事業への夢をつなごうと考えていたのである。礼幸の取引口座及び取引資金の全部を乗っ取られた被告人が考えたことは、被告人の公判廷供述(控訴審第九回被告人供述調書)のとおりである。

9 右調書には、「結果的には、平成二年三月に私の脱税事件が国税当局に発覚し、多額の税金を納めなければならない事態になったので、その納税資金を捻出するため、松本支店長に要望して返してもらうことにしました。」、「それで、『私は』、松本支店長から平成二年五月に五、〇〇〇万円の返金を受け、更に、平成三年一〇月に四、〇〇〇万円の返金を受けました。」(第四項)と記載されている。

しかし、第一に、松本洋預金通帳(控訴審甲第一八号証)が解約されたのは、平成二年二月一六日である。つまり、少なくともこの時点では、豊商事は、自社に税務調査が入ったが故に清算をしなければならない立場に追い込まれていた。右調書記載内容は、客観的証拠に反する。

第二に、証拠上、豊商事及び松本からの返金(清算ないし弁償)は、明らかに礼幸に対してなされている(第一審弁第一三号証、同弁第三号証)のであって、被告人がこれらを取得したかの如き調書記載は、単に言葉によって真実をごまかそうとするものであり、到底許容し難い。

八 被告人の検面調書の信用性(結論)

1 以上、種々検討したとおり、被告人の捜査段階における供述調書(第一審乙第一号証ないし第八号証)は、その作成経過に問題があり、被告人の任意の供述とは認められないほか、供述内容自体の矛盾等不合理な点、客観的証拠に明らかに反する点ばかりであり、これを全面的に措信した原判決は、捜査段階における自白を偏重し、もって、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をなしたものである。

2 右事実誤認の瑕疵が極めて重大であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することにつき、次の事情を斟酌されたい。

原判決の誤判をそのまま許容した場合、被告人の負担は、次のとおりである。

<1> 懲役二年六月の判決に基づく服役。

<2> 罰金一億五、〇〇〇万円の支払。支払不能であるから三〇〇日の労役場留置。

<3> 医師免許の喪失もしくは停止。

<4> 未納税の支払。

(一) 国税 金七億七、二二八万七、四〇〇円

(二) 右に対する重加算税 金二億七、〇二九万八、〇〇〇円

(三) 地方税 金二億〇、八二〇万五、八〇〇円

(四) 右に対する重加算税 金 七、二八七万〇、七〇〇円

(五) 右(一)ないし(四)に対する延帯税 年率一四・六パーセント

既に、被告人所有の不動産は、すべて大蔵省によって差押さえられているので、無担保となった債権者らが、被告人の破産申立をする可能性もある。いずれにせよ、被告人が経済的に立ち直ることは不可能となり、出所後も職がなく、生活していくこともできなくなるのである。

ひとつの誤判の及ぼす影響に恐怖の念を禁じえないところである。

第六 事実誤認(収益の認定)

ここでは、昭和六三年中の商品先物取引による収益が礼幸の所得となった事実を、時の流に従い、客観的証拠に基づいて、論ずることとする。

一 松本洋口座を開設した資金が昭和六三年の収益金であること

松本洋名義預金通帳(控訴審甲第一八号証)に記帳された昭和六三年一二月一四日「ゴシンヤク」金三八三万一、三〇〇円は、(帰属主体が誰であるかは別にしても)昭和六三年中の商品先物取引による収益である。

二 平成元年一月一一日の入金も昭和六三年の収益金であること

松本洋通帳に記帳された平成元年一月一一日の金二三六万六、〇〇〇円は、昭和六三年中の商品先物取引による収益である。以下は、松本洋通帳に記帳された内容及びイタ勘(控訴審甲第一九号証及び第二〇号証)の記載内容を、控訴審における検察官の平成六年八月一五日付け意見書別紙(松本洋勝、洋名義普通預金口座明細)、控訴審における弁護人の平成六年一一月三〇日付け証拠説明書(三)等と対比しながら検討する。

1 松本洋通帳には、平成元年一月一一日の入金として、金二三六万六、〇〇〇円が記帳されている。

2 右金員は、

(一) 礼幸名義横浜生糸 証拠金より 金五〇〇万円引出し、

(二) 山田名義 東京ゴム 証拠金へ 金二六三万四、〇〇〇円入金した

結果として、

(三) 残金二三六万六、〇〇〇円が松本洋預金口座に入金されたものであった。

3 そこで右2-(一)を検討すると、控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての横浜生糸(昭和六三年一月二二日~平成元年一一月二七日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、

<1> 右取引における昭和六三年末の委託証拠金は、金八、一八七万円であった。

<2> 平成元年一月一一日には、右証拠金残のうち金五〇〇万円が引出された。

<3> よって、右同日、松本洋預金口座に入金された金二三六万六、〇〇〇円は、昭和六三年中の商品取引による収益を源資とするものであった。

三 平成元年二月三日の入金も昭和六三年の収益金であること

松本洋通帳によれば、平成元年二月三日に金二億七、〇〇〇万円が入金された旨記帳されているが、この金員は、昭和六三年中の商品先物取引による収益であった。これは、合計八口の取引口座の証拠金引出額であった。

1 控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての横浜生糸(昭和六三年一月二二日~平成元年一一月二七日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金三、〇〇〇万円取り崩されたことが明らかである。従って、この金員は、昭和六三年の商品取引による収益である。

2 控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての前橋乾繭(昭和六三年一月一三日~平成元年二月三日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁、八丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金一、五〇七万六、六〇〇円取り崩された(そして委託証拠金はゼロとなった)ことが明らかである。従って、この金員は、昭和六三年の商品先物取引による収益である。

3 控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての東京金(昭和六三年三月一日~平成二年二月一六日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金六、九五一万二、〇〇〇円取り崩されたことが明らかである。従って、この金員は、昭和六三年の商品先物取引による収益である。

ちなみに、右イタ勘には、「昭和六四年一月四日 東京砂糖 証より 四五〇万円」との記帳も存するが、控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての東京砂糖(昭和六三年一月二三日~平成二年二月一六日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、右金四五〇万円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものであることがわかる。

4 控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての東京穀物(昭和六二年一一月二七日~平成二年二月一九日)のイタ勘(消費を含め写しで七丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金三、三九三万三、四六〇円取り崩されたことが明らかである。よって、この金員は、昭和六三年の商品先物取引による収益である。

5 控訴審甲第二〇号証にうち礼幸名義についての東京綿糸(昭和六三年一〇月二〇日~平成元年一〇月二四日)のイタ勘(表紙を含め写しで二丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金一、五七五万円取り崩されたことが明らかである。よって、この金員は、昭和六三年の商品先物取引による収益である。

ちなみに、右イタ勘には、「平成元年一月一〇日 乾繭証 より 一〇五万円」と記帳されているが、控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての前橋乾繭(昭和六三年一月一三日~平成元年二月三日)のイタ勘(表紙を含め写しで八丁)によれば、右金一〇五万円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものであることがわかる。

また、右東京綿糸のイタ勘には、「平成元年一月一三日 横浜生糸 証より 四六四万円」と記帳されているが、控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての横浜生糸(昭和六三年一月二二日~平成元年一一月二七日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、右金四六四万円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものであることがわかる。

6 控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての東京砂糖(昭和六三年一月二三日~平成二年二月一六日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金二、五〇六万八、〇〇〇円取り崩されたことが明らかである。よって、この金員は、昭和六三年の商品先物取引による収益である。

第一に、右イタ勘には、「昭和六四年一月五日、乾繭 証より 六〇〇万円」と記帳されているが、控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての前橋乾繭(昭和六三年一月一三日~平成元年二月三日)のイタ勘(表紙を含め写しで八丁)によれば、右金六〇〇万円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものであることがわかる。

第二に、右東京砂糖のイタ勘には、「平成元年一月一九日、東京ゴム証 より 六八七万五、二四〇円」と記帳されているが、控訴審甲第二〇号証のうち礼幸名義についての東京ゴム(昭和六三年五月一三日~平成二年二月一九日)のイタ勘(表紙を含め写しで七丁)によれば、右金六八七万五、二四〇円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものであることがわかる。これについては、さらに、これに先立つ三つの証拠金預かりの金員の流れを理解しなければならない。

<1> 右東京ゴムのイタ勘には、「昭和六四年一月七日 乾繭 証より 五八六万四、〇〇〇円」と記帳されているが、右前橋乾繭のイタ勘によれば、右金五八六万四、〇〇〇円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものである。

<2> 右東京ゴムのイタ勘には、「平成元年一月一一日 乾繭 証より 一、九二四万二、〇〇〇円」と記帳されているが、右前橋乾繭のイタ勘によれば、右金一、九二四万二、〇〇〇円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものである。

<3> 右東京ゴムのイタ勘には、「平成元年一月一一日 横浜生糸 証より 三二五万八、〇〇〇円」と記帳されているが、前記横浜生糸のイタ勘によれば、右金三二五万八、〇〇〇円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものである。

第三に、右東京砂糖のイタ勘には、「平成元年一月二五日 乾繭 証より 一八九万九、〇〇〇円」と記帳されているが、右前橋乾繭のイタ勘によれば、右金一八九万九、〇〇〇円は、昭和六三年末の委託証拠金を取り崩したものであることが分かる。

7 控訴審甲第一九号証のうち山田名義についての横浜生糸(昭和六三年四月二一日~平成元年二月三日)のイタ勘(表紙を含め写しで三丁)によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金六、八五八万一、五四〇円取り崩されたことが明らかである。よって、この金員は、昭和六三年の商品取引による収益である。

第一に右イタ勘には、「平成元年一月一三日 東京ゴム 証より 一〇六万三、〇〇〇円」と記帳されているが、控訴審甲第一九号証のうち山田名義についての東京ゴム(昭和六三年九月八日~平成元年二月三日)のイタ勘(表紙を含め写しで二丁)によれば、右一〇六万三、〇〇〇円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものであることがわかる。これについては、さらに、これに先立つ三つの証拠金預りの金員の流れを理解しなければならない。

<1> 右東京ゴム(山田名義)のイタ勘には、「平成元年一月一一日 横浜生糸 証より 三〇〇万円」と記帳されているが、右横浜生糸(山田名義)のイタ勘によれば、右金三〇〇万円は、昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものである。

<2> 右東京ゴム(山田名義)のイタ勘には、「平成元年一月一一日 横浜生糸 客方より 二九六万六、〇〇〇円」と記帳されているが、右横浜生糸(山田名義)のイタ勘(表紙を含め写しで四丁)の「損益の精算状況」欄には、「平成元年一月一一日 東京ゴム 証へ 二九六万六、〇〇〇円」と記載されてはいるものの、これは、大量両建として控訴審において問題となったもののうち、昭和六三年一一月一日に売三〇〇枚・買三〇〇枚を同時両建した(同丁番号一一及び一二)取引の帳尻合わせの利益出しであり、もともとの反対建玉は損取引となる運命にあり、現実にそうなったことがイタ勘上明らかであるので、昭和六三年の収益とも平成元年の収益とも言えないものである。むしろ、単に手数料分だけ損をした取引の一部と考えるべきものである。

<3> 右東京ゴム(山田名義)のイタ勘には、「平成元年一月一一日 入金 二六三万四、〇〇〇円」と記帳されているが、これは、前記横浜生糸(礼幸名義)から、同日、金五〇〇万円を引き出し(これは昭和六三年末委託証拠金残からの取崩しである)、うち金二六三万四、〇〇〇円を東京ゴム(山田名義)の証拠金として入金し、残金二三六万六、〇〇〇円を松本洋口座へ入金したというものであり、昭和六三年の収益をかように種々の口座間及び松本預金間で不必要に移動させることにより、後に資料が全部揃っても豊商事内部の者以外には整理して把握することが極めて困難となっているのである。このような操作自体も、豊商事(松本)が違法不正行為を為していたことを推認せしめる事情となる。

第二に、右横浜生糸(山田名義)のイタ勘には、「平成元年一月一七日 東京ゴム 証より 二九〇万二六〇〇円」と記帳されているが、右東京ゴム(山田名義)のイタ勘によれば、右金二九〇万二、六〇〇円は、(右<1>ないし<3>によっても明らかなとおり)昭和六三年末の委託証拠金残を取り崩したものである。

前記東京ゴム(山田名義)のイタ勘によれば、昭和六三年末の委託証拠金残が、平成元年二月三日に、金一、二〇七万八、四〇〇円取り崩された(同年一月に両建取引のうち、損勘定となる建玉を手仕舞ったので証拠金不要となっている)ことが明らかである。よって、この金員は、昭和六三年中の商品先物取引による収益である。

9 以上、右1ないし8の合計金二億七、〇〇〇万円が、平成元年二月三日、松本洋預金口座に集中して入金された。これは、豊商事(松本)が六三年中の収益を集約し、定期預金として資金を固定させるために敢行したものであって、従って、前述のとおり、同日の松本預金口座残金二億七、六一九万七、三〇〇円は、すべて、六三年中の商品取引による収益であった。

四 定期預金の源資が昭和六三年の収益金であること

そして、平成元年二月一〇日、右金員中金一億三、〇〇〇万円が松本洋勝名義の定期預金とされた。この金員は、すべて昭和六三年中の商品取引による収益であることに留意されたい。

五 定期預金が昭和六三年の収益金たる実質を維持したこと

控訴審における検察官の平成七年二月八日付け証拠説明書(四)別紙3によれば、右定期預金一億三、〇〇〇万円は、昭和六三年中の商品取引による収益であるという金員の性格を維持したまま、平成元年九月一八日に解約されるまで豊商事(松本)によって管理され、同日、元金のみが松本洋預金口座に戻された。被告人は、このような定期預金が組まれたことはもとより、松本洋預金口座の存在すら、本件の公判審理の中で知るに至ったものである。定期預金利息は、松本が領得した。

六 昭和六三年の収益金たる実質を維持しながら定期預金が組み替えられたこと

右金一億三、〇〇〇万円の定期預金は、いったん松本洋預金口座に戻されたが、松本洋通帳によって明らかなとおり、一〇日後の平成元年九月二八日、再び金一億円の松本洋勝名義定期預金とされた。従って、この定期預金として事実上継続された金員は、昭和六三年の商品先物取引による収益であるとの実質が維持されたものである。

七 定期預金が平成二年二月一六日まで継続していたこと

控訴審における検察官の平成七年二月八日付け証拠説明書(四)別紙4によれば、右金一億円の定期預金は、平成二年二月一六日に解約されるまで継続され、書替の都度、松本は右預金利息を領得していた。勿論、被告人にとっては、知る由もない事柄である。

八 解約された定期預金は昭和六三年の収益金たる実質を維持していたこと

ところで、豊商事に対する税務調書がなされたのは、平成二年二月一日であった。豊商事は、これを契機として、礼幸及び山田名義のすべての取引を手仕舞った。このことは、イタ勘から明らかである。そして、右定期預金が同年同月一六日に解約され、検察官の右証拠説明書(四)-4記載のとおり、礼幸及び山田名義の委託証拠金に振替えられた。礼幸名義の通産グループ、礼幸名義の農水グループ及び山田名義の農水グループに振替えられたことはイタ勘上明白であるが、これら資金は、もともと昭和六三年の商品先物取引の収益という性格を維持していたことを忘れてはならない。松本預金口座は、松本と被告人との間の合意によって設定運用されていたとの立論が成り立ちえないことは、右定期預金口座及び松本洋名義預金口座がすべて解約されることによって明らかとなった。松本預金口座資金は、結局、豊商事内に内部留保されていた礼幸の資金と合算の上清算されることとなったが、これについて、被告人は、その段階では何も知らされていなかったし、豊商事において被告人の事前の了解を得るなどの手続もとられなかった。取引をすべて清算するというのに、つまり、新たな建玉が何も存しないのに、何故、証拠金として入金されなければならないのか。この点は、豊商事において合理的な回答をなし得ないところである。豊商事とすれば、要は、礼幸名義及び山田名義並びに松本名義で分散していた裏資金を脱税調査が入ったことにより一本化し、しかも、本来の取引主体である礼幸に返還せざるを得なくなったのである。

九 昭和六三年の利益金が礼幸に振込入金されたこと

平成二年五月一七日、礼幸の預金口座に豊商事から振り込まれた金二億六、五二三万三、五九三円(第一審弁第一三号証)のうち、少なくとも定期預金として固定されていた金一億円は、昭和六三年の商品先物取引における収益を源資としていることは、前述した金員の流れから明らかである。また、同年同月二二日、礼幸の預金口座に松本より振り込まれた金五、〇〇〇万円も、経過を辿れば昭和六三年の商品先物取引による収益として生まれた金員の一部である。また、全体の取引の流れを大筋で把握すれば、昭和六三年に、帳簿上金一一億円余の収益をあげたものの、平成元年は、一月に両建取引の損勘定となるものなど約金四億四、〇〇〇万円の損失が出たほか、同年及び平成二年は、結局は昭和六三年の収益の食いつぶしとなっていたことは明白である。そうすると、豊商事による無断売買の点はおくとしても、全体の取引の流れの中では、平成二年五月一七日に清算金として礼幸に振り込まれた金二億六、五〇〇万円余は、実質的には、収益を挙げた年である昭和六三年の利益金残であって、結局、この利益金残は、すべて礼幸に帰属し、礼幸の定期預金とされ(第一審弁第一四号証)、結局、礼幸のために使途されたものであって、本件商品先物取引の実質的な収益の帰属主体が礼幸であり、被告人個人でなかったことは、客観的証拠上明白なのである。そして、右収益が、礼幸の確定申告上も反映されていることは、前述のとおりである。

原判決には、これら客観的証拠に反する認定をする後ろめたさが表現されている部分も存する。例えば、「もともと、ある取引から生じた収益が税法上誰に帰属して課税をされるかは、『実質上その収益を誰が享受するか』によって決せられる」としながら、客観的証拠上礼幸が収益を享受したことは明らかであることから、論点をすり替え、「その『収益を誰が享受するか』は、『実質上その処分権限が誰に帰属するか』によって決せられるものである」と論じ、結論として「その収益に対する処分権限は被告人に帰属していたものと認めるほかはない」(一三丁表~裏)として、現実に収益を享受した者は誰かとの判断を敢えて避けているのである。そして、原判決は、「所論指摘の豊商事からの清算金や松本からの返済金が礼幸『名義』の預金口座に振込入金されたことなどの事実は認められるものの(弁一三号証等)、被告人と礼幸との結びつきの程度等に照らし、『形式的な名義人』に対して振込や支払がされたとしてもそこに格別の意味があるとはいえない」(八丁表)と決定的な意味のある重要な事実の判断を回避したのである。第一審弁第一三号証及び第一四号証は、名実ともに礼幸の預金口座であり、これが、被告人の用いた単なる『名義』上だけの預金口座であるとするなら、礼幸の法人格を全面的に否定しなければならず、被告人の投資によって取得した礼幸の不動産も礼幸所有のものではなく、被告人の所有物たと言わなければならない。更には、礼幸の預金口座に入金された賃料収入は、単に礼幸『名義』で被告人が収受したものだとまで言わなくてはならなくなり、赤字会社とはいえ、都心の一等地のマンション等一五物件を所有し、昭和六二年当時(未だバブル前である)は、その不動産含み益(時価マイナス簿価)だけでも金一〇億円を超える銀行評価された企業の存在を全面的に否定しなければならなくなるのである。裁判は、ことに刑事裁判は、言葉を弄んで、厳格な事実認定を放棄してはならない。

一〇 結論

右のごとく、原判決には、収益の認定につき、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、その瑕疵の程度は看過し難く、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することは明らかである。よって、刑事訴訟法第四一一条第三号該当事由が存し、原判決は破棄されなければならない。

第七 事実誤認(その他)

一 松本証言の信用性について

1 原判決は、まず、「所論は、この点(商品取引の主体が誰であるかという点)についての豊商事上野支店長松本洋勝(以下『松本』という)の原審(第一審)証言の信用性について、種々の点を挙げて論難するが、同証言は、同人の検察官調書中の供述と一貫しており、内容も格別不合理な点はなく、これを信用できるとした原判決(第一審判決)の判断は正当である。」(四丁表)という。

2 松本の第一審公判期日における証言の不合理性については、控訴趣意書(四三頁~七四頁)に記載したとおりであるので、重複を避け、これを援用するに止める。原判決は、松本の第一審証言は、「同人の検察官調書中の供述と一貫しており」、「内容も格別不合理な点はなく」、よって、信用できるというのである。

それでは、松本の検面調書(第一審甲第一一号証及び第一二号証)が措信しうるものであるかどうかを論じなければらない。ここで忘れてはならないのは、原判決が、被告人に有利な(被告人の主張を裏付ける)重要証拠を全く無視した、ということである(本書第一章第二)。むろん、検面調書は、検察官が作成するものであり、作成目的は、公判立証活動のためであるから、松本の如き最も重要な検察側証人となるべき人物の検面調書は、当然、それだけを見れば、理路整然とした供述内容となっている。しかし、それが他の証拠関係と照らし合わせて全面的に信用できるものかどうか、また、反対尋問に耐えられる内容であったか否か等を何ら考察せず、「検面調書は絶対的信用性を有する」との前提に立って、他の重要証拠を無視し、あるいは軽視していたのでは、真実を見誤ることとなるのである。原判決は、まさに、かような誤判を犯したものでる。

第一に、甲第一一号証の松本検面調書本文最終頁には、「結局、平成二年三月に井上先生が国税当局に脱税で摘発された後、私は、井上先生の要求により井上先生から受取った合計九、〇〇〇万円を全額返しました。」と記載されているが、虚偽供述である。まず、平成二年二月一日に豊商事が税務調査を受け、これによって、松本の不法な利得等が発覚した(控訴審弁第一一号証・多々良義成の検面調書、同第一二号証・多々良実夫の検面調書、同第一三号証・松本検面調書)。そこで、松本預金口座は、同年二月一六日に解約され(控訴審甲第一八号証・松本洋名義預金通帳)、松本洋勝名義の定期預金も、右同日解約された(検察官の平成七年二月八日付け証拠説明書(四)別紙4)。そして、豊商事は、商品取引の清算金名目で、同年五月一七日、礼幸の預金口座に金二億六、五二三万三、五九三円を振込入金したが、松本は、多々良義成、多々良実夫らの指示により、同月二二日、金五、〇〇〇万円を弁償金として礼幸の預金口座に振込入金した(原審弁第一三号証・礼幸の預金通帳)。しかし、松本は、残金四、〇〇〇万円については、内金一、〇〇〇万円は情報提供料として受領したもの、内金三、〇〇〇万円は土地売却代金であると言い張って、弁償しなかったのである。そこで、礼幸及び被告人の代理人であった石戸谷弁護士は、取引主体の認識についての豊商事側の上申書を提出させる際、右金四、〇〇〇万円についても清算させることとし、平成三年一〇月二三日に至り、ようやく、松本に代わって豊商事が礼幸に支払ったのである(原審弁第三号証・協定書)。これらを総合すると、松本は、豊商事に税務調査が入った平成二年二月に豊商事の方針として、金九、〇〇〇万円全額を返還(弁償)することとされていたにも拘わらず、これに反して、常識的に税額弁償すべき金員でも、何らかの名目の立つ金員については、弁償を渋っていたことがうかがえる。

第二に、(右金三、〇〇〇万円につき)「井上先生が私にどうしてもお金を受け取ってくれというので、私は、それなら私所有の札幌の土地を井上先生に買い取ってもらい、その土地代金としてならお金をもらっても良いと考えました。私は、理由のない大金をもらう気持ちは全くありませんでした。」(甲第一一号証第八項)などという供述は、関係各証拠を検討すれば、所詮、松本が被告人を脅して礼幸の金員を喝取したという犯罪行為を隠すための「きれいごと」を調書化したにすぎないものであることが認定できるものである。少なくとも、調書記載内容が、関係各証拠と符号しないことについて、十分な疑問が存することを考察すべきであった。

第三に、「五、〇〇〇万円の小切手についてですが、この小切手は、私が井上先生から貰ったものではなく、取り敢えず預かっていただけです。井上先生は、私に『いろいろ情報を取るのに金かいるだろう。取り敢えず五、〇〇〇万円、支店長の口座に移して使ってくれ。』と言いました。」(甲第一一号証第八項)との松本供述は、何ら説明することのできない(名目が成り立たない)金五、〇〇〇万円の喝取金については、預り金であったと供述し、預り金であるが故に、豊商事の清算金とほぼ同時期に返還したとの「きれいごと」を調書化したにすぎないものである。被告人が、何の必要性、必然性があって、金五、〇〇〇万円もの大金を松本に預けなければならなのであろうか。そのこと自体の不合理性に目をつむることは許されない。

第四に、「現金合計一、〇〇〇万円については、私が、井上先生の商品取引に関し、『適切なアドバイス』をして多額の利益が出たことに対する謝礼金として貰ったものです。」(項第一一号証第八項)との松本供述については、どのような「アドバイス」をしたのか、と問い正したい。調書上、『適切なアドバイス』とは例えばどのようなものであったかなどについて全く触れられていない。被告人は、十分な商品取引の経験に基づき、かつ、自ら確立した相場観及び自ら入手しうる情報源をもって、礼幸の商品取引に確信をもって臨んでいたのである。被告人は、商品会社内部の者からのアドバイスは、即ち取引に対する介入であると認識し、さらにはエース交易の無断売買により多大な損失を蒙ったことなどを教訓として、店頭取引しかないと考えたのである。これは、アドバイスと称する介入を避ける唯一の方法だったのである。そして、現実に、礼幸の商品取引は、東京綿糸で一応の成功を納め、これをステップとして乾繭・生糸の大相場に臨むまでに至ったのである。これに介入し、あげくの果ては取引及び取引資金を乗っ取った松本(豊商事)に対し、被告人は、何の謝礼金を払おうとしたというのか。イタ勘(控訴審甲第一九号証)や松本預金通帳(控訴審甲第一七号証及び第一八号証)等の客観的証拠を見ると、松本のアドバイスの内容は、<1>売りでも買いでも建玉の量を一挙に目一杯増やすこと<2>無意味な反覆売買をして商品会社に手数料を支払うこと(商品取引員の受託業務に関する取引所指示事項7違反)<3>極量の同時両建取引を反覆継続すること(同指示事項10違反)<4>日計り商いを多数行うこと(同指示事項7違反)<5>建玉を手仕舞うときは、既存の売買取引の成立の新しい順序に従って相手建玉を選択すること(東京工業品取引所受託契約準則第一四条第二項違反)<6>損切りが必要な因果玉を多数残して年越しすること<7>商品取引資金は全部支店長の預金口座に預けること、などであったとしか言いようがない。そして、右のような「アドバイス」は成り立ちえないのであるから、豊商事による無断売買取引が継続されていたと認定せざるを得ないのである。少なくとも、客観的証拠を十分精査し、無断売買の疑いが濃厚であることくらいは気付くべきであった。

第五に、「私は、井上先生に指示により、含み損が出ている東京砂糖等の玉を仕切ったところ、合計約四億四、〇〇〇万円の損が出ました。」(甲第一一号証第六項)との松本供述は、客観的証拠たる商品手帳(控訴審甲第一四号証)に反する虚偽供述である。被告人が、礼幸の商品取引内容を記載していた商品手帳に、右調書記載の仕切り処理についての記帳が全く存しない(岡地における取引しか記録されていない)のであるから、被告人が関与した取引でないことは明白である。

第六に、「昭和六三年七月ころから、井上先生の税金のことが心配になり、折にふれ、井上先生に『先生、税金が大変ですね。商品取引の世界は狭いので、先生が何億円も儲けたことは直ぐ税務署に分かってしまいますよ。豊商事に国税の定例調査が入れば、井上先生ほど儲けた人は目をつけられますよ。』などと話し、税金のことを考えるよう忠告していました。」(甲第一一号証第六項)との松本供述が真実であり、真実被告人が脱税を企てていたとすれば、松本の再三にわたる忠告で、脱税を図った場合、必ず発覚することを知り、脱税を断念せざるを得なくなった筈である。それでも意図強固に脱税を敢行したのであるから悪質だというのが原判決の判断かもしれないが、そもそも、法人にしろ個人にしろ、豊商事が無断売買したものは税務申告の対象外であることは当然であり、しかも、豊商事から礼幸へ清算金が振り込まれたのは平成二年五月一七日であり、それまで礼幸(被告人)としては、損益を把握することができなかったのであるから、豊商事からの入金事実に基づいて、平成三年二月末期に礼幸で商品売買益を含めた申告をなしたのは当然であり、それ以外に経理処理の方法はなかった。即ち、原判決は、被告人に不可能を強いるものであるという点からも破棄されるべき違法判決である。

第七に、「私は、山田名義も礼幸名義も井上先生個人の取引だと思っていたので、礼幸という会社で申告するのではなく、本来、井上先生の所得として申告するのが筋であるとは思いましたが、納税をどするかは井上先生の問題であって、私の関与する余地はなかったので、礼幸という会社で申告することについて何も言いませんでした。」(甲第一一号証第六項)との松本供述は、不自然である。よって、これに引き続き、礼幸の決算期に合わせた損切り処理をしたことの供述も不自然、不合理である。松本供述が真実であるとすれば、松本は、所得税法違反の共犯者となるわけであり、松本もこれを認識しながら、礼幸としての損切り処理をなしたということになるが、何故、松本はそこまでの危険を冒さなければならなかったのであろうか。そこに合理的な理由を見い出すことはできない。しかも、個人所得の申告を再三忠告していた松本が、礼幸で申告することについて「何も言わなかった」ということは、松本供述が真実であるとすれば考えられないことである。逆に、その供述内容の不合理性に鑑みれば、松本供述には信用性がないとの結論に至るのである。

第八に、松本の二通めの検面調書(甲第一二号証)には、被告人の強い意思による主張と石戸谷弁護士の弁護活動に検察官が動揺した形跡がうかがわれる。まず、「私が井上先生から注文を受けることなく、勝手に山田名義や礼幸名義を使って売買をしたということはありませんでした。」などという記載は、明らかに、被告人が取調べ段階で供述し、将来公判廷において問題となるべき「無断売買」の主張があるからこそ、松本の供述調書でいわばダメ押しした形になっている。また、「山田名義も礼幸名義も井上先生の取引であり『私の』取引ではありません。」との記載は、逆に、その当時、被告人が、「これは松本の取引である」と供述していたことを優に推認させるものである。さらに、検察官は、「この預金口座の入出金は、『全て』井上先生の『指示』に基づいて行っていました。」とまで調書化してしまったが、これは防禦(攻撃?)過剰であった。そのとおりであるとすれば、被告人は、豊商事の外務員報酬の積立を指示し、豊商事(上野支店)の送別会のために金を出すことを指示し、中西なる委託者の小切手取立を指示し、取立てた資金を現金化して豊商事本社へ送金するよう指示し、一億円単位で松本名義の定期預金とすることを指示し(さらにその利息は松本の別口預金または現金にするよう指示し)、仙台の馬場なる人物のための立替金支出を指示し、最終的には松本預金口座の解約を指示したなどということになる(検察官の平成六年八月一五日付け意見書別紙、同平成七年二月八日付け証拠説明書(四)参照)が、言うまでもなく、いずれも、あり得ない話である。また、上申書(原審弁第二号証)を示されての供述内容は、誠にお粗末というほかなく、およそ大企業の支店長たる松本が、「宛て名が東京地方検察庁検察官殿となっていますが、今、初めて気が付きました。」、「この上申書が何に使われるか、深く考えずに署名したのです。」と供述し、その内容に至っては、あれもこれも重要な部分は全部違うと供述したのでは、如何に重要な書類を作成し、自分がそれに署名していても、これを目の前に突きつけられて、「知らん」、「違う」と言い張る人物だ、松本という人間は、このように、平気で前言を翻すのだ、ということが調書化されたにすぎない。

以上の次第であり、原判決が無条件に指示する松本の検面調書は、措信しうる客観的証拠等との矛盾が多く、また、重要部分において記載内容自体が不合理であるなど、到底信用性を付与することができないものであり、松本の第一審における証言が、右調書と一貫しているなら、その公判廷証言は支離滅裂だということを意味するものである。

3 原判決は、「所論は、さらに、松本の当審証言に関し、同証人が豊商事で取引をした礼幸は偽名たとは思っていないと述べ、ついで、そうであるなら礼幸名義でしたものは礼幸の取引たというふうに認識しているのかとの弁護人の問に対し「はい」と答えた部分を強調し、これは同人の検察官に対する供述調書の内容や原審(第一審)公判証言を覆したものであるとしているが、右証言は、礼幸名義が偽名であるなら、その取引を受託した点は商品取引所法に違反するのではないかとの弁護人の追及の中で、偽名とは思っていなかったとの答えたのに引き続いてされた経緯があり、その後、同人は、検察官の尋問に対し、『あくまでも税金の問題を被告人と話し合っている最中に、被告人から、山田名義を含めて礼幸の取引なんだから、それを認識していくようにと言われており、個人取引というのは一切出てこなかった。だから、一二月までに幾らかでもこうしようという発想はなく、二月の(礼幸の)決算期にやろうということでお互い考えていた』旨を証言し、被告人から法人取引だと言われていたから、それに応じていた、という趣旨の証言をして先の証言を事情上訂正していると考えられるであって、全体としてみれば、同人の原審における証言等と矛盾はないというべきである。」(四丁表~裏)という。何とも難解な説示であり、その意味するところが理解できないが、原判決が、松本の控訴審証言は、同人の第一審証言(及び検面調書)と矛盾していないとの理由をこじつけようとしていることはわかる。最重要証人である松本が崩れては困るというのは、検察官の立場であろうが、何も、裁判所がこれに同調する必要はなかろう。

右は、控訴審弁論要旨(一八頁~二四頁)に対する原判決の説示であるが、恐るべき詭弁を用いているものとしか考えられない。控訴審第六回公判期日における松本の証言(速記録一丁裏~二丁表)を引用する。

偽名ということでしょう、有限会社礼幸は、。

偽名だとは私は思ってません。

じゃ、有限会社礼幸の取引だというふうに認識されているわけですか。

はし。

一審の証言と内容が違いますが。

いえ、一審のときもそう言ったつもりですけれども。

そうすると、真実、有限会社礼幸の名義でしたものは、有限会社礼幸の取引だと、こうあなたは認識しているということでよろしいんですか。

はい。

そうすると、この事件は所得税法違反でやられているんですけれども、法人税法違反でやるのが筋だとは思いませんか。

でも、それは私の見解じゃなくて、国税の見解だと思いますよ。

次いで、同証人尋問調書速録一四丁表~裏を引用する。

(原審弁護人請求証拠番号書2「上申書」を示す)

ここに書かれている中で、上申書の四項なんですが、「ところで、井上さんは『有限会社礼幸』の口座の取引は、その口座名義のとおりの法人口座の取引と考えておりましたので、同社の決算期の二月までに損となる取引を決済し、約五億円程度の損が生じました。」と。これは事実ですね。

はい。

「これは、税金の処理のために昭和六三年度決算期のうちに損の分を確定させるということで行われたものです。」と、これも事実ですね。

はい。

「『有限会社礼幸』の口座の取引が井上個人の取引という考え方だったならば、昭和六三年一二月中に損の生じる取引の分も決済していたのです。」となっていますね。

はい。

このような考え方の一環というふうにお伺いしてよろしいですか。

はい。

要するに、礼幸の取引なんだから、礼幸の決算期に合わせて、できるだけ利益を繰り越すと。

圧縮しようと。

そして、むだな税金がかからないようにしようという考え方でやったと理解してよろしいですか。

はい。

他方、原判決が重要視する松本の右尋問調書速記録三二丁表~裏を引用すれば、次のとおりである。

さっき所得の帰属のことは、それは国税とか当局に判断して下さいということでしたね。お金のことで、当局が、国税さん達が判断されることでしょうというようなことを言ってましたね。

法人か個人かということですか。

ええ。

はい。あくまでもその税金の問題を、礼幸さん、今、井上さんと話し合っている最中に、井上さんの意見は、この山田市郎を含めて、礼幸の取引なんだから、あなたは、ずっとそれを認識していくようにということを言われまして、個人の取引というのは一切、これっぽっちも出てきてないんです。ですから、一二月の決算期に幾らかでもこうしようなんて発想は全くなくて、あくまでも二月の決算期にこういう発想をしようということで、お互いにやっておったのは事実です。

井上さんからそう言われて、あなたもそういう法人の口座で申告するというふうに聞いていたから、それには応じようと、こういうことだったんですか。

はい。

原判決は、恐るべき詭弁を用いている旨前述したのは、右のとおり、松本の控訴審における証言は、「有限会社礼幸は偽名だと思っていない。」、「礼幸名義の取引は、真実、礼幸の取引だと認識している。」、「故に、礼幸の決算期に合わせた損切り処理をした。」と極めて明確であり、この証言は、第一審弁第一号証ないし第三号証の信用性を高めるものであるにも拘わらず、「あくまでも税金の問題を被告人と話し合っている最中に」との一言が枕言葉となると、他の如何なる証拠をも無視して、端的に、「税金問題=脱税対策」と断定した、という点にある。原判決が説示するような証言の事実上の訂正は認められない。即ち、松本は、

<1> 礼幸名義の取引は、礼幸の取引である。

<2> だから、被告人からも、個人取引という言葉は一切出なかった。

<3> 当然、申告は礼幸ですると被告人も松本も認識していた。

と証言しているのであって、「真実の取引主体は礼幸ではなく被告人個人であるのに、それを秘して礼幸で申告することを策略した」などとは曲解できない内容なのである。

但し、問題なのは、松本が礼幸の法人取引てあったことを認める証言をした意図が、因果玉を放置したまま年を越した事実や呑み行為の存在まで疑われる山田名義及び礼幸名義による横浜生糸についての大量両建取引の事実を無断売買ではないと説明する目的に基づくものであったため、これが、結果的に、重大な自己矛盾、論理矛盾を生じさせたことにある。この点については、控訴審における弁論要旨(一八頁~二四頁)を援用する。

二 豊商事における取引資金

1 原判決は、被告人からの礼幸に対する経営者貸付は認める余地がない旨判示する(六丁表~七丁表)。

この点について、改めて反論するのは、紙数の無駄になるだけであるので、控訴趣意書(三〇頁~三四頁)及び控訴審における弁論要旨(五頁~一八頁)を援用する。

礼幸は、被告人が作った会社である。その実質的経営者たる被告人が、礼幸を大きくするために私財をどんどんつぎ込んでいったのである。そこに、何の不自然があるのか。礼幸の預金口座に礼幸所有不動産についての賃借人からの家賃、あるいは保証金や敷金が振り込まれる。これを、被告人の判断で、礼幸の商品取引に使う。礼幸は、もともと借入金で不動産を購入しているのであるから、ローン返済に追われる。そこで、礼幸で借りられれば礼幸で借金する。あるいは、被告人の医師としての信用で被告人が借金し、これを礼幸につぎ込んで、礼幸のローン返済資金とする。被告人は、礼幸における営利事業を発展させるため、不足資金が生じれば私財を投じて礼幸の資金を作ってきたのである。被告人の個人資金が投入されたからといって、法人取引であるものが突如個人取引になるわけではない。礼幸というワンオーナー企業における経営実態は、このようなものであった。赤字会社を何とか立派な企業にしたいと経営者が必死の努力をしているのである。被告人からの経営者貸付なしでは礼幸は会社として存続していけない状況であった。これを「経営者貸付」と言わないのであれば、被告人が礼幸につぎ込んだ資金の性格をどう説明するのか。経営者が自分の会社に資金投入する際に、いちいち借用証等を作成するであろうか。被告人は、礼幸が順調に安定成長を続けることができる段階に至るまで、直接に個人資金を礼幸に投入し、また、礼幸における借入を連帯保証し、さらに、被告人自身が借入れた資金をそのまま礼幸に投入するなどしていた。そもそも、会社が軌道に乗るまでの中途の段階で、「幾らつぎ込んだ」、「いつ返してもらう」などということを考えていては、中小企業の経営など成り立たない。被告人は、原判決が問題視する尋問後一か月以上経った後でも、「いくら礼幸に貸したと言えるのか、いろいろな形態でつぎ込んだものにつきどう計算すればいいのか、今でもわからない。」と弁護人に述べたが、それが、被告人における礼幸への経営者貸付の実態だったのである。

2 原判決は、礼幸の太陽神戸銀行普通預金口座から出金された資金合計金六、八二〇万円は、直接商品取引に充てられておらず、被告人の礼幸に対する経営者貸付分の返済となり、それが被告人個人の商品取引に充てられた旨判示する(七丁表~八丁表)。これは、非常識極まりない第一審判決の判断を引継いだものである。反論に値しないと考えるが、控訴趣意書(三〇頁~三四頁)及び控訴審弁論要旨(五頁~一八頁)、井上多喜子の第一審公判廷証言の信用性につき、控訴趣意書(七六頁~七九頁)、控訴審弁論要旨(二九頁~四五頁)を援用する。

3 原判決は、豊商事からの清算金や松本からの返済金が礼幸の預金口座に入金された事実について、「格別の意味があるとはいえない。」(八丁表)と判示するが、「昭和六三年の商品取引による収益金を取得したのは誰か」という本件における最大の論点から逃避したにすぎない。客観的証拠を目の前にして、その客観的証拠に対する精査を回避するのは、証拠に基づく裁判を回避することに他ならない。

三 被告人による商品取引資金の管理等

本来、礼幸の商品取引から生じた利益金の入出金その他の管理は、専ら礼幸の実質的経営者である被告人の判断により決定されるべきものであった。これは、当然のことである。

ところが、右に関連する原判決の説示は、およそ客観的証拠を無視し、検察官が主張していない事実まで証拠に反して認定したものである。

1 原判決は、「被告人が松本のアドバイスに従うなどして横浜生糸や前橋乾繭などの取引を拡大した」(八丁裏)というが、客観的証拠たるイタ勘(控訴審甲第二〇号証)に反することは、前述のとおりである。

2 原判決は、(合計約一一億円の利益金を上げた)「被告人は、その利益金の大部分を、引き続き商品取引の委託証拠金として豊商事に入金し」た(八丁裏)というが、松本預金通帳(控訴審甲第一七号証及び第一八号証)、商品手帳(同第一四号証等)、建玉残高照合調書(同第二三号証)などの客観的証拠に反することは、前述のとおりである。

3 原判決は、「被告人は、同年四月二〇日、松本との合意により、松本洋勝名義の普通預金口座を三井銀行上野支店に開設し」た(八丁裏~九丁表)というが、前述のとおり重大なる事実誤認である。

4 原判決は、「両口座(礼幸及び山田)や松本預金口座、さらには『被告人個人の預金口座』間で資金の振替を行っていた。」(九丁表)というが、前述のとおりかように認定しうる証拠はどこにもない。

5 原判決は、「同年六月二八日には、被告人の個人的な用途に充てるため、松本預金口座から『被告人個人の預金口座』に一〇〇〇万円が振り込まれている。」(九丁表)というが、前述のとおりかように認定しうる証拠はどこにもないばかりか、弁護人が保管している被告人の個人預金通帳(差戻審において証拠取調請求予定)の記帳内容に明らかに反する。

四 岡地等における取引について

1 原判決は、「被告人は、取引量をさらに拡大して利益を増やすとともに松本の干渉を受けないで自分独自の判断ないし相場観だけで商品先物取引をしたいと考えたことから、昭和六三年五月七日、松本には黙って、岡地に…礼喜…名義の取引古座…を新たに開設して取引を始めた。」(九丁裏)という。右は、被告人の検面調書を引き写しにしただけの内容である。原判決は、八丁裏で、松本の「介入」、松本の「アドバイス」などを指摘するが、右松本の「干渉」とはどのような関係にあると考えたのか全く説明がない。松本が被告人(礼幸)の取引にどのように介入したのか、また、どの程度介入したのかは、本件において極めて大きな問題である。被告人が松本のアドバイスに従った事実は、前述のとおり客観的証拠から認められない。「干渉」とはどのようなものだったのか、それはどの程度のものであったのか、右「介入」との関係においても極めて重要である。即ち、「介入」、「干渉」が被告人(礼幸)の意思・指示に基づかないものであれば、それは無断売買に他ならない。無断売買であれば、礼幸としても被告人としても、その損益の帰属を否認しうることは、当然である(最判昭和四九年一〇月一五日・別冊ジュリスト一二九商法(総則・商行為)判例百選(第三版)一三八頁等)。しかも、原判決は、岡地での取引は、「取引量をさらに拡大して利益を増やす」ためであったとも認定している。そこで、原判決の致命的誤りを客観的証拠に基づいて指摘せざるを得ない。

礼喜名義でなした岡地における商品取引については、(所得の帰属の問題には争いがあるが)被告人の判断、指示によってなされたことにつき争いも疑いもない。そこで、岡地における礼喜名義による横浜生糸の取引内容についてみると、被告人の相場観は、基本的に昭和六三年八月三一日まで、一貫して、「買建-売手仕舞」であり、その後、最高値となったことから下げ相場による利益を狙い「売建-買手仕舞」に転じたことがわかる(第一審甲第一号証一三七丁~)。それでは、この間、並行していた豊商事における取引はどうかと比較検討してみれば、山田名義の取引につき、五月一八日に手仕舞し、利益を挙げたのちは、八月二七日に、売三〇〇枚・買三〇〇枚の両建、九月二二日に、両建玉のうち買玉を売手仕舞うと同時に買建三〇〇枚、一一月一日に三〇〇枚の売建玉を買手仕舞うと同時に売建三〇〇枚とおよそ相場観に基づかない精神分裂的な取引内容となっており、到底、被告人が指示したものとは認められない(第一審甲第一号証六四丁)。次に礼幸名義の取引についてみると、「買建-売手仕舞」を短期間でころがし、一〇月一七日には突如売三〇〇枚・買三〇〇枚の両建をなし、以後は、両建取引の清算だけであり、到底被告人の相場観に基づき、被告人が指示するような取引内容ではない(第一審甲第一号証一一二丁~)。被告人の相場観によってなした岡地における前橋乾繭の取引を見ると、生糸と同様、八月末までは、「買建-売手仕舞」であり、その後は、下げ相場による利益を狙い、「売建-買手仕舞」に転じたことが明らかである(原審甲第一号証一三九丁~)。ところが、この間、並行していた豊商事における前橋乾繭の取引には、被告人の相場観が反映されていない。山田名義の取引についでは、被告人が最も重視していた同年六月、七月、八月(前半)の買建が全く存しない。「八月末までは暴騰を続ける」との被告人の相場観が全く反映されていない(原審甲第一号証六六丁~)。このことは、礼幸名義の取引でも同様であり、六月に買建し、同月及び七月に売手仕舞ったのでは利が乗らないし、八月三一日まで「買建」してしまったのは、被告人の相場観に明らかに反する。一〇月一三日の前場一節に、買三〇〇枚・売三〇〇枚の同時両建をしたことは、およそ相場観のない手数料稼ぎに他ならない。そして挙げ句の果ては、一一月一七日の日計り商い(手数料が利益金を上回り、結局差引損失が出た)となっている(原審甲第一号証一二二丁~)。そこに、一定の相場観など見い出し得ない。

結局、客観的証拠上、岡地での取引は、豊商事における礼幸の取引を補完するものにはなっていないのであるから、被告人が、岡地において「取引量をさらに拡大して利益を増やす」ため取引していたとの認定は成り立ち得ない。

そして、豊商事における取引が、松本の「アドバイス」によってなされたものでないことが明白であるばかりか、同一時期、同一商品についての取引内容が、岡地では被告人の一貫した相場観に基づく取引と認められるのに、豊商事での取引は、これとは全く別個のその場限りの手数料稼ぎのためのものと認められるのであって、豊商事における取引を被告人が松本に指示したとは到底考えられず、かえって被告人の意に反する取引内容となっているのである。即ち、原判決のいう「介入」、「干渉」とは、その内容を明らかにすれば「取引の乗っ取り」以外の何物でもないことが、客観的証拠上極めて明白である。

2 原判決は、礼喜名義の取引について被告人個人が全責任を負う旨を約した念書の存在を指摘する(九丁裏~一〇丁表)が、このことは、逆に原判決の認定に自ら首を締める結果となる。つまり、反対解釈をすれば、豊商事における礼幸の取引については、かような念書を要求されたことすらなかったのであるから、豊商事は、当初より、真実礼幸の法人取引と考えていたこととなるのである。

3 大石邦夫名義の取引及び大沢一夫名義の取引については、控訴趣意書(二四頁~二七頁)を援用する。いずれも礼幸の取引である。

4 豊加商事における松尾聖名義の取引については、控訴審第九回公判期日における被告人供述によって明らかなとおり(速記録四三丁~)、豊商事が、その一〇〇パーセント子会社である豊加商事を使って、被告人が奪還した礼幸の資金を横取りするためになされたものであって、礼幸ないし被告人において、真実商品取引をなしたものとは言えないものである。

5 小野厳に一任した取引については、控訴趣意書(二七頁~二九頁、一二二頁~一二五頁)を援用する。右小野は、礼幸の設立に関与し、礼幸の発展のために行動していたものである。礼幸の確定申告書にも敢えて同人からの借入(実質的には被告人の経営者貸付)を記載していたことが、右事実を裏付けている(原審第一五号証、第一六号証及び第一七号証)。

6 岡地等における取引資金については、被告人が豊商事から取り戻した礼幸の資金等が充てられているもので、原判決のこの点に関する認定は、前提において誤っている。

五 礼幸での社内処理等について

1 原判決は、「礼幸名義での取引開始後、同社の公表帳簿には商品取引に関する記載がまったくな」かった(一二丁表)というが、礼幸の平成二年二月末期確定申告書には、豊商事に対する預け金として金二億六、五二三万三、五九三円が明示されている(第一審弁第一九号証)。また同三年二月末期確定申告においては、豊商事における取引利益を決算に組み入れている(第一審弁第二〇号証)。収益が確定しなければ申告できないのである。昭和六三年における礼幸の商品取引による収益が確定したのは、平成二年五月であった(第一審弁第一三号証)。それ以前には、現実収益が発生したかどうか、収益が存するとしてその額はいくらであるのかが全く不明であったのであるから、申告できなかったのは当然であり、かような結果となった責任は全て豊商事側にある。

2 また、原判決は、「本来、礼幸に利益が出た場合に繰越欠損金の処理により税務対策上有利な扱いが受けられるにもかかわらず、礼幸の法人税確定申告に際し、昭和六一年及び昭和六二中に被った多額の累積損失を申告するようなこともなかった。」(一二丁表)というが、企業経営において、何よもも銀行信用を重んずるのが通常であることが全く理解されていない。この点については、控訴趣意書(一二五頁~)及び控訴審弁論要旨(三八頁~)を援用する。

六 被告人の供述について

被告人の検察官に対する各供述調書が全く信用性のないものであることについては、既に述べたとおりである(本書第一証第五)。

七 実質所得者課税の原則について

この点に関する原判決説示内容(一三丁表~裏)の不合理性及び証拠なき事実誤認である点等については、既に述べたとおりである(本書第一章第一、第三-五~八)。

八 結論

以上、原判決は、全体として、筋違いの論法を糊塗するための強引な認定により、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認を積み重ねてしまったものである。その瑕疵の程度は重大であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することも明白である。よって、刑事訴訟法第四一一条第三号該当事由が存し、原判決は破棄されなければならない。

第二章 所得の存否について

第一 憲法違反、法令違反

一 要旨

原判決は、後述するとおり、致命的な事実誤認を犯しているので、自ら憲法、法令に違反する判決を下したことを認識していないようである。しかし、第一に、豊商事及び松本による礼幸取引資金の乗っ取りは、明らかに業務上横領罪(刑法第二五三条)に該当する犯罪行為であるのに、これを看過し、礼幸ないし被告人に特別損失が発生していたことを認定することができなかったという点において、憲法第三一条、第三二条、第三七条第一項、第二項、第三八条第二項、第三項に規定する被告人の人権を侵害した違憲判決である。

第二に、豊商事及び松本による無断売買は、商品取引所法第九四条第三項、第四項、(昭和六三年当時の)商品取引所法施行規則第七条の三第三号等に違反する犯罪行為(罰則規定は、商品取引所法一五五条、第一六三条)、違法行為であるのに、これを看過し、礼幸ないし被告人においてその損益の帰属を否認できることを認定することができなかったという点において、右憲法各条に規定する被告人の人権を侵害した違憲判決である。従って、原判決には、刑事訴訟法第四〇五条第一号、第四一一条第一号に規定する上告理由が存し、破棄されるべきものである。

二 取引資金の乗っ取りについて

1 昭和六三年四月二〇日に松本洋勝預金口座が開設されたのち、礼幸の取引資金は、豊商事の意のままに、豊商事内の礼幸及び山田名義における証拠金及び帳尻金と松本預金口座の資金との間で、恣意的に振替えられるようになり、被告人は、その管理処分権限を奪われた。従って、豊商事(実行犯は松本)は、委託者に返還すべき余剰証拠金や利益金を占有保管していたことを奇貨として、財物たる当該金員を、委託信任関係に反し、その都度、資金振替えすることによって、不法領得していたものであり、これは、反覆累行的な業務上横領行為に他ならない。

2 松本が、昭和六三年四月二〇日に、松本預金口座を開設したのは、原判決の前提となる事実によれば、松本において、礼幸(被告人)が証拠金として入金する予定であり、その意味で使途の限定された金員たる金二、〇〇〇万円を占有していたことを奇貨として、委託信任関係に反し、ほしいままに自己名義の預金とすることによって不法領得したものであり、これも、その後の同様の行為と併せ、反覆累行的な業務上横領行為である。

3 百歩譲って、被告人が松本預金口座による資金管理を承諾していたとしても、松本が、その資金を占有していることを奇貨として、委託信任関係に反し、金一億円を三回、金一億三、〇〇〇万円を一回にわたり、ほしいままに、松本の個人名義定期預金に資金振替し、もって不法領得した点については、その都度、業務上横領罪が成立するものである。松本が、これら定期預金利息を着服した点は、右業務上横領設立後の不可罰的事後行為と見るべきものであろうか(検察官の平成七年二月八日付け証拠説明書(四)参照、ちなみに同書面は、極めて異常な資金の流れを検察官が主張したものであり、十分に精査する必要がある)。

原判決は、松本預金口座において、懇親会費を入金したり、他の手形を現金化するのに同預金口座を使用したこと(原判決判示外にも、外務員報酬積立金の入出金、他の者のための仮払金支出等がある-検察官の平成六年八月一五日付け意見書別紙参照)などは何ら問題がない旨説示する(一九丁裏~二〇丁表)が、およそ経験則に反する常識外の判断である。百歩譲って、原判決認定事実を基礎として考えても、被告人は、商品取引資金(証拠金及び帳尻金)並びに(松本供述を前提とし)納税準備金として、使途を定めて松本に資金管理を委ねたとしか考えられず、このように使途を定められた預金中に、豊商事の懇親会費、豊商事の営業行為の結果たる小切手(原判決が「手形」というのは、検察官の主張外である)の取立・現金化・豊商事本社への送金、豊商事の外務員報酬の入出金、豊商事の他の委託者と推認される者への仮払金支出等本来豊商事においてなすべき資金手当が混入したということは、松本預金口座が豊商事の預金口座たる性格を有していたことを認定させるものであり、被告人が定めた使途以外にも礼幸資金が利用されたことは大問題である。商品取引員たる豊商事の資金手当のために(ことに仮払金支出等)委託者たる礼幸の資金が用いられたことは、結局、礼幸資金が豊商事によって管理されていたことを意味するものであり、委託者の取引資金のすべてが商品取引員によって管理されていたことを認めざるを得ないのである。松本の検面調書(第一審甲第一一号証)においても、「利益金の管理状況は、私が女子事務員に指示して作成させたメモを見ればわかります。」、「お示しのメモは、私が、女子事務員に指示して豊商事上野支店の経理日報、領収証、三井銀行上野支店の松本洋勝名義の預金通帳等を資料として、井上先生の山田名義及び礼幸名義の取引に関する利益金、証拠金及び預金の入出金状況をまとめさせたものです。」と記載され、松本預金口座が豊商事における業務の一環として管理・使用され、豊商事の従業員もその旨認識し、豊商事の業務として松本預金口座を取り扱っていたことが明らかである。かような局面において、「結果として委託者に損をさせたわけではない」、「結果的に委託者の資金に変動はない」などという商品取引員側からの弁解を正当化する余地はない。豊商事の管理下に置かれた資金について、支店長たる松本がこれを領得することができなかった(松本個人として手が出せなかった)ということに他ならないからである。松本預金口座が豊商事によって管理されていたことは、のちに「松本洋」という偽名の預金口座に資金が振替えられたこと、「松本洋」預金口座に資金を振替えたのちも「松本洋勝」預金口座を存続させ、また別口「松本洋勝」預金口座まで開設し、これらを豊商事の口座として利用していたことなどから、より明白となるものである(弁護人の平成七年一月六日付け提出命令申立書参照)。

原判決は、「そもそも被告人は、別件恐喝未遂被疑事件において参考人として取り調べを受けた際、松本預金口座については被告人の『承諾』の下に開設し、『入出金の度に』『報告を受けていた』し、納税準備金等として一億円ないし二億円程度をプールしておくことや、その一部を定期預金にし、その利息を松本に与えることなどを『承諾』していたこと、松本に交付した合計九〇〇〇万円を同人から返還させようとは思っておらず、松本預金口座の残金についても横領されたとは考えていないことなどを供述して」いるという(二〇丁表)が、あまりにも無謀な説示である。第一に、右説示中二箇所に『承諾』とあるが、承諾というからには「申込」があった筈であるが(民法第五二一条以下)、そうであれば、松本預金口座の開設、定期預金への振替、定期預金利息の領得については、松本が主導的に働きかけ、被告人が『承諾』せざるを得なかった事情が存すると認定したのであろうか。第二に、被告人が松本預金口座について、その「入出金の度に』『報告を受けていた』とすると、被告人は、豊商事における外務員報酬積立、送別会のための出金、中西なる委託者の小切手取立、仙台・馬場なる委託者のための仮払金支出等の報告を受け、いわば豊商事の資金手当あるいは豊商事の業務内容まで報告を受け、これに参加していたこととなるのか。第三に、よって、被告人の右調書は、別件恐喝未遂事件における被疑者らの悪性を立証するため、これに対する豊商事側の処理の正当性を強引に調書化したものであることは、別件恐喝未遂事件の筋からして明白であるが、同時に同調書(控訴審甲第三〇号証)に「礼幸における法人取引であった」旨明確に記載されている点は、どう解するのか、一通の調書中、特段に措信できる部分と完全に排斥している部分があることについてはどのように説明するのか、原審裁判所に問い正したいところである。

三 無断売買について

1 無断売買とは、商品取引員(またはその従業員)が、顧客の指示を受けないで、顧客の計算によるものとして売買取引を行うことをいう。その意味するところ及びその効力並びに本件において無断売買を推認させる証拠関係については、控訴審弁論要旨(一〇二頁~一一七頁)を援用する。

2 原判決は、「両建取引自体については、委託証拠金や委託手数料の点での負担が大きくなり、また、両建玉のいずれをも有利な条件で仕切るのは至難であると認められるものの、委託者が必ず損をするとは限らず、『適切な判断力』をもってすれば、利益を挙げることが可能である」というが、右の『適切な判断力』とは何を意味するのか。また、本件の場合、ことに横浜生糸取引による連続的な大量同時両建取引について、説示する『適切な判断力』による取引経緯が多少なりとも見られるというのか。そもそも、商品取引員の受託業務の関する取引所指示事項10では、商品取引員及び外務員に対し、「同一商品、同一限月について、売または買の新規建玉をした後(または同時)に、対応する売買玉を手仕舞せずに両建するようすすめること」を禁じ、抵触した場合には、商品取引所が厳しい制裁を課することとなっているのである。このように全国の商品取引所が厳禁する取引を裁判所が奨励(少なくとも容認)するかのごとく判示することは、商品取引業界の正常化・民主化の流れに逆行し、商品取引被害を拡大することに裁判所が加担することにもなりかねない。

3 原判決は、「日計り商い」について、「このような取引も必ず委託者において損をするとは限らず、相場の動きによって利益を上げることも可能である」、「まさに、やってみなければ損益はわかなない取引である」などというが、商品取引員の受託業務に関する取引所指示事項7では、商品取引員及び外務員に対し、「短日時の間における頻繁な建落ちの受託を行」うことを厳禁している。「やってみなければわからない」のではなく、「やってはいけない」ことなのである。右は、委託者が「やりたい」と言っても商品会社側で受託してはならないと義務づけることにより、かような取引を一掃しようとしいるのである。松本の、「やってみなければ損益はわからない」という言葉の裏には、「しかし、確実に手数料稼ぎはできる」との真意が存することは明らかなのであって、これを裁判所において奨励(容認)することは、それだけでも大きな社会的非難を浴びることである。

四 結論

原判決が、許容し難い不条理な論法を用いて事実を誤認したうえ、法令違反に陥り、ついには、憲法上保障されている被告人の人権まで侵害したことは、看過し難い。原判決は、破棄されなければならない。原判決を破棄しなければ、司法に対する国民の信頼を失うこととなるであろう。

第二 事実誤認

一 要旨

右第一に記載した憲法違反、法令違反が認められないとしても、原判決には、所得の存否(無断売買)につき、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものであって、刑事訴訟法第四一一条第三号の適用を受ける場合に該当する。右第一記載の諸点をも併せ考慮のうえ、原判決を破棄されたい。

二 豊商事による乗っ取りについて

1 原判決は、被告人の公判廷供述が、「当審で取り調べた別件の恐喝未遂被疑事件における被告人の参考人としての各供述調書(謄本)の内容と大きく矛盾する」(一五丁裏)という。

被告人は、控訴審第一二回公判期日に、別件恐喝未遂事件における被告人の供述調書の任意性・信用性の欠如について、被告人なりの言葉で説明した。被告人は、「警察官が、松本支店長はこういうふうに言ってるんですが、と。それ、私が反駁を申し上げますと、あなたに教唆の疑いがかかっているんですと。あるいは、別の警察官が取調室に飛び込んできて、ドア荒々しく開けて、あんたがやらせたんだと。なぜ止めなかったんだと、非常に脅かされました。したがって、反駁するような、それに反対するような供述を書いてもらうという形になっておりません。」などと供述したが、警察における取調べ状況が目に浮かぶほど明らかな供述内容であり、別件恐喝未遂事件の捜査状況とも符号することは、控訴審甲第二九号証(起訴状)、控訴審弁第一一号証ないし第一三号証(多々良義成、多々良実夫及び松本の検面調書)によって認められる。被告人の検面調書については、「ずっとその流れで、検察官は、警察で、あなた、こう述べてるんだが、ということで、それに沿って書かれておりますから」、「警察で述べていることを、ずっと、こういうふうにあなた言ってますね、こうですねと、検察官は仕上げみたいな形で持ってくるわけですから。」などと供述している。また、被告人は、控訴審第一一回公判期日において、「その当時を思い起こしてみますと、あの時は国税が三月八日に入っておりますから、国税が入ってから一箇月ちょっとの時期で、国税に呼ばれたり警察に呼ばれたり、それでも診療はきちっとやっておりましたから、心身共に疲労の極限にあったわけですけれども、その段階で、法律、規則、一切理解しておりませんし、更に物的証拠は国税局に持っていかれている」状況であった旨供述し、被告人を取り巻く周囲の事情からしても、真に信用性のある検面調書が作成されるような状況下になかったことを説明している。そして、控訴審に至った、ようやく開示された、イタ勘、松本預金通帳、商品手帳などの客観的証拠から認定しうる明白な事実に反する記載内容が主であることから、右検面調書すら、その信用性を否定されてしかるべきである。

よって、被告人の公判廷供述が、別件恐喝未遂事件における被告人の供述調書の内容と異なることは、むしろ当然である。原審裁判所は、まず、右各供述調書記載内容の任意性、信用性を検討すべきであった。

2 原判決は、「当時被告人が松本の取引介入や松本預金口座の開設を拒否できなかったとする理由について納得できる説明がない。」(一五丁裏)という。ところで、まず、原判決による取引「介入」(八丁裏)及び松本の「干渉」(九丁裏)を認定している。また、松本が自分名義の預金口座を開設すること自体は、松本の自由になし得るところであって、逆に、被告人は口出しできる立場にない。問題は、礼幸資金を投入して預金口座を開設したことにある。

被告人は、松本の取引介入を拒否できた筈である、との原判決の立論は、商品取引以外の一般取引であれば、そのとおりであろう。しかし、商品会社内部の者がいわゆる「客殺し」を計画した場合、委託者側では、これに抵抗できない場合がほとんどである。ことに松本は、その経歴及び支店長という立場からみて、委託者の取引に介入する手腕としてはプロの中のプロの部類に属する。そして、被告人は、商品取引の危険性をその経験から熟知していた。特に、被告人にとって、昭和五七年から同五八年にかけて、エース交易における無断売買がなされ、拒否すればするほど無断売買がくり返され、損失が急激に増加したことは苦い体験として頭にこびりついていた。

商品取引所法の改正経緯の中で、先物取引への大衆参加、これによる先物取引被害の続出(ことに委託者と商品取引員との間のトラブル急増)、これに対応するための委託者保護対策の変遷は極めて重要である。商品取引員や外務員による違反事例が絶えない中で、どこまで自己責任の原則を問いうるか、という問題でもある。まず、出発点として、「先物取引は、少額の委託証拠金によって多額の取引を行うことができる投機性の高い取引なので、わずかの値動きによって多額の差損益を生じ、短期間の間に多額の利益を獲得することもあるが、損計算になった場合には、委託者が手仕舞を指示しない限り、損失が増大し続け、預託した委託証拠金額を大幅に上回る損失が発生するケースも多く、非常にリスクの大きな取引である。」(社団法人商事法務研究会「商品取引所法」一六三頁)ということを思い返さなければならない。そして、委託者の指示があったか否かをめぐって商品取引員と委託者との間に紛争が生じ、延々と訴訟が継続しているものが非常に多いという現状を考えなければならない。また、平成二年の商品取引所法の改正にも拘らず、商品先物取引被害は増加し、深刻化しているのが現状であることも公知の事実である。

さて、被告人は、松本の取引介入を拒否することができたか。被告人の控訴審第九回公判期日における供述は、極めて重要である。

<1> 礼幸(行為者は実質的経営者である被告人)は、豊商事上野支店において、昭和六二年八月から、東京綿糸について、一連の取引を行っていた。同取引は、「綿糸は値下がりする」との被告人の相場観に基づき、売玉を建てたことから始まった。同取引は、同年一二月から、買手仕舞することによって、利益を出していた。

<2> 昭和六三年一月、礼幸が東京綿糸についての一連の取引で利益を上げている状況下で、豊商事上野支店の植松課長(資料三により植松俊行と判明した)が、礼幸の商品先物取引に介入しようとした。右植松は、被告人に対し、米国における綿の生産状況や綿糸の日本国内における需要と供給に関する資料等を見せ、綿糸の相場の動きを示すグラフ等を説明していた(商品会社としての顧客に対する当然のサービスである)ことなどから、礼幸の取引に関与し、礼幸から個人的な利益を得ようとした。右植松は、被告人に対し、「礼幸さん、ちょっとこれを見てくださいよ。」などと申し向け、税込み約一五万円の給与明細表を示し、「こんなんなんですよ。」と給与が低水準であることを被告人に訴え、暗に、個人的な謝礼を要求した。被告人は、礼幸の商品先物取引について、商品会社内部の者が関与することを嫌っていたため、思案の末、「礼幸の商品先物取引に干渉しないでくれ。」との意を込めて、暗に、その旨態度で示し、右植松に対し、いわば手切金として、礼幸の手持ち資金から現金一〇〇万円を手渡した。右植松は、被告人の意を解し、それ以降、礼幸の商品先物取引に干渉するような態度をとらなくなった。

<3> 被告人は、昭和六三年二月末ころ、商品取引相場についての極めて重要な情報を得た。その情報は、「絹の生糸のもとになる繭(乾繭)が中国において不作である。従って、今後、乾繭及び生糸が品不足のため、相当に値上がりする。」というものであった。この情報は、中国の要人からの情報であり、日本国内では、これと全く逆の情報が飛び交っていた。(礼幸相談役松尾を通じての情報であることを推認させるものとして資料四。但し、右情報は、松尾が国際電話により中国から得たものである。)この情報に基づき、礼幸は、商品先物取引による莫大な利益を獲得する千載一遇のチャンスを得た。

<4> 被告人は、同年二月末から、少量ながら売建していた乾繭(前橋乾繭)及び生糸(横浜生糸)の取引につき、同年三月から、次々に買建玉を増やしていった。

<5> 同年三月下旬、豊商事上野支店支店長(兼本社営業部長)松本洋勝が、礼幸の商品先物取引に介入してきた。当時、礼幸が豊商事に対し証拠金として入金していた約金八、〇〇〇万円は、多額の利益が出ていたため、無傷で豊商事が保管していた。礼幸が、東京綿糸について、前記のとおり一連の取引を展開していた結果として、当時(昭和六三年三月下旬)、礼幸には、約金二億円の利益金が生じていたが、これも、豊商事が保管していた。そのうえ、礼幸の前橋乾繭及び横浜生糸についての取引は、被告人の予想どおり、商品相場での価格上昇により、多額の利益が見込まれていた。即ち、豊商事は、礼幸に返還すべき証拠金及び利益金合計約金二億八、〇〇〇万円を、礼幸に返還せずに保管し、更に、礼幸の商品先物取引により礼幸に多額の利益金が発生することを知り、礼幸の商品取引口座を乗っ取る意図をもって、豊商事上野支店支店長兼本社営業部長であった松本をして、礼幸の商品先物取引に介入したものである。

<6> ところで、昭和六三年三月当時の豊商事上野支店には、顧客用カウンターがあり、被告人が、カウンター席に座ると、約二メートル先に女子事務員が二名座っていた。相場のせりは、店内スピーカーを通じて流されていた。被告人が、女子事務員に対し、売買申し込み(例えば「五枚買い」)をすると、女子事務員が電話で本社に注文を入れ、数分後、店内スピーカーから、せりの状況(例えば「豊五枚買い」)が確認できた。

<7> 松本は、豊商事上野支店支店長であったことから、被告人において、松本に挨拶をしたことはあったが、話らしい話はしたことがなかった。昭和六三年三月下旬に、松本が礼幸の商品先物取引に介入してきたのは、被告人にとっては、晴天の霹靂であった。松本は、突然、顧客カウンターにいた被告人の隣席に座り、「礼幸さん、もうちょっと買いましょう。」などと親しげに関与してきたのである。そして、被告人が、「五枚買い」と女子事務員に伝えると、松本は、「じゃ、一〇枚にしておきましょう。」などと言って、女子事務員に対する注文を、被告人の意思に反して、勝手にするようになった。被告人が隣に座っていても、松本が、被告人の了解を得ることなく、勝手に礼幸の取引注文するようになってしまったのである。

<8> 被告人は、前記植松課長の例もあったため、松本に対し、「礼幸の取引に介入しないでくれ。」との意を込めて、礼幸の手持ち資金から現金三〇〇万円を手渡し、松本を排除しようと考えた。そして、被告人は、昭和六三年四月一〇日、豊商事上野支店において、松本に対し、「礼幸の商品先物取引に干渉しないでくれ。」との意を込めて、暗に、その旨態度で示し、いわば手切金として、現金三〇〇万円を手渡した。ところが、松本は、豊商事本社の命を受けていたため、ますます礼幸の取引に介入するようになり、被告人が傍らに座っていても、松本において、独断で、次々と礼幸の取引注文をするようになった。

<9> 豊商事は、昭和六三年四月一四日、礼幸の商品先物取引口座の全部を乗っ取った。同日、被告人は、豊商事上野支店にいた。被告人は、礼幸が行っていた横浜生糸及び前橋乾繭の買建玉については、じっと我慢をして、十分な利を乗せてから手仕舞する予定であった。ところが、松本は、被告人の存在を無視し、その意思を確認しようともせず、かつ、その意に反し、礼幸の横浜生糸及び前橋乾繭の買建玉を強制的に(勝手に)、かつ、大々的に手仕舞ってしまった。被告人は、ただ、唖然としているばかりであった。同日、豊商事が松本をして手仕舞させた取引は、左記のとおりである。

(1) 礼幸の横浜生糸の取引

弁護人の証拠説明書(二)の一四九丁及び一五〇丁の番号で、九番、一〇番、一一番、一二番、一三番、一四番、一六番、一八番、二一番、二二番、二三番、二五番、二七番、二八番、三〇番、三一番、三三番、三四番、三五番、三六番、三八番、三九番、四〇番、四三番、四四番、四五番、四六番、四七番、四八番、五〇番、五三番、五五番 (合計三二取引)

(2) 礼幸の前橋乾繭の取引

弁護人の証拠説明書(二)の一七八丁ないし一八〇丁の番号で、一九番、二一番、二二番、二三番、二四番、二五番、二六番、二七番、二九番、三〇番、三一番、三四番、三六番、三七番、三八番、三九番、五一番、五二番、五四番、五六番、五七番、五九番、六一番、六三番、六四番、六五番、六六番、六七番、七一番、七二番、七四番、七七番 (合計三二取引)

<10> 被告人は、右の状況下で、礼幸の商品取引口座が豊商事によって完全に乗っ取られたことを認識し、礼幸による商品先物取引を豊商事以外の商品会社において実行せざるをえないと考えた。

<11> 松本は、昭和六三年四月一九日ころ、豊商事上野支店において、被告人に対し、「礼幸さん、礼幸の預金通帳と取引印を預からせてください。」と申し向けてきた。被告人は、「預金口座まで豊商事に乗っ取られたら取り返しがつかない。」と考え、「礼幸の通帳や印鑑はほかのことにも使っているので、それはちょっと勘弁してくれ。」と松本に言って、右申し入れを断った。松本は、「じゃ、私の預金口座を使いましょうか。」と言い放った。被告人は、ただ唖然としていた。

<12> 同月二〇日、松本は、三井銀行上野支店に「松本洋勝」名義の預金口座を開設し、以後、礼幸の商品先物取引による利益金や証拠金のすべてが、右預金口座で管理されるようになった。この段階で、豊商事は、礼幸の商品先物取引資金の乗っ取りに成功した。

<13> 被告人は、このように、豊商事が礼幸の商品先物取引資金を乗っ取ったことを承知していたが、これに対し、断固たる処置を措ることができなかった。何故ならば、礼幸の商品先物取引に関する資金の一切(当時金三億円余)が豊商事によって押さえられ、商品先物取引口座もすべて豊商事によって押さえられている状況下において、被告人が面と向かって、豊商事と喧嘩した場合、豊商事の意向ひとつで、礼幸の資金は風前のともしびになってしまう(つまり、豊商事の無断売買により、金三億円余などは、数日のうちになくなってしまう、さらに、豊商事が礼幸を陥れようとすれば、多額の差損金を発生させ、礼幸の所有資産もすべて豊商事にとられてしまう)と、被告人が考えたからであった。真実、被告人が、そのように考えざるをえないほど、豊商事の手口は、悪辣であった。

<14> 被告人は、右の状況において、豊商事及び松本の動きを見ながら、礼幸の資金を少しずつ取り戻し、取り戻した資金を元手に、豊商事以外の商品会社(岡地株式会社)において、礼幸本来の商品先物取引を実行しようと考えた。

原判決は、右のとおり断固たる処置を措れなかった理由として、被告人が供述するところは、「納得できる説明」ではないという。しかし、被告人の考え方は正しかった。別紙三のとおり、同じ豊商事上野支店において、ほぼ同時期に、松本支店長及び植松課長の無断売買に対抗し、植松に預金通帳を作られ、その預金通帳に入金された金約二、〇〇〇万円の植松による横領事実を豊商事本社や他の支店幹部に訴え出て損害回復を図ろうとした石原正雄氏は、委託証拠金代用証券として豊商事に差し入れていた株券全部を奪い取られて丸裸にされたうえ、金二、〇〇〇万円余の差損金を請求されたのである。もし被告人が短期を起こしていれば、豊商事に乗っ取られた礼幸資金三億円余は、急激な損取引により消滅し、さらに多額の差損金請求を受けることとなったであろうことは明らかである。被告人は、危機的状況下においても冷静な判断をなし得る人物である。「盗っ人にも三分の理」とばかりに、豊商事は、「あなた何も文句言わなかったじゃないの。」と言いたいのであろうが、裁判所が盗っ人の三分の理に加担してはならない。

3 原判決は、被告人が、松本に対し、合計九、〇〇〇万円の「謝礼金」を支払ったとし、被告人が、松本に対して「介入を止めるよう松本に明確に伝えたことはない」ことを問題視する(一五丁裏~一六丁表)。

第一に、被告人の控訴審第九回公判期日における供述のとおり、四月一〇日の金三〇〇万円は手切金の趣旨、四月二〇日の金三〇〇万円及び五月九日の金四〇〇万円は、「礼幸に敢えて損をさせるような無断売買をしないでくれ。礼幸の資金回収に少しでも協力してくれ。」との趣旨であり、その余の金八、〇〇〇万円は、松本が礼幸の資金を喝取したものである。ところで、原判決は、金九、〇〇〇万円全額を謝礼金と認定したようであるが、何を根拠に、全額謝礼金と認定したのであろうか。ちなみに、原判決が全面的に措信する松本の供述・証言によれば、金一、〇〇〇万円は情報提供料(謝礼金と言われても仕方ない)、金五、〇〇〇万円は預り金、金三、〇〇〇万円は土地売却代金ということになるのではないか。

第二に、被告人が松本に対し、面と向かって喧嘩を売った場合、豊商事が礼幸(被告人)に対してなすべきことはひとつであり、礼幸資金はすべて消滅させられ、さらに差損金を請求されるだけである。「止めてくれ」と言えば、本当に止めてくれる相手であれば、被告人は、当然そうしていたであろう。

4 原判決は、「無断売買が気に入らなければ、これをやめるよう強硬に申し入れるか、それでも聞き入れない場合には、即時に豊商事における一切の取引を中止、清算して、他の会社で取引を開始すれば足りる筈である。」(一六丁表)というが、これに対する反論は、右2及び3と同様である。資料三のとおり、被告人と全く同様に扱われたうえ、豊商事に逆らったため、丸裸にされたうえ、多額の差損金を請求された被害者が現に存するのである。他にも同様の被害者は多数存在する。原判決の説示は、一般取引については妥当するが、商品取引においては、運用しないのである。いくら強硬に申し入れても、豊商事は無断売買をやめなかったであろう。「即時に豊商事における一切の取引を中止、清算」することなどできない。現に、豊商事が昭和六三年の収益を(平成元年、同二年と減少させて)清算したのは、平成二年五月であった。平成二年二月一日に豊商事に対する税務調査がなければ、永遠に清算されなかったかもしれないのである。あるいは、無断売買を継続したのち、突然、礼幸に対して、多額の差損金請求をしたであろう。

5 原判決は、「被告人の供述は、『松本の無断売買の結果』を示すとも考えられる極めて多数の利益金の領収証に何ら異議を止めずに署名押印した上、多数回にわたり、委託証拠金預り証の切り換えに応じていること(甲一八号証)とも相容れない。被告人は、まとめて署名押印させられたもので、それぞれの中身を確認していないと供述するが、何故署名等を拒めなかったのかについて納得できる説明はない。」(一六丁表~裏)という。利益金領収証等が無断売買の結果を示すものであることは、説示のとおりであるが、やはり、商品取引の特殊性(ことに商品会社が客殺しを計画した場合の異常事態)について、理解されていない。

被告人は、礼幸の取引口座及び礼幸の取引資金のすべてを豊商事によって乗っ取られた状況下において、豊商事及び松本の動きを見ながら、礼幸の資金を少しずつ取り戻し、取り戻した資金を元手に、豊商事以外の商品会社(岡地株式会社)において、礼幸本来の商品取引を実行しようと考えたのである。礼幸の資金を取り戻していくためには、前述のとおり、豊商事(松本)と喧嘩するわけにはいかないのである。そして、豊商事の言いなりに領収証や預り証等に署名・押印しなければ、一円も取り戻せない状況だったのである。外形上自己矛盾するかの如き被告人の行動は、被告人なりに精一杯、礼幸資金回復の努力をなしたことを意味しているのであって、被告人の公判廷供述に虚偽はない。

三 イタ勘と本店コンピューター入力内容について

原判決は、「手書きのイタ勘と本店コンピューターに入力された取引内容との食い違いの程度は、豊商事において不正な裏帳簿を作成していた事実までを窺わせるものとはいえ」ない(一六丁裏)というが、そもそも本店におけるコンピューターのイタ勘と称されるものは、証拠として開示されておらず(事実上、検察官が開示を拒んだ)、最も重要な「損益の清算状況」の記帳内容の食い違いを検討することすらできなかったものである。その他原判決説示内容に対する反論は、控訴審弁論要旨(一〇九頁~一一二頁、一五五頁~一五八頁)を援用する。

四 大量両建取引及び日計り商い等について

1 大量両建取引

第一に、両建取引についての基本的な考え方については、前述(第二章第一-三-2)したとおりである。その他、本件における両建取引が豊商事による無断売買を認定せしめることについては、控訴審弁論要旨(一二〇頁~一二四頁、一三九頁~一五一頁、二〇二頁~二〇六頁)を援用する。また、被告人の相場観に基づく取引と矛盾することについては、前述(第一章第七-四-1)のとおりである。

第二に、原判決は、昭和六三年八月二七日前場一節に行われた山田名義による両建取引につき、必要な委託証拠金のための資金振替がなされ、そのための領収証が存することを指摘する(一七丁裏~一八丁表)が、資金振替は、豊商事内部で勝手にしたことであり、故に、「東京砂糖利益金を横浜生糸証拠金」として既に入金した旨の珍妙なる領収証を後日被告人は呈示され、礼幸資金奪還のため、止むをえず署名したものであり、利益金の領収証を同様に作成されたが、利益金自体は一切「支払われて」いない。

第三に、原判決は、「豊商事から、右各取引に関する売付・買付報告書及び建玉残高照合調書が被告人の下に『発送』されており、被告人において、各残高照合回答と題する葉書(前同押号の二三-<1>ないし<4>)に山田名義の署名押印をしていることがそれぞれ認められ、以上の事実は、右各取引が被告人に無断でされたものではないことを示すものというべきであり、これを含めてすべて被告人の『了承』の下にした取引であるとの松本の当審証言を裏付けるものである。」(一八丁表~裏)というが、客観的証拠に反する誤認であることは前述したとおりである(第一章第五-七-3)。売付・買付報告書及び計算書、建玉残高照合調書は、山田名義のものだけが証拠となっているが、原審弁第一号証六丁によれば、昭和六三年一〇月分から一二月分が診療所倉庫から押収されただけであり、それ以前のものが「発送」され、被告人に「到達」したという証拠はどこにもない。原判決摘示のものも、のちに豊商事から任意提出されたものであり、「発送」した控にすぎず、現実に発送されたかどうかも明らかでない。残高照合回答と題する葉書に至っては、診療倉庫から押収されたものは、被告人が開封していないので、何も記載されていない(控訴審第一一回被告人供述調書添付のもの)。結局、これらとても、豊商事上野支店に赴いた際、礼幸資金奪還という唯一の目的のため、止むを得ず被告人がまとめて署名したものばかりである。よって、判示のごとく、これら証拠をもって、「すべて被告人の『了承』の下にした取引」だと認定することはできない。また、説示の『了承』とは事後承諾のことであろうか。いずれにせよ、昭和六三年に礼幸の取引口座及び取引資金を乗っ取られた後の豊商事における商品取引について、被告人が事前に必要な指示をしたことは一度もない。そして、のちに領収証、預り証、葉書に署名押印しているとの点を把らえても、これら書面では、事後的にでも取引内容を知ることはできず、被告人が事後に『了承』する余地もなかった。

2 日計り商い等

第一に、日計り商いあるいはこれに類する取引についての基本的な考え方については、前述(第二証第一-三-3)したとおりである。その他、本件における日計り商い等が豊商事による無断売買を認定せしめることについては、控訴審弁論要旨(一三二頁~一三九頁)を援用する。また、被告人の相場観に基づく取引と矛盾することについては、前述(第一章第七-四-1)のとおりである。

第二に、原判決は、「委託者、特に被告人のような相場取引を好み、その読みに長けた者が利益を狙ってこのような取引をすることは十分考えられるものというべきである。」(一九丁表)というが、本件商品取引の内容を精査していない。控訴審第九回被告人供述調書(速記録二丁裏~三丁表)のとおり、「私の相場観、相場のやり方というのは、日計り商いの話が出ましたけれども、一日、二日で、すっと売ってしまうということをなるべく避ける、つまり、長期に大相場を取ればいい。素人ですから、そんなぐるぐる目まぐるしく猫の目のように変わるような相場を取るという主義じゃない」のであり、このことは、被告人自身が自らの相場観で行った礼幸の取引であると自認する岡地での取引、ことに生糸・乾繭についての取引内容(甲第一号章一三七丁~一四四丁)、豊商事における昭和六三年三月までの取引、ことに綿糸についての取引内容(同八三丁~八六丁)等を見れば、被告人の相場観を理解することができるのである。

3 五月七日の取引

原判決は、「被告人自身がわざわざ豊商事に出向かなくても、他の何らかの方法により個々の取引の指示をすることはもとより可能である上、同日、前橋乾繭の前場一節ないし同二節において、山田名義の買玉九口の売手仕舞いがなされ、これにより合計三九五七万三〇〇〇円もの利益が出ている」などという(二九丁表~裏)。

しかし、第一に、被告人は何故店頭取引をしていたのか、そこに至る経緯が理解されていない。第二に、五月七日、被告人は岡地へ赴き、生糸を買建してきたのである。乾繭については、生糸と同様、「今は買い」というのが被告人の相場観であり、同日、乾繭を売手仕舞するわけがない。豊商事(松本)の反覆売買(ころがし)取引であることは、その取引内容から一層明白である。その他、同日の豊商事における取引が被告人の意思によるものでないことにつき、控訴審弁論要旨(一一三頁、一五一頁~一五四頁)を援用する。

第三 再審請求事由の存在

一 再審請求事由

資料三(石原正雄氏の平成七年九月一九日付け陳述書-同書添付の同氏の平成元年五月三〇日付け陳述書及びその添付資料)は、被告人に対して無罪を言い渡すべきこと明らかなあらたに発見した証拠であり、刑事訴訟法第四三五条第六号の再審請求理由が存する。従って、同法第四一一条第四号に該当し、本件は、再審請求をすることができる場合にあたる事由があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるものであって、破棄されなければならない。

二 資料三の証拠としての新規性

被告人及び弁護人は、商品会社ことに豊商事の無断売買による被害者を捜し続けてきた。現に損害賠償請求訴訟が係属しているものについては、弁護人において、ある程度把握することができたが、弁護人が調査した限りにおいて、豊商事おける無断売買等を理由とする訴訟は、豊商事の商品会社としての規模の割には少ないようである。訴訟係属の点だけを考えれば、外形上、豊商事はさほど不良な商品会社ではないかの如く見える。ところが、資料五及び資料六の月刊経済誌財界展望の記事(被告人及び弁護人も取材を受けた)が商品業界内及び商品取引による被害者を呼び起こす結果となり、財界展望新社あるいはルポライター上総史朗氏に対し、豊商事社員(匿名)からの内部事情告発の手紙まで送られてくるようになった。右のような手紙の内容は、到底裁判の資料とはできない程、異常であった。弁護人においても、豊商事社員と名乗ってはいるものの、匿名であり、豊商事に恨みを持つ者が書いたものではないかと疑った。右のような手紙のうち、「豊商事株式会社良心ある社員多数」と称する差出人から右上総氏宛の手紙の一部を引用すれば、「かような悪徳会社を糾弾されたことに対し、心から拍手、エールを送る次第であります。豊商事株式会社の悪業についてのこの記事は誠に核心を突いたものでありますが、これはほんの氷山の一角であります。また、本件事件の松本某支店長などは、ほんの踊らされている人形に過ぎないのであり、本当の巨悪は、社主多々良松郎、会長多々良義成、社長多々良實夫の三名であること間違いなく、ただ松本某を隠れみのにしているのであります。『支店長が勝手にやったことで、本社は関知していない。』とは彼等の何時もの常套手段なのであります。これは同じく悪らつな経営振りに苦しめられている私共社員等社内内部に通じた者の申し上げることですから間違いありません。」、「豊商事の悪業振りは、貴誌の糾弾されている無断売買による金銭の巻き上げ等は日常茶飯事であり、その他にも執拗な刑法の強要罪にも等しい勧誘、相手の意志をまったく無視した詐欺的行為、ある者は、『勤め先会社の金を横領して投資せよ。』と脅迫さえしております。」、「そして『客殺し』という、客に損をさせること、すなわち客の財産を非合法な手段で巻き上げれば巻き上げるだけ成績を認められ、少しでも社員が人間らしい良心を持ってちゅうちょすれば、たちまち大勢の面前で大声で怒鳴られ、無能呼ばわりをする。」、「また客とトラブルは『どのような手段をとっても諦らめさせ、泣き寝入りをさせろ、相手の言い分は絶対に聞くな。』と強制し、トラブルで客が来店した時は、部屋に押し込め、数人がかりで脅して諦らめさせる。その何人かは『その筋の者』を演じるようなことをする。そのために、黒服、つけ傷、つけ入墨等の小道具を用意している店さえあり、また客が女性の場合は『まともな体でこの部屋から出られないぞ。」と強姦を感じさせるようなことさえする。」、「これ等を指示し、牛耳っているのはすべて前述の三巨悪なのであります。そして事が公になりそうになると必ず『社員が勝手にやったこと』というのは、これも前述の常套手段なのであります。」という内容である。弁護人としても、例えば、「その筋の者を演じる」、「そのための小道具を用意している」などは、常軌を逸しており、いやしくも商品取引員とは、通産大臣及び農水大臣の許可を得て、その監督下において事業を為しているものであり、世上言われる「客殺し」は、知能犯的なものであり、暴力犯的要素は極めて薄いものと認識していたが、次第に、豊商事の本当の被害者らは、泣き寝入りを余儀なくされ、豊商事の商品取引員たる資格にまで影響を及ぼすほどの紛争は、金銭和解によって訴訟にさせないという形で押え込まれていることを知るに至った。そして、平成七年八月、豊商事の被害者である石原氏の存在を知り、弁護人において、同氏の所在を突きとめ、同年九月(今月)、石原氏と面談することができた。被告人及び弁護人において、石原氏から事情を聴取したところ、本件における被告人(礼幸)の被害と共通する点が多数存し、石原氏は、被告人とともに豊商事と闘うことを決意した。石原氏から被害状況を聴取する中で、前記の「その筋の者を演じる」、「そのための小道具を用意している」ということが、豊商事の実態であり、豊商事における「客殺し」は、知能犯的要素と暴力犯的要素とを兼ね合わせた極めて悪質なものであることが判明した。別紙三の陳述書は、この上告趣意書を提出する直前である平成七年九月一九日に作成されたものであり、これに添付された平成元年五月三〇日付け陳述書は、平成七年九月に、弁護人において、石原氏から入手したものであって、証拠の新規性については、疑いがない。

三 資料三の要旨

1 石原氏は、早稲田大学法学部を卒業後、三菱銀行に就職し、平成四年に退職するまで、同行において、いわゆる銀行マンとして勤務していた。

2 石原氏は、商品取引について未経験であったところ、富士商品(株)(現フジフューチャーズ(株))芳賀昌志の押しかけ勧誘により、確実に儲かる旨誤信させられ、昭和六一年七月末ころ、富士商品において商品取引をすることとなったが、右芳賀に一任する取引形態であった。

3 結局、石原氏は、富士商品の無断売買により、合計金四、四二八万八、七〇〇円の損失を蒙ったが、うち、合計金三、一九一万〇、七〇〇円が富士商品の手数料であった。

4 右事態に直面した石原氏は、別の商品会社へ行って、そこで若干の取引をしながら、富士商品による無断売買の被害を回避する方法について相談しようと考え、昭和六二年八月、豊商事上野支店に赴いた。

5 豊商事上野支店における石原氏の担当者は、植松俊行課長であった。植松は、取引当初から「入金の記録をするために利益金を通帳に入れておけば判りやすいから作った方が良い。」などと石原氏に対して申し向け、銀行員であり、銀行に金銭を預けておくことが一番安全だと考えていた石原氏をしてその旨誤信させ、石原氏の印鑑等を騙し取った。そして、植松は、住友銀行上野支店に赴き、石原氏名義の預金口座を開設したが、その通帳と印鑑は、植松において管理し、石原氏に返却されなかった。

6 植松は、石原氏の豊商事における商品取引の利益金を石原氏の右預金口座に入金したが、その通帳と印鑑を管理していたことを奇貨として、右利益金等合計金二、〇〇〇万円余を勝手に引き出し、その大半を横領した。

7 豊商事は、右横領事実等を隠蔽するため、売買報告書・計算書(売付け・買付報告書及び計算書)や残高照合書(建玉残高照合調書)の一部を石原氏に送付しなかった。植松は、右につき、虚偽の売買メモを渡した。支店長松本は、石原氏に対し、「富士商品の者が石原さんの郵便受けを見て豊商事と取引していることが判ると困るので、(植松が)郵便受けから(報告書等を)盗んだのだ。」などと虚構の事実を説明した。また、松本は、石原氏から支払通知書が来ないのはおかしいと尋ねられ、「客の希望により送るのを止めたようにしたのだろう。」などとその場逃れの返答をした。

8 石原氏が、豊商事本社管理部に電話し、「利益金がなくなっている。どうなっているか調べて欲しい。」旨依頼したところ、本社管理部は直ちに植松に連絡を取り、当日の朝、植松がタクシーで石原氏方に乗りつけ、「富士との紛議が終わるまで大人しくしていろ。」などと申し向けて石原氏を押さえ込んだ。

9 石原氏が、豊商事渋谷支店の教育係に電話し、「実は、豊商事上野支店の取引のことで相談がある。植松氏のことで納得できないことがあるが、上松氏に判ると困るので内緒で相談に乗ってほしい。」と頼んだところ、直ちに本社に連絡され、本社から植松に連絡され、結局、右同様、植松が石原氏を押え込んだ。

10 植松は、石原氏の代理人と称して、「五木」という偽名を用い、暴力団員を装って富士商品を攻撃し、和解解決したように装うとともに、石原氏が所持していた現金六六二万九、五二九円や多額の株券等を奪い取った。

11 植松は、石原氏の追及を避けるため、四件の融資話を石原氏に持ち込んだが、すべて虚偽であった。(うち一件として「上野の医師からの金二、〇〇〇万円の借入」とは、被告人の存在を利用した虚言であった)。

12 豊商事が石原氏の名義を利用してなした取引はすべて無断売買であった。無断売買の期間は、昭和六二年八月二九日から平成元年六月五日までであり、合計損失は金二、〇〇〇万二、一一〇円であった。無断売買により豊商事の得た手数料は、合計金二、九二〇万三、〇〇〇円であった。

四 本件と石原氏が被害を受けた無断売買との共通点

1 いずれも豊商事上野支店における違法行為であること。

2 いずれも支店長松本洋勝及び課長植松俊行が実行者であること。

3 いずれも無断売買の時期は、昭和六三年が主であること。

4 いずれも銀行預金口座に利益金等を振替え、豊商事としては余剰証拠金や利益金を委託者に対し支払ったとの体裁を整えたうえ、銀行預金口座と取引口座との間での資金振替を豊商事が自由に行っていたこと。本件においては、被告人が礼幸の印鑑を預けることを拒否したため、松本預金口座が利用された。石原氏の場合、銀行員としての立場につけ込まれ、石原名義預金口座が利用された。

五 原判決破棄差戻の必要性

資料三は、前述のとおり、本上告趣意書起案中の本年九月に入手したもので、石原氏から更に詳細に事情聴取する時間はなかった。しかし、いったん上告裁判所に提出された資料は、上告審判決が下がってしまえば、再審請求理由の証拠たる価値を失うこととなる(東京高決昭和五五年二月五日高刑集三三-一-一、狭山事件再審請求に関するもの)。

そもそも、本件控訴審において、被告人の反論に基づく反証活動が十分に許容されず、結局、審理不尽のまま原判決に至ったものである。認定の基礎となる事実関係が極めて複雑であり、しかも商品取引業界の裏の裏まで考察し、さちには、被告人独自の相場観を客観的証拠によって認識し、同時になされた、およそ相場観に基づかない取引の内容とを仔細に比較検討しなければならない本件は、一般刑事事件に比し極めて難解であると言わざるを得ない。

よって、原判決を破棄し、差戻審において十分な審理を尽くさなければ、真の意味で、被告人の裁判を受ける権利が実現されたものとは言い得ないものと思料する。

以上

資料一

<省略>

資料二

<省略>

資料三

石原正雄

一 平成七年八月二五日付けの大久保宏明弁護士からの書簡が、翌日、私の自宅に届きました。その内容から、井上禮二医師の経営する有限会社礼幸という会社の投資事業としてなしていた商品先物取引について、昭和六三年四月に豊商事株式会社上野支店松本洋勝支店長の手によって取引口座及び取引資金を全て乗っ取られ、豊商事による無断売買が繰り返されたこと、豊商事が取引資金ストックのため松本洋勝の預金口座を作り、有限会社礼幸の商品先物取引資金を弄んでいたことなどを知りました。

二 私は、早稲田大学法学部を卒業後、三菱銀行に就職し、銀行マンとして働いておりましたが、商品先物取引の世界に誘い込まれ、結局、商品会社の手によって、人生を台無しにされた人間です。商品取引に手を出していたことが原因で、出世も望めなくなり、平成四年に三菱銀行を退職し、現在五九歳で、職を捜している状況です。昭和六一年に、富士商品という商品会社の営業マンが突然押しかけ訪問してきたことが、私にとっては地獄の入口でした。もともと私は、午前八時半ころに出勤し、午後八時ころ帰宅するという生活パターンであり、しかも、勤務中に商品会社に電話などしようものなら、銀行の上司、同僚、後輩らから「石原は商品取引をやっているぞ。」と白い目で見られ、出世にひびくどころか、クビを切られることになってしまいますから、商品会社に電話を入れることさえできない状況でした。従って、私が、商品先物取引を指示することなど不可能でした。それなのに、商品先物取引に手を出してしまったのは、富士商品の営業マンであった芳賀があまりにもうまく私を騙したので、私としては、「話半分として半分の利益でもいいじゃないか。」と考え、利殖のために商品先物取引をすることにしてしまったのです。私の生活パターン及び勤務状況は既に述べたとおりですから、私が商品先物取引をするといっても、取引の実行は、芳賀を信じて、任せるという方法しかありませんでした。ところが、現実に、芳賀が実行したのは、私の事前の了解を得ずに、しかも私の意に反してなした無断売買取引であり、その取引内容は、富士商品の手数料稼ぎのために「客殺し」をするためのものだったのです。結局、富士商品においては、損を取り戻すため、「新田恭平」という仮名口座による取引まで勧められ、この名義による無断売買で、さらに損が増え、損金は、合計金四四二八万八七〇〇円とされてしまいました。このうち、金三一九一万〇七〇〇円が手数料ですから、この数字だけを見ても、富士商品における私を利用した無断売買が、富士商品の手数料稼ぎを目的として敢行されたものであることは明白です。

三 私は、このような事態に直面し、困り果てた末、別の商品会社へ行って、富士商品による無断売買の被害を回避する方法について相談しようと考えました。豊商事上野支店は、当時の私の自宅から最も近く、また、以前勧誘を受けたこともあったので、私は、豊商事上野支店で若干の取引をしながら、富士商品での件について相談し、解決策を見い出したいと考えたのです。

四 私が、初めて豊商事上野支店へ行ったのは、昭和六二年八月のことでした。私の担当は、植松俊行課長でした。私は、結局、豊商事でも「客殺し」の対象とされて、豊商事の手によって無断売買を反復継続されてしまいました。しかも、植松は、「入金の記録をするのに利益金を通帳に入れておけば判りやすいから作った方が良い。」などと私に言って新しく預金通帳を作るように勧めました。私は、自分が銀行員であることから、銀行に金銭を預けておくのが一番安全だという考え方がありましたから、植松は、そこにつけ込んできたのです。私は、植松に騙され、私の住所・氏名のゴム印、印鑑などを植松に預け、植松が住友銀行上野支店へ行き、私の預金口座を開設してきたのですが、植松は、それ以降ずっと私の通帳と印鑑を管理して私に返却せず、この預金口座を好き勝手に使ったのでした。

五 植松は、私の預金口座の通帳と印鑑を私に返却せず、私の商品先物取引の利益金等合計金二〇〇〇万円以上の金を引き出し、そのうちの大半を横領しました。のちに、植松は、私に少しずつ弁償しましたが、それでも、横領されたまま弁償されなかった金額は、金二五〇万円余となりました、豊商事は、私に対する回答書において、植松がこの金を「自宅に保管」していたなどと返答してきましたが、これは、豊商事が会社ぐるみで横領事件を隠そうとしたものです。また、横領事件を私に知られないように、売買報告書、計算書、残高照合書の一部を送付せず、豊商事は、会社ぐるみで不正・違法行為を隠蔽しようとしたのです。そればかりでなく、私に虚偽の売買メモをよこしたりもしました。また、豊商事上野支店の支店長だった松本洋勝は、私に、「富士商品の者が石原さんの郵便受けを見て豊商事と取引していることが判ると困るので、(植松が)郵便受けから(売買報告書等を)盗んだのだ。」などと適当なことを言っていましたが、支店長である松本がこのようなことを私に言うこと自体、豊商事の会社ぐるみの「客殺し」を自認したことになると思います。また、植松が勝手に引き出したのは、私の商品先物取引における利益金であるのに、支払通知書が来ないのはおかしいと松本支店長に尋ねたところ、松本は、「客の希望により送るのを止めたようにしたのだろう。」と言っていましたが、結局、松本も植松とグルになって会社ぐるみで私の利益金を横領し、それを隠していたとしか考えられません。私が、「会社ぐるみ」と断定する理由は、まだあります。第一に、上野支店では何を聞いてもらちがあかないと考えて、豊商事本社の管理部に電話し、「利益金がなくなっている。どうなっているのか調べて欲しい。」と頼んだのですが、本社管理部は直ちに植松に連絡を取り、その日の朝、植松がタクシーで私方に乗りつけ、「富士との紛議が終わるまで大人しくしていろ。」と私を押さえにかかりました。第二に、豊商事渋谷支店で教育係をしていた、たしか野田という人に電話して、「実は、豊商事上野支店の取引のことで相談がある。植松氏のことで納得できないことがあるが、植松氏に判ると困るので内緒で相談にのってほしい。」とお願いしたのですが、これも直ちに本社に連絡され、本社から植松に連絡され、結局、植松が私のところに飛んできて、また、私を押さえんでしまったのです。

六 私が植松に相談した富士商品との紛争解決の件ですが、植松は、「俺に任せておけ。」と私に言い、私の代理人と称して、「五木」という偽名を使い、暴力団員を装って、富士商品攻撃を始めました。その経過については、私の平成元年五月三〇日付け陳述書において詳しく述べてあるとおりです。商品会社内部の人間は、もともと詐欺師の素質がなければやっていけないのでしょうが、平気で人を脅し、あげくの果ては暴力団まがいのことまで平気でやるのだということが、よく判りました。そのくせ、公の場では、平然と紳士を装うわけですから、たいしたのもです。

七 豊商事が私の名前を使ってした取引は、すべて無断売買であり、植松が、私の預金口座を管理して、勝手に取引したものです。無断売買の期間は昭和六二年八月二九日から平成元年六月五日までで、取引銘柄は、小豆、大豆、銀、白金、綿糸、乾繭、砂糖となっており、総取引枚数は、三七五四枚で、

売買差金 金 九二〇万四八〇〇円

手数料 金 二九二〇万三〇〇〇円

税金 金 一万三九一〇円

差引合計損失 金 二〇〇一万二一一〇円

ですから、豊商事の手数料稼ぎのために利用されただけの結果となっております。

八 私は、最終的に、商品先物取引に詳しい吉井文夫弁護士に相談し、詳しく事情を説明し、これを陳述書として作成してもらいました。それが平成元年五月三〇日付けの私の陳述書です。その陳述書の控(写し)を本陳述書に添付します。

九 私は、吉井弁護士に依頼して、富士商品及び豊商事における違法行為を追及してもらいました。そして、吉井弁護士のおかげで、富士商品及び豊商事との間で和解が成立し、和解金も受領しました。和解契約書の内容として、和解した件については、一切他に漏らさないこととなっています。

このような和解をしたので、私としても、躊躇したのですが、大久保弁護士からの手紙で、井上医師が出張した豊商事の無断売買が認められず、一、二審とも有罪の実刑判決を受けたことを知らされ、また井上医師及び大久保弁護士が豊商事の無断売買による被害者を捜し続けて、ついに私の存在をつきとめるに至ったことなども知らされました。私としては、私の被害は民事上のものですが、井上医師の被害は、現在の判決が確定してしまえば、服役し、また医師免許もはく奪ないしは停止されるという厳しい結果となるわで、同じ豊商事の被害者として、私が真実をはなさなければならないと考えるに至りました。豊商事により無断売買をされた期間は、昭和六三年が主であること、豊商事上野支店の私の担当であった植松俊行課長及び松本洋勝支店長が無断売買の実行部隊であったこと、また、預金口座を勝手に(あるいは騙して)作り、預金口座の資金を横領したり、資金ストックしておいて、真実の取引内容を知らしめずに資金を弄ぶ手口等々、私が被害を蒙った事実と井上医師の経営する会社が被害を蒙った状況とは極めてよく似ています。今月に入ってから、井上医師及び大久保弁護士と会い、裁判記録を見せてもらいながら説明を聞きましたが、要は、商品会社で日常行われている異常なことが、表の顔だけ評価され、裏の顔は裁判所には判らなかったということだと思います。井上医師だけの話では、「そんな馬鹿なこと、あるはずがない。」と裁判所は判断してしまったのではないでしょうか。そうであれば、ほとんど同じ体験をした私が、商品会社ことに豊商事の裏の顔を証言しなければならない立場にあると考えております。真実を語るのに何もはばかることはありません。裁判所に真実が判るよう、私は、いつでも証人として裁判所に出頭する覚悟です。

平成七年九月一九日

東京都中野区中の三-一四-三

石原正雄

最高裁判所 御中

石原正雄陳述書

目次(陳述内容)

第一、富士商品との取引について。

一 取引するに至った経緯・・・・・・二九八三頁

二 売買取引の状況・・・・・・二九八四頁

三 仮名取引を勧められた経緯・・・・・・二九八五頁

四 取引による損失・・・・・・二九八七頁

第二、豊商事との取引と同商事の植松課長の不正行為。

一 同商事と取引するに至った経緯・・・・・・二九八七頁

二 石原正雄名義の住友銀行口座開設の件・・・・・・二九八八頁

三 売買内容についての不審な点の数々・・・・・・二九八九頁

四 植松課長が私の口座から私の利益金を勝手に引き出していたこと・・・・・・二九八九頁

五 売買報告書、計算書、残高照合書等の一部を送付しなかったこと及びこれを会社ぐるみで隠したこと・・・・・・二九九一頁

六 豊商事課長植松氏が富士商品に紛議申立をするよう勧めた経緯・・・・・・二九九三頁

七 同課長植松氏が東京砂糖取引所に対する取引「調査願い」を作成提出させたこと・・・・・・二九九四頁

八 同課長植松氏が売買報告書等を隠し、ウソの売買取引メモを渡したこと、それによって利益金を横領したことを隠したこと・・・・・・二九九五頁

九 五百円の記念硬貨紛失事件・・・・・・二九九六頁

第三、富士商品との和解交渉経緯。

一 豊商事の植松課長の書いた筋書・・・・・・三〇〇〇頁

二 第一回目の交渉・・・・・・三〇〇二頁

三 第二回目の交渉・・・・・・三〇〇四頁

四 第三回目の交渉と金銭の受け渡し和解書の締結・・・・・・三〇〇七頁

五 私の承諾なしに、富士商品の遠山管理部長と豊商事の植松課長が和解金を分配したこと・・・・・・三〇〇九頁

六 遠山管理部長と豊商事の植松氏がグルだと思う根拠・・・・・・三〇一一頁

七 遠山管理部長から脅されたこと・・・・・・三〇一一頁

第四、豊商事の植松課長が富士商品から返還された株券、現金をいれたカバンが、富士商品の依頼した暴力団稲川会に取られたとウソをついたこと。

一 その経過・・・・・・三〇一三頁

二 後にわかったウソである理由・・・・・・三〇一五頁

三 その他植松課長の言動・・・・・・三〇一六頁

四 私の豊商事との取引の損失・・・・・・三〇一七頁

第五、おわりに

陳述書

石原正雄

私が富士商品とした取引と、これと併行して行った豊商事の植松俊行氏との取引について、その事実経過を正直に陳述いたします。

第一 富士商品との取引について。

一 取引するに至った経緯について、

1 私は商品取引の経験はありませんでした。

2 最初取引するようになったのは、富士商品担当者芳賀昌志の突然の押しかけ訪問勧誘であります。

芳賀氏は

「砂糖取引をしませんか。砂糖取引をすれば百枚で一億五〇〇〇万円儲かる。今年は六年周期の暴騰する年にあたる。」

と言って勧誘しました。何処で私のことを調べてきたか私には判りませんでした。(後に聞いても言いませんでした。)彼は訪問勧誘した初日午後三時頃訪れましたが、それから深夜まで近くのプリンスという喫茶店で話込まれマスターから「時間ですよ。」といわれるほどねばられました。

3 後日取引所の「しおり」を読みまして、「利益を確約して取引を勧誘してはいけない。」ことを知りましたが、芳賀があまりに確信ありそうに言うので私は「話半分として半分の利益だっていいじゃないか。」と思い、芳賀の「相場六年周期説」に説得され取引する気になったのであります。

4 取引の期間は昭和六一年七月末から同六二年一一月四日までの期間であります。

二 売買取引の状況。

1 売買取引はすべて芳賀が勝手にやって事後報告したものか、あるいは無断売買であります。

というのも、私は銀行に勤務しておりますので売買取引が行われている間はとても電話できません。相場をしていることが勤務先に判ればクビになります。

2 私の承諾しない無断売買がハッキリしているものもあります。

それは芳賀が裁判かなにかで出張中に売買がなされたものがあることで明白です。芳賀はどこの裁判所か知りませんが「飛行機で出かける。」と言っていました。その不在中に売買がなされたものであります。私が全く知らないうちにされた売買報告書が送られてきて判りました。

これは後に吉岡部長がやったことを芳賀課長からききました。またこのことも含め無断売買をタネに豊商事の植松氏が、富士商品の吉岡部長を責めました。

3 私の取引も、約二一〇〇万位の損をしていると思います。

以上の次第ですから私の本名の取引についても決して納得している訳ではありません。不満は沢山あります。私がある程度任せていたことにつけこんで、多数の売買をされました。

これは、損金の殆どが手数料であることから証明されます。

損金 金 一九九六万二二〇〇円

手数料 金 一九七三万四二〇〇円

となっています。これだけで芳賀課長の売買のやり方が判ります。

三 仮名取引を勧められた経緯

1 このようにして芳賀のいった砂糖取引で段々と損が拡大し儲けるどころではありませんでした。「六年周期説」はデタラメと思いますが、このように手数料が多くなる売買をすれば、損するにきまっています。

2 そうすると今度は、白金の取引を仮名でするように勧められました。富士商品の吉岡部長が指示して芳賀氏が仮名口座を作ったのです。

その時も芳賀は「損を取りかえすには白金がよい。これで砂糖取引の損を必ず取りかえしてあげます。」と言って始めました。そして結局芳賀の友人の幼児の名前を使って、

「千葉県浦安市富士見二-九-二三-B 新田恭平四四才」

ということで芳賀が仮名口座をつくりました。

3 承諾書、通知書など全て芳賀が書きました。新田恭平の印鑑は芳賀が用意し、会社の印鑑届も芳賀が全て作りました。銀行通帳も作りましたが、その印鑑届も芳賀の筆跡であります。銀行を調べていただければ判ります。

仮名口座の最初の証拠金は現在豊商事にある株券を預けました。

この株券は友人から借りたものですが、私が吉岡部長には友人から借りたことを話すと「どんどん借りて下さい。これからは借りて儲ける時代ですよ。」と言っていました。

4 芳賀は常務に対して「新田恭平は石原さんの仲間です。」と私が新田という友人を芳賀課長に紹介したように、嘘を言っていたので、後にトラブルになったのでかなり怒られたということを聞きました。芳賀が仮名口座を作ったのは、あの時芳賀課長が所属していた営業第三課の実績向上になると考えてやったのだと言っていました。

5 この取引についても当然なことですが金は入れさせましたが売買報告書、計算書は一切私のところに送られてきませんでした。電話で連絡してくれるだけです。またメモもくれませんでした。残高照会も回答は芳賀が書いていました。

従って売買の内容は電話で聞いただけでそれが本当のことかは全く判りませんでした。

6 この取引も金を入れさせるばかりで、利益は取れず損が拡大するばかりでした。

7 この取引の不満も大いにあります。

第一は売買は殆ど事後報告です。一任といえばそうなりますが芳賀が自由にしていました。

第二は余裕をもってやってくれ。証拠金の三分の一位でやってくれと言っていたのに、全然聞いてくれなかったことです。

私は証拠金一杯に建てると、追証の時困るので芳賀氏にそう言っていましたのに聞いてくれませんでした。

8 芳賀に任せていたので私もわるいのですが、そうして芳賀課長がやればやるほど損害が拡大していきました。

こうして結局仮名口座で後で和解するとき渡された売買報告書など(遠山管理部長は破けといったが、私がとっておいたもの)で、私の計算によると約二千四百三二万六千五百円の損失を生じました。

四 取引による損失

私の富士商品との取引損失は、約四五〇〇万円です。私の計算によれば、

私名義の取引 一九九六万二二〇〇円

架空名義の取引 二四三二万六五〇〇円

合計金 四四二八万八七〇〇円

です。その内、手数料が、

金 三一九一万〇七〇〇円

となっているのをみれば、手数料の割合の大きさがわかります。

この富士商品との取引をやめるについても仲々やめさせてくれず、豊商事の植松氏がやかましく怒鳴りつけるように言ってやっとやめさせたことは後に申し上げます。

第二 豊商事との取引と同商事の植松課長の不正行為

一 取引するに至った経緯。

1 私が豊商事と取引するようになったのは、富士商品のことを相談したかったからです。

先に申しましたように、私の本名取引も、新田恭平の取引も芳賀課長が、勝手に取り引きし、なかなかやめてくれず、大きく損をして大きく損をして取引を切るにも切れなくなっていたからです。

豊商事を選んだのは以前勧誘をうけたことがあり、会社の名前を知っていたのと、上野支店は家から近かったからです。

相談をするには、取引を少ししなければ、相談にものって貰えないと思ったので昭和六二年八月私から豊商事の上野支店に行きました。

2 私の担当になったのが植松氏でした。取引した銘柄は粗糖、乾繭、小豆、綿糸、ア大、などです。

二 石原正雄名義の住友銀行口座開設の件

1 これは植松氏の言い出したことです。植松氏は、「入金の記録をするのに利益金を通帳に入れておけば判りやすいから作った方が良い。」と勧めました。

そこで私が植松氏に私の住所、氏名のゴム印、印鑑などを預けたので、植松氏が銀行に行って口座を作り通帳をもらってきてくれました。

2 従って銀行で調査してもらえば判りますが、私の筆跡の字はありません。

口座開設の申込書類に、植松氏は、私の暗証番号(これには豊商事上野支店の電話番号を植松氏は書いたそうです。)と私の自宅の電話番号を書きいれ、その他は私の渡したゴム印や印鑑を使用したものと思います。

3 この通帳を作ったのは植松氏は前述のように「入金の記録をするのに判り易い。」と言いましたが、後述するように、

<1> 私の利益金を無断で抜いて自分の用途に使ったこと。

<2> 売買報告書の一部を私に届かないようにして、私が要求するとウソの売買内容を記したメモを渡したこと。

<3> 富士商品との取引をやめて返還をうけた現金や株券を富士商品の雇ったヤクザに取られたと芝居をして着服したこと。

などから考えて、この時から私を食い物にしようと計画的だったのだと今にして思います。

三 売買内容について不審な点の数々

1 この売買も、実質的には殆ど事後報告の売買であります。私が勤務中に売買の電話をしたことは一度もありません。

2 後に申しますが豊商事の植松氏の指示で、東京砂糖取引所に富士商品との取り引きについて「調査願」を出しました。この為一度だけ取引所から私の勤務先に電話があり、私の不在中に何人かの者にその電話が回り、私が取引していることがバレました。

この為私は、今まで競馬場の売上金などの現金を扱う部署から為替課という所に左遷させられてしまいました。

3 このような訳で私の方から、売買の注文を出したことはありません。

そのほか不審な点が沢山ありますので、主なことを述べます。

四 植松課長が私の口座から私の印を利用して私の利益金を勝手に引き出していたこと。

1 このことは私に送付されてくる、残高照会通知書の利益金の残高が、あった筈であるのになくなっていることに気づき調べて判かりました。

それでもおかしいとは気づいたものの、全体のことは植松課長が正直に言ってくれないので、全く判りませんでした。

この度吉井文夫弁護士から取り寄せてもらった、豊商事に私名義で出されている利益金の受け取り証と、植松課長が私のために作ったという銀行口座の入金と、委託者別取引勘定元帳を比較して判明しました。勝手に引き出された金額は(別紙1の1~2)のとおりです。

引出合計金 金 二〇一〇万六三〇〇円

入金合計金 金 二〇四万一〇〇〇円

(通帳によると入金は二〇四万二〇二四円であるが、一〇〇〇円は、私の入金したもの二四円は利息であるから一〇二四円を差し引きした金額)

その差額金 金 一八〇六万五三〇〇円

が植松課長の横領した金額になります。(通帳には、同六三年一〇月一三日、金一〇〇万円。同月二一日金五〇万円合計金一五〇万円の入金がありますが、これは、年が変わって入金したもので、その前後に利益金の引き出したものがないので、横領した金をあとで、穴埋めしたものであります。)

そのうち、植松課長から返還された金額が、

金 一三〇三万円(明細別紙10のとおり)

です。

その差額の内 金 二五〇万八八〇〇円

は私が貰う利益金の残額となります(別紙5のとおり)。

それが分かったのは、委託者別先物取引勘定元帳と銀行口座と植松氏のくれた売買メモを比較検討したからです(後に述べます。)。

2 豊商事は、回答書によりますと、植松課長がこの金を「自宅に保管」していたとかいておりますが、そのようなことがありますか。私の金を無断で、私の預けていた印を利用して領収書を偽造して引き出し、自宅になぜ保管しておく必要があるのですか。世間では、そのようなことを横領したというのではありませんか。豊商事ではそのような常識は通用しないのですか。自宅でどのようにして保管していたのですか、と反論したくなるではありませんか。大変誠意のない回答だと腹がたちます。

五 そしてそれをゴマカスため売買報告書、計算書、残高照会書の一部を送付しなかったこと、それを会社ぐるみ隠したこと。

1 この取引で不明瞭な点がまだあります。売買報告書、残高照会書などを隠して私にくれなかったことです。それだけではありません。私にウソの売買メモをよこしたのです。そのメモは現在ももっています(別紙2の「植松氏が自分で保管し、私に売買報告書を渡さなかったものを請求するとこれをくれた。」と題する書面がそのメモ)。

ウソだと言うことが分かったのは、先に述べたように吉井弁護士から見せて貰った委託者別先物取引勘定元帳と植松課長から貰ったメモと比較したからです。

2 しかもこれを会社ぐるみ隠そうとしていました。植松課長に言わせれば、売買報告書、残高照会書などを隠して私に渡さなかったのは、富士商品と私の紛議に植松課長が関与していることが、富士商品側にわかってはいけないから管理部に頼んで、送らせなかったといっていましたが、松本上野支店長は、植松が「富士商品の者が石原さんの郵便受けをみて豊商事と取引していることが判ると困るので、郵便受から盗んだんだ」といっていたと、話していました(私は独身のアパート住まいで昼間はいない。)。

そのほか会社ぐるみで隠したと思われる理由は

<1> 富士商品では利益金の支払をした場合、会社から委託者に「支払通知書」という利益金を支払いましたという通知をしてきます。ところが豊商事の場合植松氏が勝手に利益金を引き出しているのに「支払通知書」は一通もきません。その点を松本支店長に尋ねましたところ支店長は、「客の希望により送るのを止めたようにしたのだろう。」と言っていました。私に聞かないで、勝手にそんなことができるのは、会社ぐるみとしか考えられません。

<2> 本社の管理部に「利益金がなくなっている。どうなっているのか調べて欲しい。」と言うと、直ちに植松氏に連絡されたらしく、直ちにその日午前中、植松氏はタクシーで私方の家に乗りつけ、「富士との紛議が終わるまで大人しくしていろ。」と押さえにかかったこと。

<3> たまたま上野支店にいった際、渋谷支店で教育係りをしているという、たしか野田という人がおられ主として富士商品との取引のことについて話を聞いて頂きましたが、真面目な指導をする人と思ったので、後日渋谷支店に電話して「実は、豊商事の取引の事で相談がある。植松氏のことで納得できないことがあるが、植松氏に判ると困るので内緒で相談にのってほしい。」と、お願いしました。私は「支払通知書」のことなどお尋ねしようと考えていましたが、これも直ちに本社に連絡され、本社から植松氏に連絡され、植松氏が私方に飛んできて、また私を押さえたこと。

<4> このようにして二回も私は、植松氏のことを会社に相談しようと思ったのに妨げられました。

このような申し出が、お客からでた場合、担当者である植松氏に連絡しないで、何故私を呼び出して、私から直接事情を聞こうとしなかったのでしょうか。私から事情を聞いて、帳簿と比較すれば植松氏の不正はすぐ判った筈です。不正を行っている本人に連絡すればゴマカシをするのは判り切っているではありませんか。そうは思いませんか。それを全くしないのは、会社ぐるみで隠そうとしているとしか考えられません。

<5> 植松課長は、後で聞いたとき「この世界では上役も本社も知らなかったことになっている方がよいのだ。」と言っていたこと。

<6> 私の金を流用して、それを返すのに、私を呼んで、私から事情を聞こうとしないで、つまり、事実、実態を調査しようとしないで、私と植松氏との当事者間の話し合いにさせて解決させようとしたこと。

以上の諸点から、私は豊商事が会社ぐるみ植松課長の不正を隠していたとしか考えられません。

それらの事情は、植松氏が富士商品に紛議申立をさせた経緯から話した方が判り易いと思いますので、そのことから申し上げます。

六 植松氏が富士商品紛議申立を勧めさせた経緯。

1 植松氏と取引するようになって、すこしづつ私は富士商品の取引のことはどうしたらよいか、相談をもちかけました。よい知恵を貸してくれないかと思ったからです。

2 植松氏は「それは俺に任せておけ。うまいことやってやる。」と言いました。

一度私は富士商品の芳賀に請求されたので豊商事から現金五〇〇万円をだしてもらい、これを富士商品の芳賀に渡し、芳賀氏はその金を富士商品の仮名口座にいれたことがあります。

3 私は植松氏に富士商品から金をもってくるよう請求されていると言いますと、植松氏は「俺が代わりに行ってやる。」と言いました。そして上野の丸井の隣の喫茶店で会ったそうです。

後で芳賀氏にきいたところによりますと、植松氏は赤いシャツにノーネクタイで恰かも街の暴力団のような恰好で肩を怒らせて芳賀に「この金はその筋の金だからな、判ってるだろ!」とドスのきいた声で言ったそうです。そのとき芳賀は名刺の裏に預り証五〇〇万円と書いて印も押さず恐がって金を受け取ってすぐ帰ったそうです。後で芳賀はその時新田恭平名義の五〇〇万円の預り証を持ってきていたのだが、植松氏の言葉遣いが荒いので「預り証を渡すとどうなるか心配になって渡さなかった。」と言っていました。

4 こうして富士商品の芳賀がこの五〇〇万円を、仮名の新田恭平名義に入れたことが判ったので、植松氏は私に「石原さん、本名の取引を早く切れ。そして仮名の取引だけ残せ。そして仮名取引は知らないと突っ張れ。そうすれば、石原さんの金を知らない他人名義の口座に入金したじゃないか、と攻撃できる。俺は石原さんに金を二五〇〇万円貸していることにする。後は俺に任せろ。仮名口座は違法なんだ。法律を知らん奴はしょうがない。」と自分は如何にも法律をよく知っているように言って、任せておけと言っていました。

七 豊商事の植松氏が紛議申立をするため石原正雄名義富士商品との取引を打ち切ったこと。

1 このようにして昭和六二年一一月四日のことであります。植松氏から私は豊商事の上野支店に呼ばれました。そこの支店長室から植松氏は電話で富士商品の芳賀課長、吉岡第三営業部長、青木課長を次々と呼びだしました。そして、

「オイ、俺は石原の代理の五木という者だ。この前も言ったように五〇〇万円の金は、他人の口座に入れたようだな。おまえらそんなことしてよいのか。先行きおかしくなったら承知せんぞ、と五〇〇万円渡す時言っておいたろう。どうなったんだ。損すると承知せんぞ。おまえら架空口座で悪いことしてたんだ早く切れ。」

と怒鳴るような声で言いました。

前にいた私に植松氏のツバがかかってきたほど、強い調子で荒い言葉で言いました。

2 こうして一一月四日に豊商事上野支店長室から電話して富士商品の建玉を、植松氏が切ってしまいました。富士商品の電話の相手が担当の芳賀課長、吉岡部長、青木課長と次々と代わったのは、植松氏が切るように言っても仲々すぐ素直に切りますと言わなかったからです。

最後に植松氏が「石原さんが出てくれ」と言ったので、私が出て、芳賀に「切ってくれ」といいました。植松氏はその時「粗糖を切ってくれと言え。粗糖はと言うな。それは大事な事だ。あくまで仮名口座は知らないだんから、仮名の銘柄は一切知らないことだから言うな。」と、念を押して言いました。私はそのとうりしました。「粗糖は」というと、他に取引があることを、認めることになるので、「粗糖を」と言え、という意味であることは植松課長の口ぶりでわかりました。

こうして富士商品の私の建玉を全部切ってしまいました。そのあとで植松氏の富士商品攻撃が始まるのです。

取引を切った損金合計額は別紙3の「石原正雄富士商品損金明細」と題する書面のとおりでです。

合計 金 二一二八万六〇〇〇円

でました。

八 豊商事の植松氏は砂糖取引所に対する「調査願」を作成提出させたこと。

1 こうして富士商品の建玉を全部切らせた後で、豊商事の植松氏は昭和六三年一一月四日上野駅の丸井の付近の喫茶店で私に「これから富士商品を攻撃する。俺の言うとおりに動け。まず取引所に書面を書け。」と言って、豊商事の植松氏の指示どおり書面を書かされました。それが別紙4の東京砂糖取引所理事長宛の「調査願」という書面です。この書面は植松氏が口で言うとおりのことを書いたものです。そしてこれを「明日一一月五日付で速達を出せ」と言って取引所の住所などを教えてくれました。

私は言われるままに、「調査願」を書いて翌日速達で出しました。

2 これとは他に豊商事の植松氏は、「前にも言ったように富士商品は二五〇〇万円も借金して相場をやらせている、そんなことをしてよいのかという筋書を作って富士商品を攻撃する。だから俺が金融業でその金を貸したことにするから石原さん借用書を書いてくれ。」と言って、豊商事の植松氏の指示のとおり、

債務者 石原正雄(私)

債権者 静岡市在住の植松の父親

一〇〇〇万円を二枚

五〇〇万円を一枚

合計三通の借用書を書かされました。そして収入印紙代として二万五千円出せと言われたので、私は、この金で印紙を買ってこれを貼って豊商事の植松氏に渡しました。

3 この借用書を豊商事の植松氏は、富士商品と交渉する際富士商品の関係者に見せたかどうか、交渉一切は、植松氏が五木と言う金融業者という仮名でやっていたので私には判りません。

なお、この借用書三通は富士商品と紛議が終了した後も返して貰ってません。勿論印紙代も貰っていません。

このようにして豊商事の植松氏は、五木の偽名で富士商品攻撃を始めました。

九 豊商事が売買報告書、計算書、残高照合書の一部を会社ぐるみ隠しウソの売買取引メモを渡したこと。

1 このことは第二の五で少し申し上げました。詳しく申し上げます。

このようにして豊商事の植松氏は、五木の偽名で富士商品攻撃を始めました。

2 ところが豊商事との売買報告書、計算書が届かなかったり、残高照合書の一部が届かなかったりしました。どうして判ったかと言いますと利益があるのに銀行口座に入金がありません。植松氏の話と合わないのです。一番、不審に思ったのは、前の残高照合通知書では利益金が計上されているのに、後の通知書では利益金が零になっているのです。そこで植松氏に聞いたところ、

「富士商品の者に豊商事と取引していることがバレるとまずいだろ。借金をして取引していることになっているのに利益金があるということが分かればまずいじゃないか。それとともに五木の身分が判ってしまう。だから売買報告書などが届かないようにした。管理部には俺の知った奴がいるからうまくやってくれたんだ。」

と言いました。

私は、植松課長と取引するに際し、

<1> 私の勤務状況では、商品取引をすることは不可能であることを話し、本人もこれを認めて取引を始めたこと。植松課長もこれを認めていたこと。

<2> 植松課長は、富士商品の損を豊商事で取りかえすと約束したこと。

<3> 利益金は株式売買に回すこと。つまり株式取引を商品取引より優先すること(私は株の取引をやりたかった)。

を約束してもらいました。

植松課長はこの約束を守らなかったのみならず、「利益金はどうなっている。」という質問に対し私から言われたとおり「株式を買っている。利益金は協同飼料をかっている。」と、ウソをついていました。買い付け報告書も見ませんし、証券会社の名前も言いませんでした。あとで考えると、使い込んでいるので、見せられる筈がありません。

このようなことも、豊商事が私から事情をきいてくれれば、すぐ分かった筈です。それを管理部までグルになって、客に送るべき書類を送らないというのは、会社ぐるみではありませんか。

3 しかし、私は植松課長の説明が納得できなかったので豊商事の管理部に電話して「利益金がどうなったか判らない、売買報告書もこないがどうしたのか。」と尋ねました。これに対して管理部の者は「植松から依頼されているので一括して送っています。」と答えました。一括してどこに送ったのか言いませんでしたがなにか言い難くそうに言ったので「一括して送った。」と言っても私の所以外に送り先は無いので、その中届くだろうと思って、それ以上管理部の者に聞きませんでした。

4 そうするとその当日直ちに植松氏が青い顔をして飛んできて。「富士商品の件が終わるまで静かにしていろ。利益金は俺が預かっている。借金して相場をやったという者に利益金があってはおかしいじゃないか。豊商事から売買報告書が届いて利益金が出ているんじゃ五木と言う男が豊商事の植松だとバレるとニッチもサッチもいかなくなる。今はおとなしくしておいてくれ。」と言いました。

今にして思えば植松氏は自分の使い込みがバレることを恐れてこうして管理部の者と結託して売買報告書などを送らせないようにしたものと思います。

5 豊商事は会社ぐるみでこれに協力したと思われることが、まだありますので申し上げます。

私は植松の説明でもなかなか納得できなかったので、上野支店の、坂野課長代理に「よその会社とやり方は違うのですか。利益金を支払った時、支払通知が客に来ないのですか。」と聞きました所(課長が(植松氏の意)全部やっていますので。・・・」と逃げました。

6 松本洋勝支店長に上野の「いしはら」という喫茶店でこの点について(売買報告書がこないこと。利益金の行方がわからないこと、利益金を出したという支払通知書が豊商事からこないこと。)尋ねたところ、「書類はストップするよう依頼書が出ている。」と言いました。また別の機会に聞くと植松氏は

「富士商品の者に取られると困るから一時ストップした。」

と言い、松本支店長は「石原さんの郵便受から盗ってきた、と植松がいっていた。」と言いました。

従って、私には、会社に止め置いていたのか、一旦私方に配達された書類を植松氏が、富士商品の会社の者に豊商事と取引していることがバレたら困ると思って抜き取っていたのか(私は独身で朝八時半に出勤すると午後八時頃まで帰らない)その両方をやったのか判りませんが、管理部の者が「植松に依頼されて一括して送っています。」と言いながら結局届かなかった部分があったことについては、支店長も管理部もグルになって植松氏の、私の利益金抜きとりに協力していたと思わざるを得ません。

7 こうして私が植松氏に不審な点を問い正すので植松氏は、「売買の内容はこうなっている。」と言って植松氏自信が書いたのか、誰かに書かせたのか私には判りませんが、私方に届いていない売買報告書の内容のメモをくれました。

それが別紙2の「植松氏が自分で保管し、私に売買報告書を渡さなかったものを請求すると、これをくれた。」と題する書面であります。

8 このメモと先般吉井弁護士が豊商事から貰った委託者別先物取引勘定元帳と比較すると差がハッキリ出てきました。つまりこのメモは委託者別先物取引勘定元帳に記載された実際の売買と違っています。

その差を比較したものが別紙5の「委勘元帳と調査照合した結果、売買報告書が届いていなかったものの計算」です。

これによって判るとおりメモは実際の取引と比べ利益金二五〇万八八〇〇円出ているのを、私に隠しています。これは植松氏が計画的に私の利益金から横領した金を誤魔化そうとしたことが明白であり、この点についても私にはなお二五〇万八八〇〇円請求する権利があることになります。

9 もしこのメモが植松氏の書いたものでない、とすれば豊商事の会社内部に共犯者がいることになります。これでは「会社ぐるみ横領隠し」ではありませんか。

10 前にも申しましたとおり、上野支店に行ったとき、渋谷支店で教育係りをしているといって紹介された野田氏という方にあいました。私は富士商品との取引のことについて相談をしました。しかし植松課長の取引のことについても相談したかったのですが、同じ支店のことは、とても聞けませんでした。私は教育係りときいていましたし、まじめな意見を言われると思って、その翌日渋谷支店に電話しました。

ところが、植松課長に内緒だといったのに、直ちに本社に連絡され、本社から植松課長に連絡され、植松課長が夜私のところに飛んできて、どうして野田に電話したというので、

「私が富士商品を相手に裁判をすると、あなたが首になるかどうか聞こうとしたんだ。」

というと、

「ああ、確かに首になるよ。豊商事の植松ということがバレルからな。妻子がいるからやめてくれ。」と私を押さえました。

本社は、どうして私を呼んで事情を聞かないのでしょうか。

一〇 五〇〇円記念硬貨紛失事件。

1 ついでに小さいことですが不審な点をいまひとつあげておきます。

2 昭和六三年正月に私は縁起がよいからと五〇〇円記念硬貨を植松課長の部下の坂野代理に二枚渡し「植松氏と一個づつ分けてください。」と言って差し上げました。

3 ところが坂野代理の話しによりますと、「植松が二個取り上げてしまった。」と言い、後に植松氏に会った際「あの金は返す。お金のことはきちんとしなければいかん。」と言っていましたが、未だに返しません。

4 大金で不正をしながら(私の利益金を使い込みながら。)小金で、いかにも自分はキレイだと見せようとする筋書を書く男だと思います。

第三 富士商品と和解交渉経緯。

一 豊商事の植松課長の書いた筋書

1 前に申したように、富士商品を攻撃し金を出させる方法は、豊商事の植松氏が自分で筋書を書き自分で富士商品と交渉していました。

従って私は植松氏が富士商品とどんな交渉をしたか全く知りません。

2 昭和六三年一一月四日、植松氏が豊商事の上野支店長室から富士商品の建玉のうち私名義の取引を全部切らせその翌日、取引所に「調査願」を出したことは、前に申したとおりです。

そして植松氏は

「石原さん、あんたは黙って見ていろ。そのうち富士商品の芳賀が訪ねて来ると思うから、あんたは逃げ回っておれ。勤務先に電話がきても切れ。訪ねて来ても会うな。俺は石原は仮名取引は知らんと言っている。石原の口座から他人の仮名口座に証拠金を流用したと言って責める。」

とこのように指示しました。

3 このため私は昭和六二年二月四日から翌二月末頃迄の間、植松氏の指示どおり、浅草、上野の旅館四ヶ所位を転々とし、自宅に帰らないようにしていました。しかし三日に一度位はこっそりと着替えなどを取りに帰っていました。

4 植松氏は、私に「富士商品の芳賀が必ず訪ねてくるから、来たら俺に必ず電話しろ。」と言いました。

一度こっそり家に帰っていると朝六時半頃、芳賀が「おはようございます。」と言って不意に訪ねてきました。私は芳賀であることが判ったので。「ちょっと待ってくれ。」と言って部屋に入りすぐ植松氏に電話しました。植松氏は自宅の電話番号を教えてくれていましたが、いつも家に電話しても居ない事がおおく、奥さんにきいても「どこにとまっているか知らない」というので、このときは豊商事の上野支店に電話しました。

5 すると豊商事の社員が連絡してくれたものと思いますが、約二〇分位して植松氏がノーネクタイで雪駄のようなものを履いて肩を怒らしてきました。芳賀達は乗ってきた車の中にあと二人の男と一緒にいたようですが、植松氏が芳賀達に怒鳴って車から出ないようにしてくれていましたので、私はその隙に反対の方向に歩いていって勤務先にいきました。

6 芳賀達が来た目的はわかりませんが、植松氏が「石原さんは仮名の取引は知らんといっている。」と責めるものですから私に確認を求めにきたものではないかとおもいます。

仮名の取引は前にも申したとおり、作ることは一応承諾して知っていますが、取引内容は全て事後に口頭で連絡してくるので私の知らない部分が相当あります。書面は全くきません。私の意思に基いた売買でないことは、前に申し上げたとおりです。

二 第一回目の交渉

1 第一回目の交渉は、昭和六三年一月二九日銀座の三笠会館でした。

富士商品側は、遠山管理部長、吉岡部長、芳賀課長の三人でした。

こちらは、五木と名乗っている植松氏、私の用心棒に雇ったと植松氏がつれてきた夏木という男、私の三人でした。

植松氏は背広にネクタイをしていましたが、夏木という男は黒メガネをかけていました。私は勿論このときが初対面でした。

2 このとき植松氏は、富士商品の人達に会う前に、

「今日は最初だから脅すだけにしておく。石原さんあんたは黙っていろ。」

といい、

「遠山管理部長は調べてみたが、稲川会のメンバーだ。気をつけろ。そのためあんたの用心棒に夏木をつれてきた。」

といって、その席に臨みました。

そして富士商品の人達に会うや、肩を怒らせて、

「テメー等は仮名取引をやっているんじゃないか。仮名取引は違反じゃないか。

それに借金までして相場をさせてるじゃないか。テメー等が悪いことをしてなんだ。こんなことしょっちゅうやっているんか。」

と相手に噛みつきました。

3 吉岡部長が、「いや、初めてです。」というと植松氏は、

「初めてのものはやるな。俺は通産省の人間も知っている。安倍さん(安倍晋太郎代議士のこと)も知っている。二五〇〇万円も借金させて相場をやらしてよいと思っているのか。」

と脅しました。

それに対し、芳賀課長は「二五〇〇万円も借金しているなんて石原さんは一言も言わなかった。」というと、植松氏は、

「バカヤロー。借りてることなんか、みっともなくて本人が言えるか。」

と、怒鳴りつけました。芳賀課長は黙りました。

遠山管理部長は、

「怒鳴ってばかりいてはいかん。ちゃんと話してくれなければわからんではないか。

そちらが脅すなら、こちらもそれなりの筋をとおして手を打ちますよ。つながりは持っていますから。」

と、こちらも筋者に頼むぞという言い方をしました。

私は植松氏が遠山管理部長は稲川会のものだというのは本当なんだなと思いました。

4 植松氏は脅すだけ脅して、遠山管理部長に「言いたいことを書面にして出したいが、誰にすればよいのか。」ときき、遠山管理部長が、「社長宛にしてくれ。」といって、そのときはその程度で終わりました。この時の会合の費用は、植松課長が支払いました。

5 その後、昭和六三年二月ころ、植松氏が、

「今日遠山ともう一人の人間にあって、三時間しぼられた。石原は日本にはおられない。会社をくびにすることも出来るし、消すこともできる、といわれた。」

と、深夜、私を起こしてレストランにいってそういいました。

これは遠山の怖さを告げにきたもので、私は「消す」というのは、「殺す」という意味であることは判っていたので、怖いことに関わってしまったと、後悔しました。

三 第二回目の交渉

1 第一回目の交渉の後、植松氏が富士商品の遠山管理部長らとどんな交渉をしたのか、私には一切知らせないのでわかりません。先に述べたとおり「遠山は怖い。」ということを言われただけです。

2 二回目にあったときは、三月三日頃だと思いますが、向島の料亭でした。この料亭であうことは、富士商品側でセットしたのか、植松氏がセットしたのか私には分かりません。植松氏が「来い」というのでいっただけです。

植松氏は行く途中タクシーの中で、

「今日は和解の日だから来い。遠山は解決するといっている。だがどうも遠山管理部長は裏取引をしようとたくらんでる。これで一儲けしょうと思ってるらしい。どう持ち出してくるかな。ただ今日は富士の吉岡をいじめればよいんだ。これは遠山も了解済みだ。」

と、いいましたが、私にはくわしいことは言わないで「俺に任しておけ。」としか言わないので、植松氏と遠山管理部長との間でどのような交渉がなされたのか、どういうことから遠山管理部長が裏取引をたくらんでいると判断したのか私には全く分かりませんでした。

3 私は富士商品の仮名取引についても、本名の取引についても不満な点が沢山あるので、その点を富士商品の人達に言おうと考えて、メモに沢山かいてきたので、そのメモを見ていると植松氏が、

「そんなもの見るな。捨てちゃえ。俺に任しておけ。今日は吉岡をコテンパンにやっつけてやる。無断売買の件で責めよう。遠山も了解してるから。」

といいました。

私は何故吉岡部長をせめるのか、判りませんでしたが、遠山管理部長と植松氏との間になにか暗黙の了解の話し合いができているんだなと感じました。

会ったあとの話しの状況などから私の推測したところによりますと、吉岡部長が担当部長であり、遠山管理部長は、管理部長としてきたばかりで事情をよく知らないので、担当の吉岡部長を責めれば金が出やすいと考え二人の間でそうすることが了解されたのだと思いました。

4 料亭の席について、植松氏は肩を怒らせて吉岡部長に、

「石原さんの取引で無断売買をしただろう。銀行に勤務していて取引できる訳がないだろう。無断で売買しただろう。そんなことをしていても石原さんに何もしてくれんのかよう。

金をだしてやれよ。無断売買が問題になってもいいのかよう。社長に働きかけてやれねえのかよう。

少しくらいお前もやってやれよ。」

と、このときは「よう、よう。」と植松氏は吉岡部長に絡むような言い方で吉岡部長を責めていました。この時の無断売買というのは、私名義の取引のことです。仮名の取引は私は知らないことになっていたからです。

吉岡部長はこれに対し、

「一五年やっていますけど・・・・」

と言っただけで、なんの反論もしませんでした。

遠山管理部長はそれに対し、吉岡部長を弁護もせず黙っていました。

5 その後で遠山管理部長は、吉岡部長に、

「吉岡、俺が話をつけるからちょっと席をはずしてくれ。」

といって、吉岡部長を先に帰らせました。

そのあとで植松氏は遠山管理部長に対し、

「石原さんの取引の証拠金などの受渡はいつするのか。早いほうがよい。

というと、遠山管理部長も「証券会社がくれるのが四日はかかるからな。」といっていました。また植松氏が、

「これだけ沢山払っているんだ。出来るだけ面倒みてやってくれ。これじゃ石原さんも浮かばれないじゃないか。どうなんだ。」

というと、遠山管理部長は右手の人指し指を一本出して、開いた左手の掌のうえにのせて、

「これ位だな。」

といってみせました。右手の人指し指を一本出したことが、

「富士商品の社長は、一〇〇万円しか出さない。」

という意味だったのか、

「俺に一〇〇万円くれ。それなら和解金を出せる。」

という意味なのか、植松氏と遠山管理部長との間には分かっていたようですが、私には意味が分かりませんでした。

6 このときも私は、富士商品の遠山管理部長からも豊商事の植松氏からも、この取引の和解金が二〇〇万円だということは全く聞かされていませんでした。しかし二人の間には植松氏が「今日は和解の日だ。」といっていたことからも了解済みだったものと思います。

四 第三回目交渉と和解書の締結、株券現金等の授受

1 第三回目は、昭和六三年三月七日午後七時ころ銀座の三笠会館で行われました。

このときも予め植松課長と遠山管理部長とが話合って決めたらしく、私は当日になって午後七時に三笠会館にきてくれと言われただけで、植松氏の主導で行われました。和解金が二〇〇万円だということすら聞いていませんでした。

2 また遠山氏からも「和解金は二〇〇万円だがこれでよいか。」ということも聞いていません。

3 三笠会館に行くまでのタクシーの中で植松氏は私に、

「遠山は稲川会のヤクザを連れてくるから、今日も用心棒に夏木を呼んである。石原さんのカバンも取られるかも知れないから夏木に預けておけ。」

と言いました。私は恐くてなりませんでした。

4 三笠会館の一階のロビーに行くと、夏木が来ていました。そして植松に

「二、三人きてますねぇ」

と、声をひそめて言いました。これは勿論遠山氏の依頼したヤクザがきているという意味でした。

すると植松氏は、

「カバンを夏木に預けなさい。夏木は一階で待たせておくから。

と、言いましたので私はカバンを夏木に預けました。

5 そして植松は、席に行くまえに私に

「ヤクザが株券や金を受け取っても取りかえすかもしれんから、受け取ったら俺が預かる。あんたは書類にサインしたらすぐ帰れ。そのため席について一〇分位したらトイレに立つふりをして出て、女中さんに“一〇分位したら電話がかかったといって呼んでくれ”と頼んでおけ。そして呼びにきたら。“仕事の電話がきた。”といってちょっと座っておいて、一〇分位して、時間が急ぎます。といって帰れ。」

と指図されました。私は女中さんにそのように頼んでおきました。

6 私が席に行きますと、富士商品から遠山管理部長だけきていました。こちらは植松氏と私でした。(夏木は、私のカバンを守って一階の喫茶店で待機しているということでした。)。

席について、まず株券と残金を遠山管理部長が出し、返還通知書のとおり確認し、これを素早く植松氏が自分のカバンのなかにいれました。

現金 金 六六二万九五二九円

株券 NTT 一株 三井金属 九〇〇〇株

大阪建物 四〇〇〇株 三菱銀行 一〇〇〇株

でした。

そして遠山管理部長がだした和解書に植松氏が、「ボールペンで東京都からちゃんと書け。」と、怒鳴るように言いました。全ての書類に署名が終わると、遠山管理部長は仮名口座の売買報告書の束を出しました。

植松氏は「ここで全部破け。」といいましたので、私が破いていると、遠山管理部長が、

「破いたものは捨てよう。」

と、言いましたが、私がこっそり持って帰りました。私が一度も見たことのない売買報告書です。

そのあとで、遠山氏が内ポケットから二〇〇万円をだして、植松氏を呼んでなにか耳もとで、ひそひそと私にきこえない声で耳打ちするような話をして、二〇〇万円のうち一〇〇万円をとり、あとの一〇〇万円を植松氏に渡しました。

遠山氏は自分が一〇〇万円を納めながら、

「おれが二〇〇万円出させるように骨折った。だから一〇〇万は貰うよ。」

といってとりました。植松氏は五〇万円を私に渡し、残り五〇万円を自分で取りました。

二人の間では、すでに話しはついていた様子でした。

五 私の承諾なしに、富士商品の遠山管理部長と豊商事の植松課長が和解金を分配したこと

1 前に申しましたように、私はこのような金が受渡しされること、分配をすることについても植松課長からも、遠山管理部長からも事前になんらの相談も受けていませんし、了解もしておりません。植松課長は「あんたは発言しないほうがよい。」と言われたのと、「ヤクザがきている。」ときいていたので、黙っていました。

そして、遠山管理部長が出された書類に住所、名前を書いて印を押すように言われたので、言われたままにしました。和解書の中身については読みませんでした。

また富士商品に預けていた私の株券や現金は植松氏が富士商品側の暴力団にとられるといけないからという口実で受け取り、植松氏のカバンの中に入れました。

2 そうしていると、女中さんが私が頼んだとおり呼んでくれたので、植松氏の指示どおり「仕事の電話がありましたので・・・」といって席を立ちました。

私が降りようとしていると、遠山管理部長が植松氏に、

「実は、あんたと最初あったとき、帰りに尾行させた。夏木と一緒に上野のクラブに行っただろ。」

「身元は判ってんだ。」

と、なにかすごんでいました。私はすぐ出ましたのでその後の話しは聞いていません。しかし私は稲川会の者で、夏木も植松も遠山氏の雇ったヤクザがきているというので、遠山管理部長の話をきいて、これは植松氏の身元もなにもかも知られてしまっている、まずいなと思いました。

一階に降りるとき、植松は私に、

「遠山の頼んだ稲川会のヤクザがうろうろしているから、少し歩いて五〇メートル位いったところでタクシーに乗ったほうがよい。渋谷の築地という小料理屋で待っててくれ。」

と言いました。

3 一階に降りようとすると、私のカバンを守ってくれている筈の夏木が、私達がいた二階の上まできていました。私は夏木に「カバンはどうした。持っていてくれるのではなかったのか。」と言いますと、「トイレにきた。」といって、私の手を引っ張って降ろしました。後で思うと残った二人の話を聞かせたくなかったのだろうと思いました。二人は話がついていたからです。

私は言われるとおり夏木と一緒に、三笠会館を出て、五〇メートル歩いて、タクシーで、渋谷の築地に行って待っていました。

六 遠山管理部長と植松氏がグルだと思う根拠

1 最初の頃は二人は、グルではなかったと思います。しかし交渉している間に馴れ合いになったものとおもいます。

2 その理由は、前に申しましたが整理していうと次のとおりです。

<1> 第二回目の向島での会合の際、植松氏は車の中で「遠山が裏取引をたくらんでいる。」といったこと

<2> そのとき、吉岡部長を攻撃することを遠山も了解済みだと言ったこと。

<3> 植松氏が吉岡部長を責めているのに、遠山管理部長は弁護しなかったこと。

<4> 吉岡部長を帰したのち、植松氏の「これくらいだ」といって、人指し指一本だしてみせたこと。

<5> 二〇〇万円の授受の際、私になんら承諾を求めることなく、植松氏と遠山管理部長がひそひそと話し、遠山管理部長が金を分配したこと。

<6> それに対し、植松氏もなんの文句もいわなかったこと。

<7> 私がうけとってもいない二〇〇万円の領収書を、遠山管理部長から請求され、書かなかったところ、植松氏が翌日私を脅しながら書かせ遠山管理部長に渡したこと(その経過は後に述べます。)。

などから考えると、二人の間に取引が成立したとしか考えられません。

七 遠山管理部長から脅されたこと。

1 遠山管理部長がやくざの稲川会の名簿にのっているということは、主に植松氏からきいていました。

2 遠山管理部長から直接いわれたのは、第一回目の会合のとき、植松氏が怒鳴るので、「そちらが脅すならこちらも筋者に頼むぞ。」という趣旨のことをいわれたことです。

3 二〇〇万円の和解書をかかされた夜、領収書を貰うのを忘れたといって私方に取りにきたとき、私が書かなかったので、勤務先に行って上司に言うといわれたこともありました。

4 平成元年一月下旬、富士商品の会社に預けていた印を受け取りにいき、遠山管理部長に、会社近くの喫茶店であいました。

そのとき遠山管理部長は

「会社が一〇〇万しか出さんといったのに、俺が骨をおってやったんだからな。」

と、いいました。如何にも遠山管理部長が一〇〇万円貰ったのは当然なんだ。文句をいうなよ。という意味だと受け取りました。

私は稲川会の者だという恐怖感があったので、一〇〇万のことも、カバンを取ったこと(後述します。)も一言も言いませんでした。すると、

「新宿の住吉連合とのつながりがあるからな。」

と、下手につつくと何をするかわからないぞ、という意味の脅しをかけられました。

私は「住吉連合」といわれたので、

「稲川会ではないんですか。」

と質問しました。「うん。」といわれました。

5 私はどちらにしても、やくざに変わりはないと恐怖心かわりませんでした。植松氏から「遠山らから石原は会社を首にすることもできるし、消すこともできる、といわれた。」と聞いていたので、私はそれ以上のことは、話しませんでした。

第四 豊商事の植松課長が、富士商品から取引をやめ返還された株券、現金等をいれたカバンを富士商品の遠山管理部長の依頼した稲川会のヤクザに取られたとウソをついたこと

一 その経過

1 先に述べたような経過で、私は植松課長の雇ったという用心棒だという夏木と一緒に渋谷の「築地」で待っていました。

八時過ぎに植松課長が夏木と一緒にきました。そして

「石原さん腹を決めたほうがいいよ。」

というので、

「なんですか。」

と聞きますと、植松課長は、

「遠山のつれてきたヤクザに鞄ごと取られた。株券も現金も一緒にみな取られた。」

と、言いました。私はびっくりしました。遠山管理部長から受け取った五〇万円も取られたといっていました。

そして、「おいらは先生のところにいって相談してくる。」といって、出ていきました。植松課長のいう先生とは誰のことか、私にはわかりませんが植松氏はよく「先生に相談」ということを言っていました。私の問題について、いろいろ人を使っているというように恩を着せていたのではないかと思います。

2 その晩私は、一二時前ころ、私方の近くの東浅草二丁目の交番に行って、被害届けを提出しました。株券などもあるので、調べてもらえば、様子がわかり、もしかして返ってくるかもしれないと思ったからです。私はまだ本当に遠山管理部長が依頼した稲川会のヤクザに取られたと信じていました。

3 その夜家に帰ると、一二時過ぎに遠山管理部長がきていました。そして

「二〇〇万円の領収書を貰うのを忘れたから書いてくれ。」

といって領収書を出しました。私は二〇〇万円もらっていないうえ、植松の話しによると、遠山管理部長の依頼したヤクザにカバンごと取らせておきながら、夜中に領収書を要求しにくるとは厚かましいと思いましたが、植松氏から「遠山本人は稲川会の名簿に載っていること、また石原さんを消すこともできる。」といわれたので、怖くて文句も言えませんでした。私は「印を持っていない。」といって渋っていると、

「会社にいって会社の上司に話しますよ。」

といって、脅かしにかかりました。私は、「どうぞ。会社にはガードマンが三〇人もいますから」と、強がりを言いました。すると

「よし、それなら五木(植松)に話をつける。」

といって帰りました。

4 翌日遠山管理部長は、植松課長と連絡をとったらしく植松氏が私に「上野の喫茶店で待っているように」と電話してきました。私が指定の場所にいきますと、植松氏は私が植松氏に預けていた「石原」という印を押して作成した領収書を差し出し、

「これに住所、氏名など書いてくれ。」

といいました。私が渋っていると、

「石原さん。やはり富士のやくざが四人きてらあ。左側の方にいるやつだ。早く書いてくれ。尾行されているらしい。」

といい私に署名等をするよう促すので、怖くもあり書きました。

吉井文夫弁護士を通じ、富士商品から取り寄せしてもらったそのときの領収書をみますと(別紙7)「石原」という印が私の名前とズレていますが、それは植松課長が印を押した領収書をもってきて私に署名などをさせたのでそうなっているのです。

植松氏は領収書を受け取ると、

「右側のほうから帰れ。左のほうはやばい。」

というので、私は右の出口から帰りました。

5 植松氏は私が「被害届け」を三月七日に警察にだしたことをいうと、「それは取り消してくれ。もし豊商事の植松という身分がバレると俺はクビになる。取り下げてくれ。」と何回も頼みました。

私は「株券は除権判決の手続きをしなければ・・」というと、「必ず取りかえす。警察の届けは取り下げてくれ。裁判はやめてくれ。弁護士にもいろいろ癖があるし、今おれが首になると妻子がいるし困る。」

と、頼むので、私は三月九日に、届けた交番に行き取り下げました。

この時の「被害届」も、実際の被害状況を植松氏が詳しく説明しないので、私も正確な届けができず、交番の警察官も正規の被害届けの扱いをしていなかったらしく、取り下げに応じてくれました。

二 後に判明したウソである理由

1 植松氏に書くよういわれた二〇〇万円の領収書に押してあった印があやしいのです。これは植松氏に預けていたもので、前の晩に植松氏の話によれば「カバンごと取られた。」カバンの中に入っていた筈の印でした。そうすると植松氏の取られたというのが怪しくなります。取られた筈のカバンに入っていた印を植松氏はどうして押すことができるのでしょう。

2 本当に取られたなら、警察に被害届けを出すことに協力してくれて当然であるのに、取り下げさせたこと。

3 私が印だけは早く取りかえしてくれ、というと三月一六日夜、私方に印鑑だけを持参し取りかえしてきたといい持ってきました。私が「ヤクザにひやひやしたよ。」といって詳しい事情を聞こうとすると、苦笑いしながら走って逃げていったこと。

4 富士商品から帰して貰った株券NTT一株、三菱銀行株一〇〇〇株の豊商事の預り証を、取られたという二日後に持ってきたこと。そして私が、

「それは取られなかったのか。」

と尋ねると、

植松氏は、「これだけはポケットの中にいれてた。」といっていました。そして現金五〇〇万円出し、「これは俺の金だが、とりあえず払っておく。」といって出しました。

富士商品から受け取った現金が、先に申したとおり、

金 六六二万九五二九円

ですから、この金の中から五〇〇万円もってきて、残りの一六二万円は、植松が使ったのではないかと推測していますがそのようなことがあったこと。などです。

三 その他植松氏の言動

1 カバンを取られたという事件の後、利益金の行方を追及すると、「悪い話しばかりではないんですよ。」といいながら、豊商事の客から融資が受けられるという話を四件ももってきたこと。

一件目は広沢という税理士さん。

二件目は上野の医師。 二千万円

三件目は台湾の社長という人。 三千万円

四件目は赤坂の社長という人。

勿論、実現したものは一件もありません。

その都度植松氏はもっともらしいウソをいっていました。二件目のときなど、「金は一旦受け取ったが持ちかえった。」といっていました(別紙8の植松氏の名刺の裏に書いてある)。

2 「台湾に会社をつくった。石原さんの名前も送ってあるから、定年後も食っていけるよ。石原さんは日本を担当してくれ。」と、私の定年後の心配までしてくれているような話をした。しかし会社名も、資本金額も業種もいわなかった。

後に「あの台湾の会社の件、話は進んでいるからね。」といったことがあった。

今にして思えば、流用したことを追及されないようまた引き伸ばしのためにデタラメを言っていたのだと思います。

3 六三年三月七日付けで、「通産局長殿」として、「富士商品管理部長遠山氏の指示により、石原正雄と富士商品との商品先物取引に関する異議申立は和解の形をとりました。」という書面など、何通かを書かされました。

実際に出したものかどうか、私にはわかりません。

4 「俺がクビになったら遠山もただじゃおかない。」「豊がやられたら富士も巻き添えだからね。」ともいっていました。

四 私の豊商事との取引の損失

1 これは別紙9のとおり、計算しました。植松課長は私が「利益金はどうなっている。」と聞きますと、「いうとおり株を買ってある」と、言っていました。しかし株式を買ったという買い付け報告書を見せなかったことは、前に述べた通りです。

2 そこでわたしの別紙9の計算は、

Aは、植松氏が私のいうとおり、株を買っていたというのですから、私の言うとおり株を買っていたとすれば得られていた筈の利益金を計算したものです。

金 四億六四三四万一〇〇〇円

となります。

Bは、植松氏が私に台湾の社長から三〇〇〇万円入るから、それをやるといっていました(私の金を使い込んでいたのでごまかすためにデタラメをいっていたものと思いますが。)

その金で、私のいうとおり株式をかっていたならば、儲かっていたであろうという計算をしたものです。

金 三億九一一一万八〇〇〇円

になりました。

Cは、富士商品から返還されたものを植松氏が富士商品の遠山管理部長の頼んだやくざに取られたとウソをいいましたが、その株と現金で、私の指示どおり株式を買っていたならば得られたであろうと思われる利益金を計算したものです。

金 五億一一〇〇万円

となりました。

3 その他、別紙3のとおり、富士商品の取引をむりやり打ち切られた損失などです。

4 ウソの売買報告書によりごまかされていた請求金二五〇万八八〇〇円(別紙5)。

等です。

第五 おわりに

一 言いたいことは沢山あること。

1 これは富士商品にも豊商事にも沢山あります。としてもいいきれないほどです。

2 富士商品については、

<1> 手数料が損金と比較して、多すぎることは前に申しました。

<2> 担当の芳賀氏は私に会社にくるな、といいました。仮名がバレルことを恐れたからかも知れませんがこれでは取引のことを会社のひとに相談もできません。

<3> マイナスになって、これ以上損がでては困ると思って切りたい、といったが芳賀は「戻る。戻る。」といって切らせなかった。ころばぬ先の杖を考えているのに、それを考慮してくれなかった。

<4> 資金の三分の一ぐらいでやってくれ、といっていたのにきいてくれなかったこと。

3 豊商事については、

<1> 不正をしているのではないか、と感じて管理部や、その他に問い合わせするのに、いつも担当の植松課長に連絡し、客である私から事情を聞こうとしなかったこと。むしろ会社ぐるみ隠そうとしていたこと。

<2> 簡単に売買報告書、支払通知書を留置すること。これをしなければ私の被害が、未然に防げたはずであること。

二 私が印を預けていたことについて

1 豊商事では、「銀行員であるものが、印の大切なことは判っている筈であるのに植松に印を預けた。」と、それが、さも私のほうにも落ち度があるような言い方をされているとききました。

私はこれこそ泥棒も三分の理というより、詐欺師も三分の理という言い方だと思います。

2 私達の仕事は、客の信用を失うと、存在できない営業をしております。従って客に信用されることは第一条件で、それを損なうことは致命的だと信じています。

従って私も、よもや私を騙したり、うそをついたり、信頼を裏切るようなことはしないものだと、私達の職業的感覚で接していました。それは私が甘かったのだと痛感させられました。

銀行員であったからこそ、客を裏切らないと信用したんだと理解して頂きたいと思います。

3 「カギが大切なことが、わかっているのにカギを俺に預けていくから盗んだんだ。」といわれているような気がいたします。この業界のレベルが判る気がいたします。

以上のとおり、相違ありません。

平成元年五月三〇日

東京都台東区東浅草一-二〇-一一-二〇五

石原正雄

添付資料

別紙1の1 「利益金支払と銀行口座入金との比較」

1の2 「同 」

1の3 「石原氏の住友銀行上野支店口座へ入金」

1の4 「当社石原氏に現金で支払」

1の5 「植松が石原氏口座入金」

2 「植松氏が自分で保管し私に売買報告書をわたさなかったものを請求するとこれをくれた」

3 「石原正雄名義の富士商品損金明細」

4 「植松氏指示調査願い」

5 「委勘元帳と調査照合した結果売買報告書が書いていなかったものの計算」

6 「石原正雄の領収書」

7 「石原正雄の領収証」

8 「植松俊行の名刺」

9の1-6 「得べかりし実質利益(損害金)算出基礎資料」

10 「植松氏の返還明細書」

別紙1の1

<省略>

別紙1の2

<省略>

別紙1の3

<省略>

別紙1の4

<省略>

別紙1の5

<省略>

別紙2

<省略>

別紙3

<省略>

別紙4

<省略>

別紙5

<省略>

別紙6

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別紙7

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別紙8

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別紙9の1

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別紙9の2

<省略>

別紙9の3

<省略>

別紙9の4

<省略>

別紙9の5

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別紙9の6

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別紙10

<省略>

資料四

<省略>

資料五

<省略>

資料六

<省略>

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